翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 《インタビュー》第1回 前半 ── 徳間書店児童書編集部 上村令さん

 徳間書店の児童書は、1994年にスタート、昨年、20周年を迎えました。わたしは、翻訳の仕事を始めてからずっとお世話になりっぱなしで、8作品の翻訳を担当させてもらいました。今年の夏には9作品めが出版予定です。

 ですから、上村さんには、もう20年、いや、その前の福武書店のころからお世話になっています。下の絵は、リンドグレーンの「長くつ下のピッピ」のサブキャラで、ピッピのおとなりに住んでいる「アニカ」。徳間編集部では、上村さんに似ているとのもっぱらの評判です。 では、どうぞ。

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   (c) Ingrid Vang Nyman 1947
 

 

《インタビュー》第1回 前半
 ── 徳間書店児童書編集部 上村令さん  

(2007年11月5日掲載記事 再録)

 

上村令(うえむら・れい)さんプロフィール

 (株)徳間書店児童書編集部、編集長(2015年3月現在は、同局長)

 早稲田大学在学中は児童文学研究会で活動。卒業後、福武書店(現ベネッセ・コーポレーション)の児童書編集部を経て、1993年に徳間書店へ移り、児童書部門の立ち上げから関わり、現在は編集長を務める。

 徳間の児童書は丁寧な本作りで定評があり、上村さんは、とくに翻訳ものを「徳間ブランド」として認知されるまでに育ててきた立役者の一人。また荻原規子さん作の人気ファンタジー『空色勾玉』他、勾玉シリーズを世に送りだした編集者でもある。(M.H.)

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 今回は、「原田勝の部屋」初めての対談です。お話をうかがったのは、徳間書店の児童書編集長、上村令さん。わたしが今まで、もっともお世話になった編集者であり、また、尊敬する出版人でもあります。

『指輪物語』よりは『ナルニア国物語』、ラテンの国々よりは控えめなイギリスや北欧が好き、とおっしゃる上村さん。編集部のメンバーに編集長を一言で評してください、と尋ねると「日本語の門番」(Iさん)、「全幅の信頼をおく編集長」(Tさん)という答えが返ってきました。

 たしかに、日本語の使い方にはいつも厳しい指摘が飛んでくるのですが、今回は終始なごやかな雰囲気の中、わたしと、同行してもらった翻訳者の斎藤静代さんの二人で、とくに編集者、翻訳者についてのお話をうかがうことができました。その対談を二回に分けてお送りします。

 

本選び、翻訳者選び

原田:まず、児童書の中でも、翻訳ものに力を入れていらっしゃるのはなぜでしょう?

上村:自分が面白い翻訳児童書で育った世代ということもあり、読む側として、日本の作品だけでは物足りない、というのはありますね。見方を変えれば、日本も世界の国々の一つと考えている、とも言えます。

 また、本を出す側としてみれば、日本の作家さんの場合は、良い作品をスケジュール通りに書いてもらう、というのはなかなか難しいので、翻訳書にベースをおいておけば、出版の予定が立てやすいという面もあります。海外で出版されたという事実は、すでにだれかに認められた作品であるという証拠であり、一定の水準をクリアしているとも言えますしね。

原田:徳間書店では、翻訳出版する作品を決めるまでに、多くの原書をたくさんのリーダーに読んでもらい、編集部内でもかなりの手間と時間をかけていますが、翻訳権をとる際の決め手はなんでしょう?

上村:じつは、リーディングしてくれた人たちの評価が分かれた作品に着目することが多いんです。とくに、ネイティヴのリーダーたちのあいだで意見が割れる作品には、しばしば検討に値する「強い」ものがあります。編集会議では、できるだけ全員一致で決めますね。ただ、やってもいいんじゃない、とみんなが言っているのに、だれも担当したがらない本もあって、そういう時は版権をとりません(笑)。また、迷った場合は、原書が英語なら自分で読んでしまいますが、英語以外の言語だと、読んでくださったリーダーさんの評価の傾向を考慮して決めています。めったにほめない人がほめた、とか。

原田:翻訳者はどうやって決めるんでしょう?

上村:ケース・バイ・ケースです。原書を紹介してくれた場合は、その訳者に優先権があると考えています。そうでなければ、今までおつきあいのある翻訳者の方に、作品との相性を考えて依頼するか、逆に、徳間で仕事をしたことのないベテラン翻訳者に頼んでみることもあります。

原田:『おれの墓で踊れ』(エイダン・チェンバーズ作)の浅羽莢子さんや、『青春のオフサイド』(ロバート・ウェストール作)の小野寺健さんの場合がそうですね。

上村:浅羽さんの場合は、じつはご主人がイギリスの方で、以前からうちのリーダーをしてもらっていたんです。いつか奥様である浅羽さんに仕事をお願いしようと思っているうちに、売れっ子翻訳家になり、なかなか機会がありませんでした。この作品は、とてもイギリス的で、浅羽さんに合っているのではないかと思い、徳間では初めての翻訳依頼となりました。残念ながら、浅羽さんは昨年ご病気で亡くなられてしまったのですが、大変エネルギッシュで、プロ意識の高い方でしたね。

原田:では、わたしに依頼するのはどういう場合なんでしょう? 児童書の世界では、男性の翻訳者が少ないと思うのですが、今までわたしがやったのは、戦争やサッカーがらみが多くて、まあ、男性向きの作品だからかな、と自分では思っているのですが……。

上村:男女のちがいというより、仕事プラスαの頑張りがきくか、という点を考えています。つまり、実力の差がなければ、題材やジャンルへの興味が強い人に頼んでみるんです。そうすれば、翻訳者の熱のようなものが訳文のどこかに出るでしょうし、本人も乗って訳せるんじゃないかと思いますから。

原田:作品によって翻訳者の向き不向きがある、というのはわかりますが、もう少し一般的に考えると、どんな翻訳者が「いい翻訳者」だと思いますか?

上村:なんにでも好奇心を示せること。仕事だから英文和訳しました、という人はだめでしょう。原作にはなにが出てくるかわからないのですから、どんな球が来ても打ち返せるフットワークの軽さが必要だと思います。それと、うちの編集部はみんな算数ができませんから(笑)、数字に強い翻訳者がいれば、それも売りにはなりますよ。

 

編集者と翻訳者の信頼関係

原田:わたしが最初に上村さんと仕事をしたのは、『弟の戦争』(ロバート・ウェストール作)で、もう十年以上前なのですが、あの頃のわたしは、今より翻訳がずっと下手だったはずです。上村さんは、いつも原稿が真っ黒になるほど鉛筆を入れてくれますが、ずばり、翻訳者を育てる、という意図はあるのでしょうか?

上村:ええ、とくに始めの頃は強くありましたね。徳間書店の場合は、児童書の出版社としては後発なので、この分野で実績のある翻訳者の方々は、すでに長く他社さんとおつき合いをしていらっしゃるわけです。ですから、いざと言う時にうちをサポートしてくれる、無理を聞いてくれる翻訳者さんを育てよう、という頭はありました。若い頃は自分たちも知識がなかったので、翻訳者の人たちと一緒に考えながら仕事をしていた面もあります。名のある翻訳者に依頼することももちろんありますが、本を選ぶところから一緒に考えてくれる、いい児童書を出そうという気持ちのある人が必要なんです。

原田:たしかに、翻訳そのものはもちろんですが、リーディングやもちこみ企画、情報交換といった、翻訳にまつわる周辺作業で、編集者と翻訳者の信頼関係が深まることもありますね。

上村:もちろん、実力があることが前提ですが、本を作っていく仲間だという意識が大事だと考えています。

原田:上村さんとの仕事では、ゲラになる前に一度チェックが入って、ゲラになってからも三稿くらいは当たり前、訳文に対して編集者としての意見をずいぶんもらっています。すごい手間ですよね?

上村:それぞれの段階で、チェックするポイントがちがうんです。ゲラにする前は、単純につじつまが合わないところ、意味が通じないところなど、はっきりわかるミスを見ています。ゲラになったら、今度は日本語のレベルとしてどうか、スムースに流れているか、言葉が効果的か、ほかの表現の方がふさわしいんじゃないか、そういうレベルで見ていきます。再稿だと、かな漢字の表記や訳注が必要がどうかに目が行きますね。やはり、うちで出しているのは児童書ですから、一読してわからない言葉は極力注をつけるか、表現を変えるかしています。

原田:ここまで手を入れるのは編集者の仕事ではない、という考え方もあるわけですが、そのあたりはどう考えていますか?

上村:子どもの本だから、というのは大きいと思いますね。子どもは一つわからない言葉があると、そこでいつまでも考えてしまいますから。一つ、二つならまだしも、次々にひっかかってしまうと、もう、その先が読めなくなってしまう。本は読んでもらってなんぼ、です。もちろん、原文が格調高い時に、それを崩すのはまた別の話ですが、基本的には、同じ内容が伝わるのなら読みやすい方がいいと思っています。

原田:まあ、わたしは時々、それに抵抗するんですけどね。

斎藤:上村さんが鉛筆を入れたところを、訳者が直してくれない場合はどう感じますか?

上村:提案はしますが、最終的には訳文は翻訳者のものです。取捨選択してもらえばいいと思っていますし、全部わたしの鉛筆どおりになってしまったら、その翻訳者はなにも考えてない、ってことですからね。まあ、どうしても気になるところは、また蒸し返したりもしますが。

原田:何度も仕事をしているうちに、上村さんの鉛筆の意図がわかってくるんですよ。だから、「なるほど」という鉛筆が入ってると悔しいですね。なぜ自分で気づかなかったんだろう、って。だから、そういう時は、上村さんの提案してきた言葉以外の言葉を一生懸命捜すんです。力つきて、服従することもありますが(笑)。

上村:たとえば、さっき話に出た浅羽さんの場合は、さすがにベテランだけあって、いただいた原稿のレベルが最初から非常に高かったですね。それでも、こちらが鉛筆を入れたものをまったく受けつけない、という姿勢ではなかったですよ。

原田:わたしの場合はとてもラッキーで、駆け出し時代から、上村さんとのやりとりで、訳文を練っていくプロセスを実践的に教わってきました。しかし、これは翻訳者としては甘えているわけですから、今はそのプロセスを自分一人でこなしてから、編集者に原稿を渡す努力しています。

上村:でも、原稿を「寝かせる」時間がなかったりすると、一人の目では気づかないところもありますからね。

原田:あそこまで鉛筆入れるなら、自分で訳しちゃった方が早くないですか? あるいは、作品を書いてしまうとか?

上村:編集者をやめたら、そういう可能性もありますね。でも編集者というのは、原稿に対して突っこみを入れていく側なんですよ。逆に。創作するとなると勢いで走る部分が必要ですから、それに自分でチェックを入れていくのは、かなりしんどいでしょうねえ。

原田:でも、そう考えると、翻訳というのは、作る側とチェックする側の双方に回らなければならない仕事ということになりますね。

上村:そうですよ。みなさんにそこまでやっていただいて、いわゆる「完全原稿」を出してもらえれば、編集者としてはとっても楽なんですけど。

原田:ああ、やぶへびだった(笑)! ただ、文章というのは、どこかで趣味や感覚の部分が残りますから、そういう意味での完全原稿はありえないと思いますがね。

斎藤:うかがっていると、訳文について、それだけのやりとりをしていくには、編集者と翻訳者のあいだに相当の信頼関係が必要だと感じます。なかなかそこまではできないなあ、と思ってしまいますが、どうでしょう。

上村:うーん、ただ、創作も翻訳も、Aという出版社で出すのと、Bという出版社で出すのとでは、ちがう作品になると思うんですね。だからこそ、編集者と翻訳者のあいだに信頼関係がないと成り立たない仕事だと思うんです。原作者がいて、海外版元の編集者がいて、われわれ編集者と翻訳者がいて、それぞれのバトンタッチが信頼関係のもとに行なわれていることが重要なんです。さらに、本が出たあとも、児童書の場合は、買ってくださるお母さんやお父さんがいて初めて、お子さんの手に渡るわけですから、そこにも信頼関係がある。手渡す人同士がお互いを信頼していることが、とくに子どもの本の場合は大切だと思います。(後半に続く)

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 いやあ、今読んでも、身が引き締まる示唆に富んだお話です。後半もお楽しみに。(M.H.)