翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム「再」再録「原田勝の部屋」 第13回 キャラクターの訳し分け

★セリフによるキャラクターの際立たせ方はとても面白い翻訳作業です。自分は、どこでこういう技(?)を身につけたのかと考えてみると、読書体験はもちろん大きいのですが、中高生のころ、毎日のようにテレビで見ていた洋画劇場の字幕や吹き替えのせりふに基礎があるような気がします。ちょっと大げさな、でも、その人物の性別や年齢、性格を表わす言葉遣いは、たぶん、体に染み付いていたのではないかと……。(2017年08月04日「再」再録)★

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  この回でとりあげた『エアボーン』。飛行船を舞台にした冒険物語で、わたしの大好きな作品です。表紙の絵がいいでしょう。これは坪内好子さんという版画家さんの作品です。この方の版画は雰囲気があっていいですねえ。この表紙の原画、というか、版画は購入できるみたいですが、飾るところないしなあ、と、ずーっと迷っています。

エアボーン

エアボーン

 

  では、どうぞ。

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第13回 キャラクターの訳し分け

(2008年11月4日掲載、2015年04月13日再録)

 

 読者のみなさんは、地の文とせりふ、どちらを翻訳するのが好きですか?

 わたし? わたしはもちろんせりふです。だって、せりふがあると余白が増え、ページ数が稼げて、仕事がはかどった気がしますから。いや、冗談、冗談。でも、せりふ部分の翻訳はけっこう楽しんでやっていることが多いのは事実です。

 

 せりふの処理がうまく行くと、登場人物の輪郭が際立ち、とたんに物語が生き生きしてきますよね。もちろん、実際に口に出したせりふだけでなく、一人称の場合は主人公が心の内を地の文で吐露しますから、これも広い意味ではせりふです。

 

登場人物の声

 例を挙げて考えてみましょう。

 登場人物AがBにむかって、“I love this city.” と言ったとしましょう。訳文にはどんなバリエーションがあるでしょうか。以下の訳例から、AとBはそれぞれどんな人物で、お互いどんな関係なのか、そして、this cityとは、パリなのか、ニューヨークなのか、浅草、六本木、京都、倉敷、博多、などなど、いろいろ想像してみてください。

「おれ、この町が好きなんだ」「あたし、この街が好き」「わたしはこの町を愛しているのです」「たまらないね、この街は」「ここは最高よ」「わたしにとって、ここはかけがえのない街なのです」「よそじゃ暮らせんな」「イケてるよな、このあたり」「恋してるの、この街に」「ぼくはここがいい」「ヤバイぜ、ここ」……。

 ちょっとやりすぎの感もありますが、こうやって訳し分けてみただけで、なんだか一つ一つのせりふの裏に物語が感じられますよね。実際にはその逆で、物語はすでに原作の中にあるわけですから、それをもっともよく読者に伝わるような表現を、そして、いかにもその人物が言いそうな言葉づかいを選択するわけです。

 そして、文末の処理という点から見ると、上の例では「〜だ」「〜です」「〜ね」「〜よ」「〜よな」「〜の」「〜ぜ」等、変えてみました。これで、相当程度、話している人の人物像や相手との人間関係が感じられます。いや、じつは、これも発想が逆で、性格や人間関係といった情報は、物語とともにすでに原作の中にあるのですから、それをできるだけ壊さないような日本語を選択してやると言った方が正しいでしょう。

 よく、登場人物の声が聞こえる、と言いますが、これは少々うさん臭い話で、じつは「読み手である自分が、そう聞こえるように解釈している」というのが正しいように思います。ですから、当然、解釈を間違えている可能性だってあるのです。でも、十人の読者のうち八人はそれに近い感覚を覚えるような、そういう声のレンジがあるのも事実ではないでしょうか。それを探り当てる気持ちで原書を読み進めながら、頭の中に確固とした人物像を描いていく必要があります。

 ここが大切で、ページをめくるたびにセリフから感じとれる人物像が変わってしまわないよう、翻訳者の頭の中で人物像を少しずつ確かなものにしながら訳し通すのです。そして、あとで読み返して赤を入れる際に、「ああ、トムは絶対こんな言葉づかいしないな。直そ」とか、「あちゃー、ちょっと、スージーはじけすぎ。直さなきゃ」となればしめたものです。

 

言葉づかいは相手しだい

 確固とした人物像と書きましたが、人は相手によって言葉づかいを変えますし、また相手との関係が物語の進行とともに変われば、やはり言葉づかいも変わっていきます。これを訳文で表わすのはなかなか難しいのですが、やりがいのあるところでもあります。

 わたしの訳した作品に、『エアボーン』(ケネス・オッペル作、小学館刊)という、飛行船を舞台にした冒険小説があります。主人公はいつか飛行船の船長になりたいと思っているキャビンボーイの少年マット・クルーズ、彼の相手役は、富豪のお嬢さんなのに冒険大好きのケイト・デヴリースです。この二人のやりとりを例にとって考えてみましょう。

 まず、会ってまもなく、飛行船に搭乗してきたケイトに、マットが船内の見学ツアーを勧める場面から。

 

「飛行船は初めてですか?」ぼくは尋ねた。

「ええ、そうなの」

「興味がおありでしたら、昼食前に船内ツアーがありますが、いかがです?」

「ぜひ参加したいわ」

 ここでは会ったばかりの二人は、ボーイと一等客室の乗客という立場でしゃべっていますが、しだいに意気投合して、二人だけの時はとても親しい口調で話すようになります。その後、飛行船は事故に遭って無人島に不時着するのですが、その直後の二人はこんな感じです。

 

「わたしは悲鳴をあげて走りまわったりしないわよ。でも、いざとなったらだれかを食べちゃうっていうのはありだと思う。ほかにどうしようもなくなったら、ってことだけどね」

「きみならやりそうだ」

「ねえ、マット。こんな場所にいるなんて、ちょっとわくわくしてこない?」

「全然」

  二人ともかなり地が出ています。ここまで来れば、あとは頭がよくて無鉄砲なお嬢さんという設定で、ケイトはがんがん行けますし、マットは、ある意味、読者の分身として、揺れ動く心を言葉にしていくことになります。でも、やっぱり乗客と船員ですから、人前では立場を考えて、このあともこんな調子の会話が出てきます。

「こんにちは、クルーズさん。ご機嫌いかが?」

「ありがとうございます、上々ですよ。デヴリーズさんはいかがです?」

 

 まあ、一つの例を挙げましたが、このように、場面に応じて登場人物がどんな話し方をするのか考えるのは楽しくてしかたがありません。え? 英語はどうなっているかって? では、原文に当たってみましょう。

 

 “Is it your first time aboard an airship, Miss?” I asked her.

 “It is, yes,” she said.

 “If you’re interested, there will be a tour later this morning.”

 “I’d like that very much.”

 これが最初の場面ですね。二人とも丁寧な言葉づかいです。では、次の場面を。

 

“I wouldn’t run around screaming,” she said. “I can see eating someone in a pinch, though. If it really came down to it, I mean.”

 “I don’t doubt it.”

 “Come on, Matt Cruse, don’t you find it just a bit exciting, being here?”

 “No.”

  だいぶ打ち解けているようですね。この二カ所の例では、英語のトーンもそれなりに二人の関係を表わしています。ただし、最初に挙げた “I love this city.” の例でわかるように、じつはそこだけ見てもどういう日本語の口調がふさわしいのかわからない場合の方が多いかもしれません。それは、日本語と英語で敬意を表わす場面や方法が違ったり、あるいは、男女の言葉づかいに差があったりなかったりすることから来ています。でも、原文のその部分だけではわからなくても、あくまで日本語として読んだ時に、作品を通して人物像がぶれないことを優先すべきでしょう。読者は日本語しか見ないのですから。

 

この人はどんな人?

 さて、ここで初めての試みですが、宿題を出しておきます。やはりわたしの訳書の中からの抜粋です。Aはイギリス人で、初めてオランダのアムステルダムにやってきた高校生の男の子。では、Bの年齢・性別などの人物像を想像してみてください。ちなみに、Bはオランダ人で、服装は、「白いTシャツの上に大きめの黒い革のハーフジャケットをはおり、細身の黒いジーンズをはいて」います。また、二行目の○○の部分には、彼または彼女が入ります。

 

A「きみは観光客じゃないんだ?」

 ◯◯は口の端にゆがんだ笑みを浮かべた。

B「ううん。ただ──英語でどういうんだっけ──パッシング・オーヴァーかな?──で、なにか飲みたくなって」

A「通りがかりって意味なら、パッシング・バイだよ。パッシング・オーヴァーじゃあ、きみは死にかけてることになる」

 今度は皮肉っぽい、低い笑い声。

B「まだ死にたくないな」

A「じゅうぶん元気そうに見えるよ」

B「よかった!」胸をなでおろすしぐさ。そして手をさし出してくる。「名前はトン、よろしく」

A「ぼくはジャック」

 答えながら束の間の接触を楽しむ。イギリス流のしっかり握って手を上下させる握手が抱擁なら、すばやく力を入れないこの握手は、さしずめ手と手のキスといったところか。

 

 次回は宿題の解説から、地の文の文末処理の話を書いてみたいと思います。

(M.H.)