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翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 第21回 タイトルはだれが決める

コラム再録「原田勝の部屋」

 最新刊『ハーレムの闘う本屋 ルイス・ミショーの生涯』のタイトルは、けっこう考えましたねえ。原書タイトルは、"No Crystal Stair"。これは、作中に引用されている、ラングストン・ヒューズの詩、"Mother to Son"の一節です。

 最初はこれをそのまま、『水晶の階段じゃなかったけれど』としていました。表紙のラフも、このタイトルで作ったものもあったんです。「水晶」という文字にインパクトがあって、いいなあと思っていたのですが、内容がさっぱりわからない、ということで、いろいろ考えて『ハーレムの闘う本屋』になりました。

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第21回 タイトルはだれが決める

(2010年2月1日掲載記事 再録)

 

タイトルはだれが決める

 訳書のタイトルは、いつ、だれが、どうやって決めるか、ご存知ですか? 

 訳者が決めていると思っている方もいらっしゃるようですが、じつは、訳者には最終決定権がありません。タイトルは本の顔であり、分類や検索のよりどころでもあり、また一種の宣伝ツールでもあるわけで、本を売るという側面から見れば、装幀や造本や価格と同じく、出版社が決定権をもっているといっていいでしょう。そうは言いながら、中身とかけはなれたタイトルをつけるのは詐欺行為ですし、原作への敬意に欠けます。そこで、編集者と翻訳者が、ともに頭を悩ませる、というのが通常のパターンかと思います。

 今回は、わたしの訳書を題材に、タイトルの決め方や裏話を書いてみることにしましょう。わたしのプロフィール欄から訳書リストが開けますので、そちらも参考にしていただければと思います。

 

パターン①:原題をカタカナ読みする

 これが一番楽なケース。細かく分類すると、固有名詞ではない原題をそのままカタカナにするケースと、固有名詞そのままのケースがあります。

 わたしの訳書で言えば、『ミッドナイトブルー』は原題も ”Midnight Blue”、固有名詞ではないので前者のパターンですね。『ブック・オブ・ザ・ダンカウ』(“The Book of the Dun Cow”)、『エアボーン』(“Airborn”)などもそうです。映画で言えば、『スターウォーズ』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のパターンでしょうか。

 固有名詞そのままパターンは、ガース・ニクス作の古王国記シリーズ、『サブリエル』(“Sabriel”)、『ライラエル』(“Lirael”)などがそうです。映画で言えば、『シェーン』や『カサブランカ』パターンですね。SabrielとLiraelは主人公の名前でもあるのですが、ちょっと変わった名前で、英語圏で多く使われる名前ではありません。海外の読者も、この二つの「タイトル=名前」はどう発音するのか迷うらしく、質問メールを出す人があとを断たなかったようで、原作者のニクスはウェブ上で読み方を発表しています。それによると、正確には「サブリーエル」もしくは「セイブリーエル」(作者自身がどっちでもいいと言っています)、そして、「リレイエル」が正しいようです。固有名詞の表記は原音に忠実な方がいいとは思いますが、主人公の名前は何度も出てくるので、日本人が発音しやすい音に多少修正するのは仕方がないことだと思っています。

 古王国記では、原作にはないサブタイトルがつけられましたが、これは版元である主婦の友社の編集者さんが考えてくれました。『サブリエル』には「冥界の扉」、『ライラエル』には「氷の迷宮」という副題がついていて、作品の雰囲気をよく表わしています。三作目の『アブホーセン』(これもまあ固有名詞みたいなもので、作者の造語です)の副題「聖賢の絆」は、わたしが考えました。おわかりのとおり、副題はいずれも「の」をはさんで漢字三文字を組み合わせています。この三作のタイトルは、シリーズものとしての統一感があり、副題も併せて、わたしの好きなタイトル群です。

 

パターン②:原題を直訳する

 直訳パターンは、それがかっこいい邦題になれば、原題も生かせるし、満足感の大きい方法です。映画で言えば、『第三の男』(“The Third Man”)や『理由なき反抗』(“Rebel Without a Cause”)でしょうか。わたしの訳書では、『星の使者』(“Starry Messenger”)、『〈ナイト・シー〉の壁をぬけて』(“Through the Nightsea Wall”)、『月曜日は赤』(“Mondays Are Red”)などがこれに当たります。

 ガリレオの伝記絵本である『星の使者』の場合、原題が、ガリレオ自身が残した著作の題名”Starry Messenger”(もとはラテン語、日本では『星界の報告』または『星界の使者』と訳されている)と同じであり、またガリレオその人を表わす象徴的な意味もあるわけで、変えようがない、という事情もありました。

『月曜日は赤』は、原題からして、おやっ、と思わせます。主人公は、複数の感覚が混じりあってしまう「共感覚」という感覚の持ち主で、「月曜日」と聞くと「赤」を連想してしまう少年なので、キャッチーであると同時に、内容も象徴していて、かつシンプル。こういう原題だと、翻訳出版が決まった時にはもう、邦題も決まったようなものです。

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パターン③:新しいタイトルを考える

 映画で言えば、『愛と青春の旅立ち』(“An Officer and a Gentleman”)とか、『明日に向かって撃て』(“Butch Cassidy and the Sundance Kid”)のパターンですが、これが大変。なかなか決まらず、七転八倒することもあります。一つの作品に五十個くらい案を考えたこともありますし、今日中に決めなきゃ、と言って、二、三時間、編集者とにらめっこ状態になったこともあります。

 最近の本は電子写植ですから、テキストそのものは印刷所に送るぎりぎりまで手直しができます。でもタイトルについては、装幀や宣伝の関係で、校了より先に決めなければなりません。訳者は案を出し(あるいは、いい案がないから編集者に一任する旨を宣言し)、編集者は社内で複数の人の意見を聞いて決める、ということが多いようです。

 わたしの訳書で言えば、『ぼくの心の闇の声』(“Tunes For Bears To Dance To”)や、『二つの旅の終わりに』(“Postcards From No Man’s Land”)などがこのパターンです。

 たとえば『ぼくの心の闇の声』の原題は、直訳すると「熊を踊らせるための調べ」という意味で、作品の冒頭に引用されたフローベールの『ボヴァリー夫人』からの引用、「人の言葉は割れ鍋のようなもので、いくら叩いたところで熊を踊らせるのが精一杯、しかしわれわれはいつだって、星の心を動かそうと願っているのだ。」という文章にもとづいています。作者ロバート・コーミアの、言葉の力への信頼や希望を表わすタイトルなのですが、ちょっと理が勝っていて、内容もさっぱりわかりません。そもそも、昔、ヨーロッパでは、熊を踊らせる大道芸があったことなど、日本人の読者はふつう知りませんしね。そこで、このタイトルをひねり出しました。なんとなく内容を表わしているのですが、リズム感があることが決め手でした。狙ったわけではありませんが、七五調になっています。内容が気になる方はぜひ読んでみてください。コーミアらしい、いい作品です。

 このタイトルには後日談があって、訳書が出版された後、見本を作者のコーミア氏に送り、同封した礼状に、「原題は直訳するとわかりにくいから、”The Voice From the Darkness Of My Heart”という意味の日本語に変えさせてもらった」と書いておきました。別に、邦題に関して原作者の了承を得る必要もないのですが、知っておいてほしいと思ったからです。すると、返事が返ってきて、「タイトルの変更は承知した。新しい書名が気に入ったので、そのうち使わせてもらうかもしれない」と書いてあったのです。わたしはとてもうれしくて、いつかこのタイトルのコーミア作品が出るといいなあ、と思っていました。残念ながら、そういう作品は出ないまま、氏は2000年に亡くなってしまいました。まあ、社交辞令だったとは思いますが、頭をひねった分、望外のご褒美をもらった気がしたものです。

 

 という具合に、すべての訳書にタイトル決めのストーリーがあるのですが、紙面も尽きました。このあたりで切り上げましょう。タイトル決めは、どこか子どもの名付けにも似て、責任重大、けれど楽しい作業です。難しくて苦労することもありますが、これから先、何度でも引き受けたい苦労です。

(M.H.)