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翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 第22回 出だしは力が入るもの

 この回でとりあげたYA小説は、『スピリットベアにふれた島』(ベン・マイケルセン作、鈴木出版、2010年)です。原題は、"Touching Spirit Bear"。読書感想文の課題図書になったおかげで、たくさんの中学生に読んでもらうことができました。

 この装幀、大好きです。装幀は長坂勇司さん、装画はヒロミチイトさんです。

スピリットベアにふれた島 (鈴木出版の海外児童文学―この地球を生きる子どもたち)

スピリットベアにふれた島 (鈴木出版の海外児童文学―この地球を生きる子どもたち)

 

 

 装画は背表紙までぐるりと回っています。

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第22回 出だしは力が入るもの

(2010年3月15日掲載記事 再録)

 

出だしは力が入るもの

 年が改まり、次のYA小説の翻訳にとりかかったところ、出だしの部分でずいぶん考えました。というより、このコラムを書いているせいか、自分がいろいろ考えていることに気がついた、と言った方がいいのかもしれません。この話を題材にすれば、翻訳作業の一部があぶり出されるのではないかと思いますので、少しだけですが、考えたことや調べものの手順を再現してみます。

 

第一段落

 まず、翻訳にかかる前に、作品全体をもう一度読み直しました。引き受ける時に通読しているのですが、一年ほど前のことなので、細かいところは忘れていましたし、記憶と違うところもありました。その時、舞台が現代のアメリカ、アラスカ州であること、主人公が十五歳の少年であること、さらに、この作品が三人称ではあるが、一貫して主人公の視点で書かれていることを確かめてあります。

 作品の冒頭はこうです。

 

   Cole Matthews knelt defiantly in the bow of the aluminum skiff as he faced forward into a cold September wind. Worn steel handcuffs bit at his wrists each time the small craft slapped into another wave. Overhead, a gray-matted sky hung like a bad omen. Cole strained at the cuffs even though he had agreed to wear them until he was freed on the island to begin his banishment. Agreeing to spend a whole year alone in Southeast Alaska had been his only way of avoiding a jail cell in Minneapolis.

     ( “Touching Spirit Bear”(2001), by Ben Mikaelsen )

  よくあるタイプの書き出しかもしれません。主人公が船に乗って、これから小説の舞台となる島に向かっているところです。なかなか、かっこいい書き出しですよね。では、訳文を決める上で考えたこと、調べたことを以下に挙げてみます。

 

第一文

① Cole Matthews
 Coleは発音に近い表記にすれば「コウル」です。でも、やっぱり「コール」でしょうね。なにか意味はあるのでしょうか? 辞書を引くと、coleには「アブラナ属の植物(=colewort)。ブロッコリー・キャベツ・カリフラワーなど」とあります。関係なさそう。名付けのサイトで調べてみると、coalと関係があって、色黒とか石炭に由来する名前のようです。へえ、女の子にもつけるんだ。姓にも使われていて、ナット・キング・コール(Nat ‘King’ Cole)もそうですね。ははあ、Nicholasのニックネームの可能性もあるぞ。でも、たしか、作中でニコラスと呼ばれる場面は出てこなかったはず。ニコラスといえば、サンタクロースはSaint Nicholasだし、ロシヤ皇帝ニコライも英語ではNicholasで、ローマ教皇にもニコラスが何人かいるらしい。

 Matthewsはどうでしょう。表記は「マシューズ」でしょうね。Matthewの息子、という意味らしい。Matthewと言えば、聖書に出てくる十二使徒の一人、マタイがいます。なんだか姓名ともに抹香臭くなってきましたが、アメリカ人の名前としては珍しくないらしいので、深読みはやめておきましょう。名前の由来や人気度などは、名付けのサイトでわかります。”name Cole origin”で検索すると、複数のサイトがヒットしました。アメリカでのCole人気はずいぶん高いようです。念のため、あとで作者に、主人公の名前を決めた経緯を質問しておくかな。

 

② knelt
 kneelでいつも困るのは、ついている膝が、片膝か両膝かということ。手元のAmerican Heritageでは、”To go down or rest on one or both knees.”とありますから、どちらの可能性もあることは明らかです。「跪く」や「膝立ちする」だと両膝の感じが出るし、片膝であることを示したければ、「片膝をつく」とやればいい。でも、かなり印象は違ってきますよね。ここではdefiantlyがあるので、「片膝をつく」でしょう。余談ですが、なぜ英和辞典は、片膝でも両膝でもこの語を使うことを明示してくれていないのでしょうか? 研究社の大英和、リーダーズ、小学館のランダムハウス、大修館のジーニアスをひいてみましたが、どれも両膝・片膝のことには触れていません。

 

③ defiantly
 で、今度はdefiantlyです。リーダーズを見ると、「挑戦的、反抗的、けんか腰、傲然」といった訳語が並んでいます。うーん、どれも使いたくないなあ。なぜなら、こうした日本語は、主人公が挑戦的、反抗的な気分でいることが前提となり、なおかつ、本人がそれを自覚していることがうかがわれるからです。作品の冒頭、第一文ですから、外から見てわかる形容にとどめておきたい。さっき、視点は一貫して、コールの視点をもった三人称だと言いましたが、さすがに、ここではまだ客観的な視点、読者の視点で情景をスケッチしたいですね。それに、「札付きのワル」であるコールが、「挑戦的に」あるいは「反抗的に」立っている、というのは、逆にかっこわるいと思いませんか?

 というわけで、あくまで「外見」の描写にとどめたい。ちなみに、Collins COBUILDでdefiantを調べると”If you are defiant, you show aggression or independence by refusing to obey someone or refusing to behave in the expected way.”とあります。「期待されるように行動することを拒否して、攻撃性や克己心を示す」ってことですよね。”you show”とあるわけで、やはり外見なんです。そこで、とりあえず「肩をそびやかして」という訳語をあてることにしましょう。え? そんなこと書いてないって? でも、なぜコール君がdefiantだと感じられるのでしょうか。おそらく、肩か、あごか、目つきか、姿勢か、どこか外から見てわかるところに気分が滲み出ているはずなのです。

 

④ in the bow of the aluminum skiff
 bowは「船首」「舳先」どっちにしましょうか? 「舳先」かな。「船首」はちょっと大きな船のような気がします。わたしだけの感覚かもしれませんが……。skiffはどうでしょう。調べると、「小型で、喫水が浅くて、船首は尖り、船尾は平らで、一本マストの三角帆があったりなかったり、オールで漕ぐ場合もあり、一人乗りのことが多い」、そういう船を指すそうです。でも、「小型の快速モーターボート」もskiffらしいんです。グーグルの画像検索でskiffを調べると、ヨットやボートから高速艇みたいなやつまでぞろぞろ出てきました。ストライクゾーン広すぎでしょ! ただし、少し先を読んでみると、三人乗ってる船外機付きボートだとわかります。小型であることはまちがいないので、「アルミ製のボート」にしましょう。ふう!

 

⑤ September
 あの、まだ、第一文が終わってないんですけど、どうします? とりあえず、このシーンが九月であることを、訳しながら作成していく「タイムテーブル」にページとともにメモっておきます。あとで、時間の流れにまちがいがないか確認するときに、このタイムテーブルが活躍します。

 

できた訳文は?

「コール・マシューズは、アルミ製ボートの舳先に片膝をつき、肩をそびやかして、冷たい九月の風に頬をさらしていた。」

 あれ? “faced forward”がないな。じゃあ、これでどうだ。

「コール・マシューズは、アルミ製ボートの舳先に片膝をつき、肩をそびやかして、冷たい九月の風に頬をさらしながら前を見ていた。」

 くどいなあ。せっかく考えたけど、「肩をそびやかして」はやめるか。

「コール・マシューズは、アルミ製ボートの舳先に片膝をついて前を見すえ、冷たい九月の風に頬をさらしていた。」

 「片膝ついて」「前を見すえ」てれば、defiantlyだし、face forwardですよね? 視点についても客観描写で収まっているし、文章のリズム感も出ました。作品の「つかみ」ですから、リズム感はとても重要。ああ、くたびれた……。

 

検討課題はまだまだあるぞ

「手錠は両手にかかってるのか?」「両手だとしたら、手は体の前なのか、うしろなのか?」「片手だとすると、どこかに、あるいはだれかと繋がっているのか?」「現代のはずなのに、banishmentは本当に流刑・島流しなのか?」「十五歳の少年がアラスカの孤島で一年の島流し?」「アラスカとミネアポリスに訳注をつけるか、それとも地図を入れてもらうか?」「十五歳の少年がjailに入るのか?」「jailは広い意味で、じつは少年院じゃないのか?」「少年院、って正しい用語なのか?」「鑑別所と少年院ってなにがちがうんだっけ?」「ミネアポリスはミネソタ州だけど、この州の少年法はどうなってるの?」

 とまあ、こんなことをとりあえず考えました。手錠や流刑の件は、先を読むとわかるようになっています。少年院や少年法のことは、もう少し調べるつもりです。いずれにせよ、その場では解決できなくても、こういうことを考えながら翻訳作業を進めていけば、プロットの一貫性やディテールの論理性が保たれ、視点が混乱せずにすみ、情景描写にぶれがなくなると思います。

 作品冒頭ということで、謎も多いし、描写に力も入っているしで、訳者も慎重になる部分です。たぶん、物語が動きだせば少し楽になるはず。でなきゃ、身がもちませんって。

(M.H.)