翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

第二の故郷

 大学を卒業して9年勤めていた会社の上司で、仲人をしてもらった方が亡くなり、葬儀に出るために愛媛に帰ってきました。人間的に大きく、暖かい方でした。

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 わたしは愛媛の工場で、この方に8年間お世話になり、東京に転勤になって1年でその会社をやめてしまったわけですが、退社する時は、引き止めることもなく、わたしの意志を尊重し、応援してくれました。家内の実家に帰省するたびにお宅を訪ね、息子を連れて行き、奥様ともおしゃべりをしてきました。この一月にもお会いしたばかりだったので、残念でなりません。

 翻訳の仕事を始め、訳本が出るたびに、必ず、一冊送っていました。あんなにお世話になったのに、会社をやめてしまった後ろめたさもありましたし、自分の選んだ道で出した成果を報告せずにはいられない気持ちだったのです。すると、必ず、葉書か手紙、電話で言葉をいただきました。筆まめで、お人柄の滲む文章を書かれる方でした。

 

 

 

「愛媛に帰る」と書きましたが、わたしは神奈川生まれ、今は埼玉に暮らしています。でも、社会人としてスタートを切り、結婚し、家内の親戚が住む愛媛は、第二の故郷なので、「行く」ではなく「帰る」、なのです。結婚した時は、「本籍は結婚した土地にするといい」という父の勧めにしたがって、本籍を愛媛にしました。

 愛媛での8年は、わたしにとって、とても大きな財産です。大学を卒業するまで、なんとなく東京に顔をむけて成長してきた首都圏生まれのわたしは、愛媛で地方都市の良さ、というか、東京一極集中の特殊性に気づきました。工場という職場がら、ものづくりやそれに携わる人たちを知ったこと、仕事でイラクに1年滞在したことなど、今のわたしのかなりの部分を、この8年が作ったと思います。

 毎年、愛媛に帰省していても、親戚には会うものの、当時の会社の先輩方と会うことはありませんでした。ですが、今回、葬儀場で、たくさんの先輩方とお会いすることができました。この25年あまり、年賀状だけでおつきあいしてきた皆さんが、わたしとわかると、すぐに打ち解けて話をしてくださり、まるで同窓会に行ったような気持ちになりました。今さらながら、自分はなんて周囲の人に恵まれていたのだろう、と思いました。

 そして、こうした場を与えてくださったことを仲人さんに感謝しながら、最後のお見送りをしました。

 

 次の訳本も、また一冊、送ろうと思います。(M.H.)