翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 第26回 現場の力

    この回は、はからずも、昨日の記事に書いた愛媛の工場でのことに触れています。

 わたしがかつて勤めていたその重機械メーカーは、いろいろなものを作っていますが、当時は、これも作っていました。露天掘りの鉱山で発破をかけたあとの表土を取り除く巨大電動ショベルカーです。

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 右下のダンプカーも、ふつうの大きさではなく、タイヤの径が3メートルくらいあります。いかに巨大なショベルカーかがわかるでしょう。これは、旧ソ連時代に行った、西シベリヤのケメロボ炭鉱での写真です。4ヶ月間だけ現地に行きましたが、ちょうど10月から1月という寒い時期で、零下35度という寒さを経験しました。

 

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第26回 現場の力

(2010年9月13日掲載記事 再録)

 

 大学を卒業してから十年近く重機械メーカーに勤めていたのですが、翻訳の仕事をするようになってから、ある時ふと、仕事のプロセスは同じだ、と思いました。

 

翻訳者は一人会社だ

 重機械メーカーでは、受注生産の商品を納めるまでに、おおよそ次のような手順を踏みます。まず、営業部が営業活動の末に商品を受注します。次に設計部が客先と細かな仕様を詰めて設計し、その設計図にもとづいて工場の生産管理部が納期に間に合うよう工程表を作ります。資材部が材料や部品を発注し、とどいた材料や部品を製造部、つまり現場の人たちが加工し、組み立てていきます。検査部ができあがった製品を検査し、輸送部が指定された場所まで運んでいって、工事部が据え付け・納入します。さらに、営業部は代金を回収し、経理部は会計処理をして、予算・決算に反映していきます。

 翻訳の場合はどうでしょうか? 翻訳者はまず、自ら営業部となって出版社から仕事をもらってこなければなりません。受注したら、どういうタッチの作品にしあげるか、漢字はどの程度使うか、読者はどれくらいの年齢層に設定するか、という仕様を打ちあわせます。仕様と言ったって、すでに原作という設計図があるのですから、打ち合わせなどないことが多いですけれど。でも、横書きが縦書きになるのですから、左ハンドルの自動車を、右ハンドルに仕様変更するくらいの配慮は必要でしょう。当然、締め切りがありますから、それに間に合うよう進度予定表を作り、あとはこつこつ、今度は現場の職人さんになって腕をふるい、いい製品を作らなければなりません。工場の工作機械やクレーンが古くなったら設備更新するように、われわれもパソコンや辞書を更新していきます。

 製品が完成したら、検査部の検査にパスしなければ出荷できません。企業だと製造部門と検査部門は別で、外部機関の検査にもパスしなければならないことがありますが、翻訳者の場合は製造も検査も自分一人です。編集者や校正者も検査してくれますが、頼りすぎてはいけません。あくまで、自分一人が企業だと思って、検査部の目で製造部のミスを見ぬかなければなりません。まあ、これが難しいわけですが、最終顧客は読者の皆さんです。甘い検査で欠陥品を出荷するわけにはいきませんよね。

 原稿の輸送は宅配便任せのこともあれば、自らの足で納品することもあります。代金回収も自分でやらないと、だれもやってくれません。まあ、だいたいは予定どおりに入金されるのですが、間違いがないとも限りませんから。年度末には確定申告し、もっとがんばらないと赤字企業に転落だぞ、と思うわけです。

 

翻訳は一品受注のものづくり

 というわけで、翻訳者は製造業、すなわち、ものづくりをしている企業によく似ています。大きな機械を製造するように、訳書を生みだすため、同様の工程を一人何役にもなってこなしているわけです。メーカーの業績が景気に左右されるのと同じで、翻訳者の業績も外的な要因に大いに左右されます。しかも、工場の急な増設ができず、生産能力に限界があることもよく似ています。依頼が重なると仕事を断わらざるを得ないのに、本業の売り上げ(印税)だけでは食べていけず、事業の多角化(ほかの仕事とのかけもち)や、関連会社(家内の収入)との連結決算でようやく赤字を補填するという、綱渡り経営を強いられるところまでそっくりです。

 でも、商社や小売業、運送や流通とはもちろん、大量生産の製造業ともちがって、翻訳には、重機械や船などと同じ、一品受注生産の醍醐味があります。二度と同じ製品は作らず、毎回ちがった図面に従って製品ができあがっていく面白さは格別です。大量生産品では、時おり不良品を回収し、作りなおして再納入していますが、受注生産品ではそうは行きません。初めて作った製品を、きちんと設計どおりに動くものに仕上げなくてはならないのです。

 

現場の力

 よく、日本経済の強みは現場にある。日本の製造業の技術力は今でも世界トップクラスだ、と言われます。わたしはメーカー勤務時代の大半を、工場の管理部門や海外の据え付け現場で過ごしたので、ほんとうにそのとおりだと実感していました。一般に、経営計画を練り、新商品を開発・設計し、営業する人たち、いわゆるホワイトカラーの人たちのほうが高い給料をもらっているわけですが、じつは彼らには、溶接もガス切断も足場組みも塗装も配線も、なにもできません。製品を作っているのは、汗をかき、油まみれになって働く現場の人たちです。そして彼らは勤勉で優秀でした。工期が一年も二年もかかる製品を、工程表にしたがって着実に形にしてゆき、全長が数十メートルにも及ぶ機械をミリ単位の誤差で仕上げる力が「現場」にはありました。

 右も左もわからない若僧のわたしは、現場の人たちにさまざまなことを教わり、可愛がってもらいましたが、なにより記憶に残っているのは、いい製品を作ろうという意欲と、決して手を抜かない誠実さでした。しかもその姿勢は、目の前にいる人が契約先の人たちでも、社内の管理部門や設計部門の人たちでも、検査技師でも、相手を見て変わるようなことはありません。それだけ自分たちの仕事に誇りをもっていたのだと思います。

 わたしたち翻訳者に求められる姿勢も、これとまったく同じです。先に述べたように、翻訳者にはさまざまな立場での仕事が求められますが、すべては、翻訳作業そのもののためにあります。工場の現場の人たちが誇りをもって機械を組み立てているように、われわれ翻訳者も、誇りをもって翻訳作業にあたらなければなりません。

 

手を抜かない製品は美しい

 わたしはよく、現場を歩きまわって、記録や代金回収、広告宣伝のために製品の写真を撮影していましたが、これは結構好きな仕事でした。とくに、巨大なクレーンや運搬機械が工場内のヤードに仮組みされてその偉容を現わした時、そして、仕上げ塗装が終わった鉄の構築物が夕日を浴びて輝く時など、ああ、きれいだなあ、と感嘆したものです。何千という部品を一つ一つ、何カ月にもわたって組み立てていった成果がそこにあるのです。奇をてらったオブジェではなく、いずれ実用に供される巨大な製品には、必ず、「用の美」と呼ぶべき美しさがありました。

 最近、思うのです。翻訳も、かくあるべし、と。

(M.H.)