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翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 第30回 翻訳者の若書き

 わたしの「若書き」ならぬ、「若訳」は、これ。

未知の生命体―UFO誘拐体験者たちの証言 (SECRET LIFE)

未知の生命体―UFO誘拐体験者たちの証言 (SECRET LIFE)

  • 作者: デイヴィッド・M.ジェイコブズ,David Michael Jacobs,矢追純一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1994/05
  • メディア: 単行本
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 わたしが初めて翻訳した本です。

 UFO研究で有名な、あの矢追純一さんの下訳をやらせていただきました。いわゆるUFOものですが、アメリカの大学教授が論理的に分析して書いた本です。

 ちゃんと奥付にはわたしの名前も出てますし、印税もいただきました。

 

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第30回 翻訳者の若書き

(2011年2月21日掲載記事 再録)

 

 とくに後年一定の評価を受けた作家や画家、あるいは作曲家の若い頃の作品を、「若書き」と言いますよね。この言葉は往々にして、「あれだけの作家も、若い頃はこんなに未熟なものを書いていたのか」というニュアンスを含みます。しかし、一流の作家の駆けだし時分の作品には、やはり、きらりと光るものがあって、欠点も目立つけれど、その輝きを見つけるのが読者の楽しみだったりもします。

 見方を変えれば、作家は独創性や将来性を担保にして未熟な作品を世に問うことができ、それが一定の評価を得る可能性もあるわけです。たとえ、なんの評価もされなくても、だれに迷惑をかけるわけでもなく、次に良い作品を書けばいいのです。いや、それは次の作品である必要さえなく、十作目でも、二十作目でも、傑作は傑作として、栄誉はすべてその作家のものとなり、それまでの九作の、あるいは十九作の凡作は、その傑作の評価をなんら貶めるものではありません。

 

「若訳」は許されない

 では、翻訳者の場合はどうでしょう? 訳者だって経験が浅ければ、当然、訳文の完成度は低いはずです。そして、その訳文がそのまま本になってしまったら、読者は訳者紹介を読んで、「ああ、この訳者はまだ若いから(経験が浅いから)しかたないね。これは『若訳』だ。五年後が楽しみだよ」と言ってくれるでしょうか? いいえ、そんなことはありません。下手くそな翻訳だ、原作者がかわいそうだ、と言われておしまいです。

 つまり、作家は認められるまで何作でも作品を世に問い続けることができるのに、翻訳者は一作目から一定水準の訳文を求められるのです。「さすがベテラン翻訳家、流麗な訳文だ」などと言う時、裏返せばそれは、駆け出しの訳者は訳文が硬い、と言っているに等しいわけで、わたし自身の経験でも、それはある程度事実だと思います。それでも必ず、作品として成立するレベルはクリアしなければなりませんし、二作目以降も常に安定した訳文を、どんな原作に対しても提供することを求められます。

 翻訳者の場合、作家の若書きにあたるものは、訳書を出すまでの修業時代に作る訳文かもしれません。わたしが師事していた金原瑞人先生は、よく、こうおっしゃっていました。「資格があるわけじゃないし、一冊でも訳書が出れば翻訳家です。今は、チャンスが巡ってきた時に仕事を受けられるだけの力をつけましょう」と。

 まさにそのとおり。つまり、チャンスが来るまでに、一定水準の訳文を、基本的には自分一人の力で生みだす力をつけておくべきなのです。その勉強中に作る「若訳」が、作家の「若書き」とちがうのは、表に出せるものではないということと、独創性を評価するのではなく、欠点をチェックすべきものだ、ということでしょう。

 

初めての仕事までにできること

 では、なにを意識して勉強すればいいのでしょう? 細かいことを上げればキリがありませんが、仕事を受ける準備としては、とくに次の三つが大切なのではないでしょうか。

 

(1)一定量を訳す。
 翻訳を学んでいると、どうしても、短い文章の厳密な訳出に終始してしまいがちですが、実際に訳していると、全編を通じてのトーンの調整や、訳語の統一、登場人物のキャラクター設定、効果的な対比、重複表現の回避、かな漢字の選択・統一といった問題が大きなウェイトを占めていることを感じます。ですから、やはり、原書で百ページ、二百ページのものを訳した経験があるといいですね。

 

(2)自分の訳文を直す。
 これはとても大切です。いわゆる「翻訳の技術」を話題にする時、原文から日本語にするテクニックばかりがとりあげられますが、じつは、同じくらい大切なのは、自分の訳文を読み直して改善するスキルではないでしょうか。具体的には、原文との突き合わせをし直すことが一つ。もう一つは、訳文だけを、小説として読める水準になっているかという視点で何度も読みかえすこと。十回読めば、十回目に気づく修正点が必ずあるはずです。そして、いずれの作業も、まとまった量の訳文であることが望ましいと思います。

 

(3)ベクトルを自分に向ける。
 勉強中は、どうしても「模範解答」にベクトルが向かいがちですが、あくまで自分の中に文章を蓄積するというベクトルで、原文や、他人の訳文、自分の訳文を見るべきです。いずれ似たような原文に出会った時、自分の頭の中からふさわしい日本語が出てくるだろうか、この表現は自分の表現として使えるだろうか、と意識し続けるのです。

 

編集者・校正者との連携

 努力のかいあって、めでたく翻訳を依頼された時はどうするか? 大切なのは自分の力を過信せず、複数の人の目で訳稿をチェックしてもらうことです。

 なにを甘いことを言っているんだ、と思われるかもしれませんが、客観的に考えれば、今まで訳書を出したことのない翻訳者の訳文が、最初からすばらしい出来栄えである可能性が低いのはだれでもわかるはずです。どの編集者も、それを承知で訳者の選定を行なったはずですから、経験の浅い訳者に対しては積極的にサポートしてくれることでしょう。

 わたしの場合は本当に恵まれていて、とくに最初の何作かは、編集者・校正者の方々から、原文との突き合わせをはじめ、適切な訳語の提案、誤用の訂正、かな漢字の統一に関して、とても丁寧なアドバイスをもらいました。その時は大変でしたが、今思うと、いくら感謝してもしきれないほどありがたいことです。もし、最初に書いた拙い訳文がそのまま本になって出版されていたらと思うと、ぞっとします。

 自分の訳文を読み直して改善するスキルは、最初のうちはあまり身についていません。言われれば理解できるのですが、悪いところが自分ではなかなか見つからないものです。経験豊富な訳者の訳稿でも、編集者や校正者はチェック・提案をしてくれますが、経験の浅い翻訳者には、複数の目によるチェックがいっそう必要だと思います。可能なら、先輩や友人の力を借りてもいいでしょう。そして、もらった助言を受け入れる気持ちも大切ですね。人に訳文を直されるのは精神的につらいものですが、そこは「いい作品にする」という目的を忘れずに対応したいものです。

 

余裕のあるスケジュールを

 そして、できるだけ余裕のあるスケジュールを組むべきだと思います。出版社から最初に提示されたスケジュールは仮の予定かもしれず、希望を伝えれば、多少の融通が利く場合もあるでしょう。となると、自分の翻訳の速度を知らなければなりません。そのためにも、前述したように、それなりの量の原文を訳す経験を積んでおいたほうがいいと思います。推敲にかける時間も充分とりたいですね。

 一冊の翻訳を任されたわけですから、技量は必要な水準に達しているはずです。時間の余裕さえあれば実力を発揮できるでしょう。納期が短いのなら、寝ずにパソコンに向かえばいいじゃないかと思うかもしれませんが、経験の少ない翻訳者が、時間に追われて、全編、一定の水準以上の訳文を書き続けられるとは思えません。

 そして、厄介なことに、出版されてしまった作品は回収できず(翻訳がひどくて回収されたら、それこそとりかえしがつきません)、訳者の評価も消すことができないのです。作家なら、それこそ「若書き」の一言で片づけられますが、翻訳者の場合は、次から声がかからなくなってしまう恐れがあります。

 え? 「若書き」、「若訳」と言ったって、そもそも、わたしはもう若くない、ですって? いえいえ、これは新しいことにチャレンジする気持ちの問題でもあるのですから。

(M.H.)