翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 第43回 束見本(つかみほん)

 物としての本に、大きな魅力を感じます。装幀は気になりますねえ。生まれ変わったら装幀家になりたい。

 奇しくも、この回でとりあげた二冊の訳書、『大地のランナー』と『フェリックスとゼルダ』は、それぞれ、読書感想画と読書感想文の課題図書になり、多くの中学生に読んでもらうことができました。課題図書の選定にあたっては、間接的に装幀の魅力も関与したのではないかと想像します。

 いずれも、文学としての完成度が高い作品だと思います。感想文や絵は書かなくて結構ですから(笑)、ぜひ、読んでみてください。

大地のランナー―自由へのマラソン (鈴木出版の海外児童文学―この地球を生きる子どもたち)

大地のランナー―自由へのマラソン (鈴木出版の海外児童文学―この地球を生きる子どもたち)

 

 

フェリックスとゼルダ

フェリックスとゼルダ

  • 作者: モーリスグライツマン,Morris Gleitzman,原田勝
  • 出版社/メーカー: あすなろ書房
  • 発売日: 2012/07
  • メディア: ハードカバー
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フェリックスとゼルダ その後

フェリックスとゼルダ その後

  • 作者: モーリスグライツマン,Morris Gleitzman,原田勝
  • 出版社/メーカー: あすなろ書房
  • 発売日: 2013/08/05
  • メディア: ハードカバー
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第43回 束見本(つかみほん)

(2012年8月27日掲載記事 再録)

 

 束見本、という言葉をご存知でしょうか? 本の中身を印刷する前に、実際に使う用紙で予定のページ数を製本した見本のことで、これによって、大きさや重さ、背幅など、本の仕上がりが確認できます。カバーや帯をかけてあれば完成した本に見えますが、中身は白紙で、表紙や扉もまっ白です。

 

物としての本

 束見本は、編集者や装幀家のためのものですが、この七月、拙訳『大地のランナー──自由へのマラソン』(ジェイムズ・リオーダン作、鈴木出版)が出版されるのに先立って、束見本に予定のカバーと帯をつけたものをもらいました。確認のためにカバーや帯の試し刷りをもらうことはよくあるのですが、束見本までもらったのは初めてでした。

 で、ちょっぴりいたずら心が湧き、ある読書会の席で、なにも言わずに出席者の方にそれをお見せしました。すると、図書館員のKさん、おもむろにカバーの絵やタイトルをながめ、背、裏と確認してから、うしろからページを繰りはじめました。あとでうかがったところ、図書館員としては、まず奥付(本のうしろのほうにある、原作者や訳者、出版社や出版年、第何版か、などの情報)を確認するのがくせになっているのだそうです。

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 ところが、束見本ですから、いくらページをめくっても、白紙、また白紙……。というわけで、Kさん、いたずらして申しわけありませんでした。ですがその時、束見本とはいえ、外見は本そっくりのものを手にした時のKさんの様子には、本に対する理屈ぬきの期待感や愛情があふれていて、ああ、ほんとうに本がお好きなんだなあ、と感じたのでした。

 電子書籍には電子書籍の魅力や可能性がありますが、やはり紙の本には手にとれる物としての存在感があり、カバーの絵や写真、帯やタイトルの文字などの視覚的な出来栄えはもちろん、重さやクロス張りの手触り、インクの匂いなど、本それぞれの個性を五感で楽しむことができるのが大きな魅力でしょう。工業製品として、また美術品として、本というのはとても魅力的な物体なのです。

 

装幀をくらべてみた

 翻訳者ならば皆さんそうだと思うのですが、できたばかりの訳書が送られてきた時は大きな幸せを感じる瞬間です。数カ月間の苦労がこんなにも美しい物として結実したのかと思うと、心からの喜びを覚えます。

 今回、たまたま、ほぼ同時にわたしの訳書が二冊刊行されましたので、宣伝を兼ね、装幀という観点から紹介させてください。

 

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 まずは原書から。左は “Blood Runner ── The Long Race to Freedom”(by James Riordan, 2011)、右は “Once”(by Morris Gleitzman, 2005)の、どちらもペーパーバック版の原書。ただし、 “Once”は続編の “Then”との合本です。

 

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 こちらが訳書。左は『大地のランナー ── 自由へのマラソン』(ジェイムズ・リオーダン作、鈴木出版、装幀・カバー絵ともに長坂勇司さん)、右は『フェリックスとゼルダ』(モーリス・グライツマン作、あすなろ書房、装幀は城所潤さん、カバー絵は山下アキさん)。なんとなく雰囲気が似ていて、タイトルのレタリングなどは同じ方の作品かと思うほどですが、これはまったくの偶然です。

『大地のランナー』は南アフリカを舞台にしたアパルトヘイトと闘う黒人ランナーの物語で、原作のタイトル “Blood Runner”は、主人公の生まれながらのランナーとしての素質や、変えようのない黒人の血を表わし、足あとの絵が、裸足でアフリカの大地を駆ける主人公を象徴しているのに対して、訳書は少し柔らかく、主人公の少年のシルエットとアフリカの空や大地の色を表現しています。

『フェリックスとゼルダ』は、ポーランドを舞台にしたユダヤ人の少年と少女の物語で、いわゆるホロコーストものです。原作 “Once”では表紙にユダヤ人を表わすダビデの星をあしらい、白っぽい地の色は冷たく厳しい空気感を表わしています。しかし訳書では、主題を考えると意表をついたパステルカラーが目を引きます。でも、よく絵を見ると、線路の先にあるのは強制収容所の建物なのです。そして、軽やかな色使いは、作品の特徴である主人公の想像力や楽観的な語りを象徴しているのだと思います。

 

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 こちらの写真は、スピン(しおり)と花布(はなぎれ。背表紙の内側に見えている布)。『大地……』の方は、スピンも花布も同じアフリカの赤土を思わせる色です。『フェリックス……』は、カバーに合わせた薄水色をしています。どちらも光沢のあるスピンがとても美しい。最近はスピンのない本が増えていますが、やはりあったほうがいいですね。花布の存在は、翻訳の仕事を始めてから意識するようになりましたが、装幀家の細やかな色彩感覚が現われる部分です。読者の皆さんも、お手もとの本をちょっと調べてみてください。実にさまざまな布が使われ、アクセントになっていることがわかるでしょう。

 

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 カバーをはずして表紙をむきだしにしてみました。『大地……』はカバーと同じ絵やタイトルが印刷されていますが、『フェリックス……』の方は鮮やかなレモンイエロー一色です。昔は図書館に入る本はカバーをはずされてしまい、なんだか寂しかったのを憶えていますが、今は逆に、カバーごとフィルムでくるまれていて表紙そのものが見えず、これはこれで残念です。

 

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 それぞれの見返し(赤茶色と紺色の部分)と、扉(タイトルページ)。いやあ、どちらの本もいいですねえ。読む前からぞくぞくしてきます。ちなみに、『大地……』のほうは、束見本の見返しはもう少し茶が強かったのですが、赤土色になって大正解。作品中のアフリカの風景とぴったり重なります。『フェリックス……』の扉は緑色にコラージュ風のタイトルで、軽妙なタッチですが、じつは……、という意図でしょうか。

 

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 肝心のテキスト部分です。児童書ということもあり、余白や行間がゆったりしています。ちょっとわかりにくいですが、左の『大地……』のほうが活字が少し大きく、漢字が多めで、その分ルビも多くなっています。右の『フェリックス……』は、「第◯章」という章タイトルがなく、代わりに各章の出だしの文字が大きくなっています。じつは、すべての章が「昔、ぼくは、」という主人公の語りで始まっているのが特徴で、こういうのは翻訳上の制約になりますが、逆にやりがいもあります。

 

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 カバーの裏の袖部分。『大地……』では、南アフリカ共和国の国旗をあしらっています。国旗の色のことが作品中でふれられているので、読者がすぐに実物を確かめられるようにしました。『フェリックス……』では、原作者と訳者のプロフィールがここにおさめられています。やはりコラージュ風のデザインで、見るとなんだかうれしくなります。

 

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 最後にカバー裏。バーコードの印刷については、導入当時もめたのを憶えています。カバーは美術品だから、バーコードなどという無粋なものを印刷するのは許せない、という出版関係者が多くいたのです。しかし、今はもう、デザインの一部になっているのがわかります。『大地……』のBLOOD RUNNERの手書き文字、『フェリックス……』の小さな少年と少女の人型は、どちらもバーコードと対角線に配置され、バランスをとっています。

 

装幀を読む

 二作品とも重いテーマを孕んだ作品で、原作はそれを反映してか、どちらもストレートでハードな装幀です。一方、訳書は二冊とも、若い読者が手にとりやすい明るい色使いになっています。しかし、じつはしっかり内容を反映していて、装幀家の解釈や意図が表現されていると思います。こういう仕上がりを見ると、ああ、プロの仕事だなあ、とつくづく思います。そして、編集者の指示もあるのでしょうが、装幀家や画家の方々が、わたしの訳稿を読んでこういう本に仕上げてくれたのだ、と思うと、ほんとうにうれしくなります。

 翻訳者にとって、第一の読者は担当編集者だとよく言われますが、第二の読者は装幀家や画家の方々だと言えるでしょう。第一の読者は訳稿への助言をしてくれますが、第二の読者は訳稿から視覚的なイメージをふくらませ、読者へのメッセージをこめた、本という作品にしてくれるのです。装幀家や画家の解釈や意図を想像し、それを完成した本から読みとることはほんとうに楽しくて、翻訳という仕事についてくる、ぜいたくなご褒美のようなものだと思います。

 今回も素敵なご褒美をもらいました。次は、わたしの訳稿からどんな装幀の本が生まれるのか、今から楽しみでなりません。

(M.H.)