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翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 第50回 読書会

コラム再録「原田勝の部屋」

  この回でとりあげた『クラバート』。一度見たら忘れられない表紙ですね。

クラバート

クラバート

  • 作者: オトフリート=プロイスラー,ヘルベルト=ホルツィング,中村浩三
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1980/05
  • メディア: 単行本
  • 購入: 18人 クリック: 353回
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  どうも、この作品は苦手で、良さがよくわかりません。でも、絶賛している方もいて、それが読書会の面白さだと思います。『クラバート』だけでなく、基本、古典と言われる世間の評価が高い作品をとりあげているのに、その後も何度か、わたしには良さがわからない作品がありました。逆に、わたしがいい作品だと思っても、メンバーの評価が全体的によくなかったり。でも、本はそれが面白いところでもあります。

 

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第50回 読書会

(2013年6月24日掲載記事 再録)

 

 昨年から、読書会なるものに参加しています。きっかけは、元図書館員で、今はわたしの家からもそう遠くない、埼玉県川越市で絵本カフェをやってらっしゃるKさんからのお誘いでした。図書館員を中心としたメンバーで古典翻訳児童文学の読書会をやりたいのだが、どうですか、という話でした。児童文学の翻訳をしているのに、児童書の古典と言われる作品をきちんと読んでいないことが前から気になっていたわたしにとって、渡りに船とはまさにこのこと、二つ返事で快諾した次第です。

 

減ってしまった読書量

 もともと、本が好きで翻訳をしているというのに、翻訳作業に疲れた頭で、本、とくに小説を好んで読むという精神状態になかなかなれず、ここ十年ほどは恐ろしいほど読書量が減ってしまいました。減った理由はほかにもあって、貴重な読書時間だった電車通勤が週三日ほどになってしまったこと、ついついネットサーフィンしてしまうこと、サッカー観戦やサッカー雑誌に時間をとられること、そして、目が疲れるので、仕事以外ではできるだけ文字を見たくないことなどがあります。

 本は数を読めばいいというわけではありませんが、たくさん読むことでテキストの理解力が増すのはまちがいありませんし、翻訳の仕事においても、すでに世に出ている作品との比較ができるのはメリットです。前回、このコラムに書いたように、古典との関係性はわかっていたほうがいいに決まっていますし、翻訳の際には引用やパロディに気づきやすくなるはずです。

 世の中には大変な読書家がいるもので、そういう方のブログを拝見していると、中には三日で一冊のペースで本を読み、しかも、その内容や感想をしっかりと自分の言葉で書き綴っている方がいらっしゃって、感嘆しきりです。文芸作品を世に送りだす側の身としては、この読書量では本好きの読者の皆さんに到底かなわず、これではいけない、という危機感がありましたし、じつは、今もあります。

 お誘いを受けた時には、隔月ごとの読書会に合わせて課題本を読んでいけば、食わずぎらいで読んでいなかった本も読めるし、翻訳者のくせに読んでなかったのか、というような本も減らせるのではないか、怠け者の児童文学翻訳者には絶好の会だぞ、と思ったわけです。

 

本の話モード

 考えてみると、読書感想文のように自分の感想を文字にして書くことはあっても、複数の人で同じ本について語り合うことを目的とする場をもつのは、そう多くないのではないでしょうか。リーディングやもちこみで、原書のレジュメをもって編集者さんと話をするのはそれに近い状態ですが、相手となる編集者さんはその本を読んでいないのが普通で、しかも、もちこみの場合は、欠点や評価が割れる箇所には極力触れたくないという意識が働き、セールストークのようになってしまうことがあります。

 読書会では、課題本との利害関係がなく、純粋に読んだ感想を述べ、ほかの出席者の話を聞いて、なるほど、とか、いやいやそれはちがうだろう、とか、自由に感じ、反応していればいいのです。感動した本のおもしろさを人に伝えたくなることはよくありますが、その際、相手が「本の話モード」になってくれるとは限らず、話が空回りして、不完全燃焼することがありませんか? この「本の話モード」というのがとても大事で、人によっては、端から頭の中にこのモードがない人もいて、そういう人にはいくら話しても暖簾に腕押しなのです。

 でも、読書会なら大丈夫。「ここがおもしろいんだよねえ」「ええ〜? そこなの?」「全然気づきませんでした」「そうそう、こいつ、いやなやつだよなあ」「小学校四年生で読んだ? あなたは幸せだねえ」などなど。ああ、この安心感。その場にいる人はみんな「本の話モード」なので、感じたことはちがっても、それを表現すること、耳を傾けることにおいてはぴたりと波長が合っているのです。

 しかも不思議なことに、出席者の皆さんの話を聞いているうちに、脳が刺激を受け、会が始まる前には気づかなかったことが必ずいくつか思い浮かびます。その時の快感といったらありません。物語や言葉の力が化学反応を起こすのです。こうした場に参加することが、読書の楽しみを二倍にも三倍にもしてくれるように思います。

 

読みの多様さを実感

 古典翻訳児童書を読む会では、順番に感想を述べ、それに対して自由に意見を言ったり、質問をしたりするわけですが、いや、これがほんとうに楽しい。出席者の方々はベテランの図書館員さんが多く、児童書にも造詣が深い方ばかりなので、読書量はわたしなど足もとにも及ばず、また、目のつけどころも確かで、毎回、なるほど、と膝を打つことばかり。原書を持参して、翻訳の問題まで指摘される方もいて、翻訳者としては、読者の鋭さを目の当たりにして、毎回身の引きしまる思いをしています。

 そして、一人一人の感じ方は本当にさまざまで、それがまたおもしろいところです。前回の課題本は、『クラバート』(オトフリート・プロイスラー作、中村浩三訳、偕成社刊)でした。正直、わたしはこの本の良さがわからず、ぼんやりした感想しかもたぬまま会に参加したのですが、いやあ、皆さんの読みの深いこと。この小説は、ドイツの一地方に伝わる伝説をもとにした寓話的色彩の濃い作品です。水車場の見習いになった少年クラバートが、親方から魔法を習いながら成長していき、少女との愛を成就させるために命を賭けて親方と対決するお話です。

 1971年に発表された作品ですから、それほど古い本ではありませんが、わかりやすい魔法学校の話ではなく、思春期の少年の成長や、時の流れの不思議さ、さまざまな性格の登場人物たちの描き分けによる集団と個の問題、親方の苦悩、愛の力、などなど、読みとる目がなければ読みとれないことが数多くちりばめられた作品です。わたしはどちらかというと、ストーリー性で引っぱる物語が好きなので、こういう作品は苦手なのですが、それにしても全然読めていなかったことがこの読書会ではっきりわかりました。

 さらに驚いたのは、参加者の中に、すでに成人した息子さんをもつ女性が数名いらっしゃって、その方たちが口をそろえて、息子が中高生の時にこれをおもしろいといって読んでいた、という話をされたことでした。うーん、わたしも十代でこれを読んでいたら、おもしろさがわかったのだろうか、と、複雑な気分でした。と、同時に、男の子も本を読まないわけじゃないんだ、きっと、自分の訳書も読んでくれている男子中高生がいるはずだ、と思いを強くしたわけですが……。

 ともあれ、これまで、リーディングという、原書を読んで評価する仕事を幾度もしてきたというのに、いくら感想は人さまざまと言いながら、国際的に高い評価を受け、読書会のメンバーも何度も読みたい、と言っている『クラバート』の良さがこうもさっぱりわからないとなると、困ったものです。日本語で読んでいてこれですから、原書を読む時には、もっと気を引きしめてテキストに当たらなければ、と改めて思いました。

 

読者の存在を実感する場として

 昨年(2012年)の5月に始まり、二年目に入ったこの読書会ですが、とても楽しい会なので、長く続くことを期待しています。翻訳の仕事をしていると、自分の訳した本を、読者はいったいどんなふうに読んでくれているんだろうか、というのが、何より気になるわけですが、この会に出ると、こんなにも真摯に本とむきあう読者がいるのだ、という実感をいつも新たにすることができ、とても励みになります。

 じつは、もうひとつ、昨年から二度ほど参加した読書会があります。「YA*cafe」という会で、ヤングアダルト(YA)作家の梨屋アリエさんが世話役をしている読書会です。

 この読書会は、作家の梨屋さんや、編集者、図書館員、学校の先生、大学生など、さまざまな立場や年齢の人たちが、都内の喫茶店に集まり、課題本について感想を語りあう会です。YA文学が好きであれば、とくに参加資格はなく、だれでも参加できる読書会です。ほとんど初対面で、お互い、どんな人かもよく知らないというのに、同じ本を読んできたというだけで一時間半があっという間に過ぎるのですから、これぞ本の魔法。この会では、若い出席者の方の感想をうかがうのが楽しみです。児童書やヤングアダルトむけの作品を翻訳しているのに、若い読者の声はなかなかじかに聞くことができないので、とても貴重な場です。

 この「YA*cafe」はだれでも参加できる読書会なので、興味のある方はこちら( YA*cafe )をチェックして、参加してみてはいかがでしょうか。

 

物語を分かちあう

 読書というのは、一見、孤独な営みに思えますが、そもそも、作家は自らの思いを世の人々と分かちあうために作品を著しているとも言えます。翻訳という作業も、「ねえねえ、こんな話があるんだけど、知ってる?」という気持ちが根底にあるわけで、じつは、物語や思想や事実や感動を分かちあうためにあると言ってもいいのではないでしょうか。であるとするなら、読書会、もっと盛んに行なわれてもいいように思います。相手は一人でもいい、読んだ本の話ができる人がいるのは幸福なことです。

 皆さんのまわりには、「本の話モード」をもってる人がいますか? 本について語りあう場はあるでしょうか? 案外、身近な人が本好きかもしれませんよ。

(M.H.)

 

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 読書会の会場、川越の絵本カフェ、「イングリッシュブルーベル」( Ehon Cafe - English Bluebell - )。五月には白いバラ、サマースノーが出迎えてくれます。