翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 第55回 文体研究(2) ── 『雲母の光る道』

 この回にとりあげた『雲母の光る道』の原作、"Mica Highway" の書影です。メンディングテープで補修してあるように見えますが、こういうデザインなんです。最初に見た時は、仮の表紙なのかと思いました。

Mica Highways

 

  翻訳版はこちら。

雲母の光る道 (創元推理文庫)

雲母の光る道 (創元推理文庫)

 

 

 

ーーーーーー

第55回 文体研究(2) ── 『雲母の光る道』

(2014年2月14日掲載記事 再録)

 

 文体研究第二弾は、『雲母の光る道』(ウィリアム・エリオット・ヘイゼルグローブ作、2004年、創元推理文庫)です。原作は “Mica Highways” (by William Elliott Hazelgrove, 1998)。

 これは、児童書やYAを守備範囲とするわたしの訳書の中で、珍しく一般向けの小説で、東京創元社で定期的にリーディングをしていた時の一冊です。ミステリの要素もあるので推理文庫に収められていますが、どちらかというと、アメリカ南部を舞台にした純文学と言っていいでしょう。作者のヘイゼルグローブ氏は、1959年生まれ、シカゴ郊外にあるヘミングウェイの生家の屋根裏を仕事場としていることでも当時話題になっていました。

 中身は、いわゆる「南部もの」で、保守的な南部の風土を背景に、人種差別をからめた祖父と孫息子という二人の主人公による血筋の物語で、時代も行き来し、なかなか複雑な構成になっています。文体的には、南部のねっとりした空気感や、花の香り、農場の臭い、酒やタバコや香水の匂いといった、嗅覚を刺激する描写が多いのが特徴です。

 

情景描写

 それでは、原文と訳文を比較して、語り方を調べてみましょう。まずは冒頭部分。

         PROLOGUE

         A country road
         outside Richmond, Virginia
         April 4, 1968

     The oiled .44 lay next to the man’s thigh like the muzzle of a dog. The warm air funneled into his shirtsleeve and ruffled the material in the roar of wind. Spring had come with heat reserved for June and the air was damp. The man rested his elbow and kept his eyes on the narrow two-lane. Twilight rimmed the pines and tinged the cooling highway a simmering pink. The road sparkled a last time before the blanch of headlights snuffed it.

  “Mica Highways”
  (by William Elliott Hazelgrove, 1998, Bantam Books, p.1)

 

                    プロローグ

                    ヴァージニア州リッチモンド郊外の田舎道
                    一九六八年四月四日

 手入れされた四四口径が、男の太腿の横で犬の鼻面のように黒光りしていた。暖かい空気がシャツの袖口から吹きこみ、うなりをあげる風に生地がばたつく。春は六月を思わせる暑さとともに到来し、大気も湿っていた。男は車の窓に肘を乗せ、狭い二車線の道路にひたと視線をあてていた。夕暮の淡い光が松の木立を縁どり、冷たくなっていくアスファルトを揺らめくピンク色に染める。路面に散らばった最後のきらめきが、ヘッドライトの薄白い光にかき消されていった。

  『雲母の光る道』
  (ウィリアム・エリオット・ヘイゼルグローブ作、2004年、創元推理文庫、p.9)

 

 前回とりあげた、『フェリックスとゼルダ』の文章とはまったくちがったトーンですね。対象読者や主人公の年齢のちがいもあるので、当然、語彙や比喩のレベルも上がっています。そして、やはり、上述した南部の空気感のようなものが、この抜粋にも現われています。文体というより、「なにを書くか」ということでしょうが、こうした丁寧な、そして過剰になる寸前で止めている、どこかロマンチックな描写が多いのがこの作品の特徴です。作者のヘイゼルグローブ氏は、ヘミングウェイの屋根裏で書いていながら、自身は、どちらかというとフィッツジェラルドが好きだそうで、それが文体にどう影響しているのかは、残念ながら、わたしには分析する力がありません。

 それでも、作品の冒頭なので、細心の注意を払っていることはわかります。とくに、映画で言うカメラワークは明らかです。1968年という設定からして、自動車の座席はベンチシートでしょう。運転する男の横においてある拳銃の描写から始まります。次に男のシャツをばたつかせる風。風から暑さや湿気、そして車外の薄暮の道路や周囲の情景へと描写は広がっていきます。うつむいていた視線が上がり、外へ向かい、遠くを眺める、という感じですね。なかなか「かっこいい書き出し」です。翻訳にあたっては、「ダサい」と思われずに「かっこよさ」を伝えるのが肝要だと思います。

 しかも、このプロローグは読者を作品世界に引きこむための仕掛けで、作者は読者に対して、さあ、この「男」はだれでしょう、という宿題を出しています。読者は人間関係も舞台背景もまだわからず、記述から得る情報がすべてですから、妙に感情的な表現が混じらないよう、でも、臨場感が感じられるように、クールに訳したいところです。そういう意図をもった言葉や言い回しの選択こそが、文体そのものなのかもしれません。十年前のわたしは、まずまずうまく訳していると思うのですが、どうでしょうか?

 

心象風景

 今度は第二章の冒頭を、二段落続けて抜粋してみます。

    The wind howled and shook the panes of the hundred-year-old house. His mother carefully wrapped him in a heavy wool blanket, smelling slightly of the smoky scent of burnt cork. She created a hood and laid him on the couch, then turned off the light and sat down. He saw fire dancing in the glass door of the wood stove and watched ghosts flicker and play on the ceiling. His mother hummed quietly and the wind was far away. He lay wrapped in his warm blanket, his mother’s voice flowing around him, the northern lights above. This was his first memory.

    Charlie Austin Tidewater drove down the highway and watched the sun kiss the blue mountains of Virginia, glancing off barns rotted and unused, bringing to life a rusted tractor that had driven over the rows years before there were highways. A steeple, white and needle-sharp, punched up above a town, waiting for the sun to eclipse the mountains.

  “Mica Highways”
  (by William Elliott Hazelgrove, 1998, Bantam Books, p.11)

 

 風がうなりを上げ、築百年にもなる古い家の窓ガラスを震わせた。母さんは分厚い毛布でぼくを大事そうにくるんだ。毛布は、眉墨を引くのに使う焼きコルクの焦げた匂いがかすかにした。母さんは毛布をフードのようにしてぼくの頭を覆うと、そっと長椅子に寝かせて明かりを消し、隣に座った。薪ストーブの火が焚き口のガラスのむこうで躍っているのが見え、天井でちらちら揺れる影が、はしゃぎまわる幽霊のようだった。母さんがそっとハミングを始めると、風の音が遠のいた。暖かな毛布にくるまれ、あたりには母さんの歌声が漂い、頭上でちらつく影がオーロラのようだった。これがぼくの最初の記憶だ。

 チャールズ・オースティン・タイドウォーターはハイウェイを南へむかって車を走らせていた。朝日がヴァージニアの青い山並に柔らかな光を投げかけ、朽ちて使われなくなった納屋をかすめ、ハイウェイができる何年も前に、畝を作っていたであろう錆ついたトラクターに命を吹きこんだ。家並の上に針のように突き出た教会の白い尖塔が、日射しが稜線を越えるのを待っていた。

  『雲母の光る道』
  (ウィリアム・エリオット・ヘイゼルグローブ作、2004年、創元推理文庫、p.22)

 

 この作品は三人称・多視点なのですが、引用部分は、孫息子のチャーリーが登場する第二章の冒頭で、彼が生まれて間もないころの記憶の描写ですから、あえて原文の he は「ぼく」に、 his mother は「母さん」に、 He saw、 He lay は省くことで、赤ん坊のチャーリーの目から見た訳文にしてあります。こうすることで、プロローグのあと、第一章で祖父オースティンの視点による物語世界に入った読者に、第二章の冒頭では、いきなり、もう一人の主人公チャーリーの記憶の中に入ってもらい、そこからまた視点を引いて、今度はシカゴから南部へ車を走らせる今のチャーリーの描写へと入ってもらうという組立です。

 下線を引いた部分が、意図的に his mother を「母さん」に、 he を「ぼく」に訳した箇所です。一文ごとに比較すると、かなり過激な処理にも思えます。とくに、最後の一文 This was his first memory. は、文字通り訳せば、「これが彼の最初の記憶だった」なのに、「これがぼくの最初の記憶だ」ですから、中学生に見せたら、「なにやってんの!」と叱られそうです。

 しかし、次の段落の出だしが、「チャールズ・オースティン・タイドウォーターは……」となっているのがミソで、これがあるからこそ、第一段落を一人称にしてもうまくつながるのです。これによって、主人公の記憶の中の一場面であることの説明が不要となり、もたもたせずに、さっと視点を切り替えることができ、かつ、結果的に原文に沿った翻訳になるのです。それにはまず、同じ三人称の書き方でありながら、第一段落の視点が前章とちがうこと、さらに、次の段落ともちがうことに気づかなければなりません。こうした、テキストの意図をくみとりながらの翻訳作業は、どこか原作者との共同作業にも感じられ、楽しい瞬間でもあります。

 

分詞構文の多用

 この作品を訳している時は、情景や動きの描写が多くて大変だった記憶がありますが、こうして改めて見てみると、たしかに多弁ではありますが、リズム感のある文章です。それに貢献しているテクニックのひとつが、分詞構文の多用です。上の引用では、 and shook ...、 and laid ...、 and sat down、 and watched という風に、「and + 動詞」という形でたたみかける部分が多いのですが、やはり smelling ...、 his mother’s voice flowing、 waiting for ... という分詞やいわゆる分詞構文を用いた箇所があります。日本語に直接反映するわけではありませんが、リズム感を壊さないことだけは心がけなければなりません。

 それでは、もっとはっきりと、分詞構文によって動作の連続性が表現されている部分を引用してみましょう。ここは、祖父オースティンが若かりし頃の禁酒法時代、金を賭けた公道レースをしている場面で、畑にならんだ自動車がいっせいにスタートを切るところです。

    Austin jerked the wheel toward the road, back tires losing ground, fishtailing, finding traction while second gear passed to third, blasting through to fourth, lunging past the cars in the middle of the luminous swath with the roar in both windows.

  “Mica Highways”
  (by William Elliott Hazelgrove, 1998, Bantam Books, p.76)

 

 オースティンは畑の横手にある道路にむかってハンドルをぐいっと切った。空転した後輪が右に左にスライドしながらなんとか地面に食いつこうとする。二速から三速へ、加速しながら四速にギアを入れた車は、左右の窓外に轟音を響かせながら、ヘッドライトに照らされた刈りとりあとのタバコ畑を疾走し、ほかの車をぐんぐん追い抜いていった。

  『雲母の光る道』
  (ウィリアム・エリオット・ヘイゼルグローブ作、2004年、創元推理文庫、p.111)

 

 もっとうまく訳せたんじゃないかという気もしますが、それはさておき、分詞の多用にお気づきでしょうか。抜粋した部分は段落丸ごとですが、じつは文はひとつで、ピリオドは最後にあるだけです。Austin jerked のあとは、losing、fishtailing、finding、blasting、lunging と、while節はあるものの、分詞の連続で、次々に起きる出来事や動作を表現していきます。こういう箇所は散見されますから、作者の好きな書き方なのでしょう。先に引用した部分では、記憶の中の情景ということもあり、「and + 動詞」で、ひとつひとつの動きを丁寧に追っている印象を読者に与えますが、こうしてing形でつなげていくと、息もつかせぬ連続という印象が生まれます。

 ただし、訳文では、二度、句点で文を切っています。さすがに、この長さを一文でつなぐことは不可能ではありませんが、無理が出ます。また、切ることによって、日本語の主語を「オースティン」から「後輪」、さらに「車」へと変えることがたやすくなります。同時に、分詞をすべて述語的に処理するのではなく、「空転した後輪」とか、「四速にギアを入れた車」というように、名詞を修飾する形で吸収し、全体が単調にならずに、それでいて出来事が順につながるように処理したつもりなのですが、どうでしょうか?

 

会話もリズミカルに

 こんな描写ばかりだと、ぐったり疲れてしまいそうですが、もちろん、全編こんな文章ばかりではありません。この小説には、昔気質の祖父、現代的な孫のほかにも、人種差別主義者の判事、判事の美貌の娘、黒人の使用人など、さまざまなタイプの人物が登場するので、その会話の訳し分けも大切なところです。ここでは、チャーリーが、じつは自分の母親の死と関係している判事の娘、ミニーをデートに誘う場面です。

   “Would you consider going to dinner tomorrow night?”
   She stared at him.
   “With you?”
   “Unless you have a better escort, then I will gladly just pay for the dinner.”
   She smiled slowly.
   “You aren’t some sort of serial killer?”
   “Nope, I’m looking for a job.”
   “Hmmmm . . . Okay.”
   Charlie nodded. “Great . . . about seven?”

  “Mica Highway”
  (by William Elliott Hazelgrove, 1998, Bantam Books, p.108)

 

「明日の晩、食事に行きませんか?」
 ミニーはチャーリーの目を見返した。
「あなたと?」
「ぼくで良ければ、喜んでごちそうしますよ」
 ミニーの顔にゆっくりと笑みが広がった。
「あなた、連続殺人鬼かなんかじゃないでしょうね?」
「まさか、ただの失業者ですよ」
「そうねえ……。じゃあ、お言葉に甘えて」
 チャーリーはうなずいた。
「良かった……。七時頃はどうです?」

  『雲母の光る道』
  (ウィリアム・エリオット・ヘイゼルグローブ作、2004年、創元推理文庫、p.160-161)

 

 分析は野暮なので、やめておきましょう。

 文体研究と銘打っていながら、知識不足から、こんなところが精一杯です。それでも、さまざまな作品をとりあげることで、作品ごとに「なにをどう書いているのか」のちがいが少しでもお伝えできればと思い、もう少し、このシリーズを続けてみたいと思います。

 

原作者の近況は?

 じつは、『雲母の光る道』を翻訳している最中のこと、版権が売れたのに、なかなか日本版が出版されないことにしびれを切らしたヘイゼルグローブ氏は、なんと直接、アメリカから東京創元社の編集部に催促の電話をかけてきて、「どうなってるんだ!」と怒ったそうです。すみませんでした。責任の一端は仕事の遅い翻訳者にもあります。

 ヘイゼルグローブ氏は、この作品を出したあと、なかなか次の作品を出せず、そのうちにわたしもすっかり忘れていたのですが、今回、この項を書くために調べてみたら、なんと去年(2013年)、久々の新作が出ていました。それも若い読者が対象ですから、ずばりわたしの守備範囲。すぐにアマゾンでポチッとしました。評判も悪くないようですから読むのが楽しみです。読んでおもしろかったら営業しますから、待っててください、ヘイゼルグローブさん。

(M.H.)

 

 

  まだちゃんと読んでいませんが、ご紹介だけ。

The Pitcher

The Pitcher

 

 

Real Santa

Real Santa