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翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 第56回 襟を正す

S先生のこと

S先生のこと』(尾崎俊介著、新宿書房、2013)

 

 この回は、上のエッセイ『S先生のこと』と、映画『ドストエフスキーと愛に生きる』のことを書きました。どちらも翻訳に深く関わった作品です。では、どうぞ。

 

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第56回 襟を正す

(2014年4月21日掲載記事 再録)

 

 今回は、最近読んだ本、観た映画が、翻訳におおいに関係のある作品だったので、それについて感じたことを書いてみたいと思います。「文体研究その3」は次回にまわします。

 

『S先生のこと』

 まずは本の方から。尾崎俊介著『S先生のこと』(新宿書房、2013)です。第61回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したこの本は、アメリカ文学の研究者である著者が、学生時代に出会い、以後、ずっと師と仰いできた須山静夫さんのことを書いたエッセイです。須山静夫さん(1925〜2011)は英文学者で、翻訳家、作家としても活躍され、訳業としては、フォークナー、スタインベック、オコナー、アップダイク、メルヴィルなど、アメリカ文学の文豪たちの作品がならびます。

 著者はこの須山先生の後半生を、自ら見聞きしたことをもとに綴っていきます。キリスト者としての生き方や、奥様や息子さんの死にまつわることなど、読みどころはいろいろあるのですが、作中、何度か、須山さんの翻訳にむかう姿勢が描かれています。そして、訳文の完成度を高めようとするその勤勉さ、緻密さは、まさに執念と呼ぶにふさわしいと感じました。

 たとえば、メルヴィル晩年の作で、『クラレル』という難解な物語詩の翻訳についての記述があります。著者の尾崎氏は、須山さんの大学での授業を受ける形で、学部生から院生時代まで、先生との訳文検討を7年間も続けています。須山さんの単語ひとつ、フレーズひとつへのこだわりように、ほかの学生たちは音を上げ、出席するのは、ほぼ尾崎氏一人という状況の中、互いに時間をかけて訳してきたものを、一回の授業で一、二ページという速度で、綿密な検討をしていったそうです。授業がなくなってしまったあとも、須山さんは読書会などを通じて、ほかの人たちの意見を聞きながら訳文の検討を続けます。さらに、主人公が巡礼として歩いた道のりを確認するため、二度にわたってイスラエルを訪問までしているのです。

『クラレル──聖地における詩と巡礼』は1999年に南雲堂から出版されていますが、いくら物語詩とはいえ、982ページという大部です。そして、出版されてからも訳文の見直しは続き、2006年の増刷時には50カ所以上の誤記・誤植の訂正と注の追加を行なったそうです。この作品だけでなく、須山さんは常に誤訳をなくそうとする努力を怠らない方で、どの訳書でも出版されてからもチェックを続け、だれかに訳書を贈呈する際には、自作の訂正表をつけておられたそうです。

 そのほか、聖書をヘブライ語で読むために、還暦を間近にしてヘブライ語を習いはじめるとか、ある作家の作品を翻訳する際は、まずその作家の全作品を読んでから翻訳にかかるとか、メルヴィルの『白鯨』に関しては、それまでに出版されていたすべての訳書をつきあわせて誤訳のチェックをしたとか、とにかく、須山静夫という人の、翻訳や文学にむきあう姿勢の厳しさがうかがわれるエピソードがこれでもかとばかりに出てきます。

 もちろん、須山さんには、そういう作業を行えるだけの研究者としての専門知識や語学力があり、翻訳作業そのものが研究活動の一貫でもあったのでしょう。それでも、完璧を目ざして自らを厳しく律することのできる翻訳者は少ないと思います。もともと、割に合わないことの多い翻訳という仕事に、これだけの時間と労力をかけることは、並の翻訳者にはできないことです。

 文学には、出版産業の中で消費されていく商品としての側面があり、一般的に、訳者は、納期までに訳文を仕上げることが要求されます。しかし、一方で、それが文学作品である限り、どんな作品にも文学としての価値があるはずで、文豪の作品でないからといって、やっつけ仕事で翻訳してしまっていいはずがありません。そういう意味で、須山静夫という翻訳者の仕事ぶりを知ると、やはり身の引きしまる思いがします

 

 

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『ドストエフスキーと愛に生きる』

 もうひとつ、こちらはドキュメンタリー映画ですが、やはり翻訳者をあつかった作品、『ドストエフスキーと愛に生きる』(ヴァディム・イェンドレイコ監督、スイス/ドイツ、93分)を観ました。スヴェトラーナ・ガイヤーというドイツの女性翻訳者の日常を追い、あるいは過去を再構成して、一人の女性の波瀾万丈の一生を描き、また、翻訳という営みそのものを浮彫りにしている作品です。

 ガイヤーさん(1923〜2010)は、ウクライナに生まれ、その後、スターリン時代の粛正で父親を亡くし、ナチスドイツの占領下を、敵国語であるドイツ語の通訳や翻訳で生きぬき、戦後、ドイツに暮らして、ロシヤ文学、とくにドストエフスキー作品の研究や翻訳で知られるようになった人です。カメラはガイヤーさんの生活を、仕事だけでなく、料理やアイロンがけなどの家事まで淡々と記録し、あるいはまた、孫娘とのウクライナへの帰省旅行を撮影していきます。そしてもっとも興味深かったのは、翻訳作業そのものを記録していることでした。

 ガイヤーさんは、撮影時、すでに84歳だったそうですが、しわだらけの顔には若い頃の美貌の片鱗がうかがえ、その目は時に鋭く、時に優しくて、画面を通して凛とした美しさが伝わってきます。彼女の母国語はウクライナ語であり、同じスラブ諸語であるロシヤ語も自在に操れたようです。そのロシヤ語で書かれたドストエフスキーの文学作品を、母国語と同じくらい堪能なドイツ語に翻訳していくわけですが、これだけ語学力に恵まれた翻訳者もそういないと思うのに、実際の翻訳作業が理詰めで緻密なことには驚かされます。

 映画で描かれていたガイヤーさんの翻訳の手順はこうです。まず、作品全体を何度か読み、全体像を頭の中にとりこんでおきます。そして、翌日に翻訳する部分の訳文を、前日の夜にあらかた考えます。この時点では、まだ訳文は文字になっていません。翌日、自宅にやってきた女性タイピストを相手に、ガイヤーさんは訳文を口述し、タイピストと細かなやりとりをしながらタイプしてもらいます。さらに、そのタイプ原稿を、また別の日に訪れてくる男性と読み合わせをし、一言一句、検討していきます。映画の中では、たしか「音楽家」と紹介されていたように思いますが、この男性の役割は、訳文のドイツ語が適切かどうかを確認し、さらに、リズムや音の響きもチェックしているようでした

 ガイヤーさんにとって、ドイツ語は母国語ではありませんから、やはり、微妙な言葉づかいに不自然なところが残るのでしょう。それを、原作者の意図からはずれないように、適切な訳語に修正していきます。同時に、文学としてのリズムや音の美しさを求めていくのです。原稿を声に出して確認するのはそのためです。男性はタイプ原稿を朗読しながら、思ったことを遠慮なくガイヤーさんにぶつけていきます。

 ガイヤーさんは、すぐにその場で訂正していくこともあれば、「だって、ロシヤ語ではそう書いてあるんですもの」と言ってこだわることもあります。あるいは、「あとで考えるわ」と言って、いったん引きとることもありました。作品中の情景が目に浮かぶかどうかの確認では、たとえば「馬車」という語は、それを牽いている馬まで含むのだろうか、とか、この場面に馬車以外の乗馬用の馬がいったい何頭いるのか、といった確認をしていました。

 

文学にむかう姿勢

 須山静夫さん、スヴェトラーナ・ガイヤーさん、二人の翻訳作業に共通しているのは、人に原稿を見てもらい、訳文を練りあげていくことです。お二人とも大学で教鞭をとっている身であり、語学的な知識はもちろん、原作者に関する知識や、文学の幅広い素養を身につけているというのに、翻訳についてはあくまでも謙虚です。

 また、事前に作品を読みこんでおくことや、同じ作家の他の作品に関する知識を仕入れておくことなど、万全の準備をして翻訳作業に臨んでいることが印象的でした。やはり、文学の翻訳というのは、こういう姿勢で取り組むべき仕事なのだと痛感しました。

 最後に、わたし自身が経験したことを書かせてください。毎年、二月には、読書感想文と読書感想画の授賞式があり、たまたま今年は、わたしの訳書が課題図書になっていたことから、受賞者の中学生たちと言葉を交わす機会に恵まれました。翻訳者としては大変うれしいことでしたが、彼らのきらきらした笑顔を見ると、いいかげんな仕事はできない、と思いました。おそらくわたしは、この先も、メルヴィルやドストエフスキーのような文豪の名著を翻訳することはないでしょうが、十代の読者の柔らかな感性に響くものを、丁寧な仕事で届けなければならないと改めて思った次第です。

 なんだか、決意表明のようになってしまいましたが、ここ二、三カ月のあいだに、「襟を正せ」と言われているような出会いがこうして連続したことは、きっと、なにか意味があるのでしょう。訳文を練る時も、ついつい、これくらいでいいか、と思ってしまいがちなわたしですが、そんな時こそ、須山静夫さん、スヴェトラーナ・ガイヤーさん、そして、若い読者たちのことを思いだして、もうひと頑張りしなければなりません。

(M.H.)