翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

安保法案について

 この件については、国会前へは行けませんが、やはり書かずにはいられません。

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(イラクに派遣された19歳の米兵の手記、『Ghosts of War』)

 

理屈が通っていない

 集団的自衛権の限定的行使の是非はともかく、今回の一連の安倍政権の説明が論理的ではないことに最も苛立ちをおぼえます。憲法審査会や形だけの公聴会でも、これだけ専門家の反対意見が出ている中で、安倍政権の説明にはほとんど説得力がありません。ホルムズ海峡の話然り、砂川判決の解釈しかり、弾薬の定義しかり……。

  さらに、先般の選挙において、この問題を争点からはずしておいて、自公での単独過半数をとったあとで持ち出すという後出しをしている点も見過ごせません。アベノミクスの実態はわかりませんが、景気浮揚の兆しを利用して有権者の支持を集め、その後、この問題を持ち出し、しかも、手続きを踏んでの改憲論ならまだしも、解釈による事実上の改憲はスジが通りません。

「論理的な判断が通らない」という感じは、非常に気持ちが悪い。これは、一種の暴力です。もともと、日本にはそういう土壌があるわけですが、そろそろ国民全体が変わらなければならないとおもいます。「1+1=2でしょう?」と主張したら、「いや、ある条件のもとでは3なのです」と言われているようです。その条件を、ちゃんと数式に組み込むならまだしも、不明瞭です。

 

我々は経済的な不利益を被る可能性を恐れない覚悟はあるか?

 原発の再稼動問題もそうですが、現在の政権の政策決定には従来からの金の流れを変えたくないという政官民の無言の相互圧力を感じずにはいられません。相互圧力、というところが問題で、だれも自分がイニシアチブをとっているとは思っていない。借金漬けの財政についてもそうです。この流れを決定づけたのは、民主党政権がうまく機能しなかったことに対する国民の「背に腹は変えられない」という保守的な気分による自民党回帰でしょう。

 やることはただひとつ。次の参院選、いや、すべての選挙で自公候補に投票しないことです。ただし、これにはその後に対する覚悟が必要だということは、前回の民主党政権時の経験でわかっています。自公以外の政党が政権をとれば、政権運営や経済政策に問題が生じる可能性はまたあります。いや、必ず生じるでしょう。「コンクリートから人へ」という政策がまったく実現しなかったことは確かですが、労働者の生産性向上や優秀な起業家や研究者を養成するという方向性はまちがってはいないはずです。ですが、産業構造が変わっていく時には、損をする業界や人たちが生まれることは自明でしょう。

 それでも、このままでいいはずはない、と思うべきです。経済的な活力は、政権が変わって方針が変われば、それに沿って発揮されるはずです。そこには痛みもありますが、変わらなければいずれ共倒れです。

 

真の「積極的平和主義」を

 安倍首相は、積極的平和主義、という言葉を、銃をかざして平和を維持するという意味で用い、抑止力による安全保障を謳っています。しかし、抑止力のジレンマ、という言葉があるように、東西冷戦時代の核軍備競争で明らかですが、抑止力はお互いの抑止力の増大を誘発し、結果、軍備拡大につながり、抑止力は相対的には変わらないのです。

 紛争地帯でさまざまな活動に従事している日本人の方々は、昨今の安倍首相の態度によって、日の丸の神通力が消えてしまった、と言っています。すなわち、戦争をしない国という認識が変わり、アメリカの手先という見方で敵視される危険性が高まった、ということです。

 一見、軍備の増強や集団的自衛権の範囲拡大によって抑止力が向上するように見えて、日本人が、つまり日本が、攻撃される危険性が高まるだけなのです。明らかにマッチポンプでしょう。しかも、戦後70年かけてかろうじて保っていた平和国家のブランドが、一政権の手で崩れ、もとにもどすのはまた年月がかかるという事態を招いているのです。

 安倍首相は、「普通の国」になるのがなぜいけないのか、と言います。つまり、軍備をもち、戦争ができる可能性を手にし、それによって他国と対等に渡り合える国家、ということでしょう。しかし、戦争をしないという「特別な国」であろうとすることを、なぜ目指さないのでしょうか?

 もちろん、自衛権は維持するとして、戦争をしない、武器弾薬や給油においても、どこの国とも連携しない、という姿勢を打ち出し、その立場を利用して、国際紛争の解決や人道的支援に力をいれて認められる国家をなぜめざしてはいけないのでしょう? また、そのような人材を積極的に育てる教育機関や制度、組織を作ろうとしないのでしょう? 

 さらに言えば、野党の政治家は、現在の安倍政権の安保法案に反対するだけでなく、日本が今後どのような国になるべきか、そして、そのためにはなにをすべきか、という対案をなぜ出さないのでしょうか? 自衛隊による個別的自衛権があるからいい、というだけでは、それはあまりに消極的な安全保障政策でしょう。野党の皆さんには、ぜひ、こうした平和国家というブランドを利用した、真の積極的平和主義のビジョンを提示してほしいものです。

 おそらく、こういったビジョンは絵空事だと言われると思います。そんなことをして、紛争地に送りこんだ日本人たちが丸腰のまま死んだらどうするんだ、と。しかし、軍事介入によって国際秩序を保とうとしている英米その他の西欧諸国は、やはり、紛争地において数多くの兵士を失い、無事に帰国してもPTSDに苦しむ退役軍人を数多く生んでいるのです。

 誤解を恐れずに言えば、残念ながら、世界で国際紛争が消えてなくなることはないでしょうから、その犠牲者はいろいろな形で出ることになります。その時に、どういう方針で行動した末にその犠牲者が出てしまったのか、ということは、考える価値があると思うのです。

 

    今日の横浜での地方公聴会で、安倍政権を「反知性主義」と断じた方がいらっしゃいましたが、まったく同感です。

 

 我々は、選挙によって時の政権を選ぶことができます。

 

(M.H.)