翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

送り仮名のこと

「現われる」と「現れる」、どちらが正しいのでしょうか? 「表わす」と「表す」、「行なう」と「行う」、「断わる」と「断る」は?

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  現在の送り仮名のよりどころは、文科省から出ている昭和48年の通達のようです。(参照→送り仮名の付け方:文部科学省

 

 で、上に挙げた例は、すべて、前者が「許容」、後者が「本則」となっています。これら活用のある語は、活用語尾を送り仮名にしようというのが基本の考え方になっているからです。つまり、活用しない部分は不変なのだから送り仮名をふる必要はない、ということですね。規則としては合理的です。でも、上の文科省の通達を見てもらえればわかるように、例外がたくさんあって、たとえば「恋しい」の「し」とか、「明らかだ」の「ら」とか、「小さい」の「さ」とかは、本則ではないが、例外として送るのが基本です。

 なのに、冒頭にあげた4組は、たとえば「現れる」が本則、「現われる」は許容、となっています。許容、ってなんだよ、と思いますよね。どうも調べてみると、戦後すぐまでは「現れる」「表す」「行う」「断る」が一般的だったのを、昭和34年の通達で、誤読や難読の恐れを排除する目的で、「現われる」「表わす」「行なう」「断わる」が基本と定めたようです。

 つまり、昭和34年から昭和48年の14年間は、教科書や新聞は「現われる」という表記だったはずです(確かめていませんが)。そして、わたしは昭和32年生まれ、昭和48年は16歳ですから、小学校、中学校、高校の一年生くらいまでは「現われる」という送り仮名で育ったことになります。高校生の時に買った岩波の国語辞典は今も使っているのですが、これは昭和46年の発行、つまり、現在の通達が出る前の辞書なので、「現われる」は「現われる」となっていて、「現れる」は載っていません。

 翻訳の仕事を始めると、出版社によっては、この「現われる」の「わ」に赤が入って、消してくれ、と言われるようになりました。でも、教科書や新聞じゃないんだから、いいじゃないか、とそのたびに思います。いや、そもそも、この「わ」がないと、気持ち悪くてしかたがありません。許容されているのでそのままにしておいてくれる場合もありますが、シリーズ物だと、ほかと合わせてください、ということになり、しぶしぶ従います。

 だいたい、誤読をなくすために考えたことを、なぜやめてしまったのかがわかりません。「敬意を表して」と書いてあったら、「ひょうして」なのか「あらわして」なのか、わからないじゃありませんか。「行い」と書いてあったら、「おこない」なのか「こうい」なのか、わからないじゃありませんか。だから、昭和34年の通達は意味があったと思うのです。

 また、昭和48年の通達の前書きの二には、「この「送り仮名の付け方」は、科学・技術・芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。」とあるのですから、著作権が認められている文芸翻訳では、少なくとも、通達の許容に入っているものは訳者の好きなように使わせてほしいものです。

 

 と、まあ、ごちゃごちゃ書きましたが、子どものころに刷りこまれた知識は簡単にはぬけないもので、「わ」が入ってないと気持ち悪くてしかたないんですよ。編集者の皆さん、よろしくお願いします。

(M.H.)