翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

邪念

 昨日、駅前の歩道橋の手すりのそばで、若いカップルが向きあって立っているところに行きあいました。男性はスーツ姿ですが、大学生だったのかもしれません。スーツが体になじんでいませんでした。女性は白いコート姿。

 楽しくおしゃべりかと思ったら、男性がズボンの右ポケットから白いハンカチを出して、女性の顔にあてました。

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 横を通りすぎただけなので、見たのはそこまで。あとはどうなったか知りません。以下は、そこから職場の学習塾まで歩いていくあいだに考えたこと。

 

    まず、思ったのは、あの若い男性は、よく(きれいな)ハンカチもってたな、ということ。就活のためにスーツや革靴やネクタイと一緒にそろえたんだろうか?

 次に考えたのは、ここが肝心なところですが、彼はハンカチをポケットから出しながら、「こういうシーンを本で読んだな」とか、「映画で見たな」とか思っただろうか、ということ。わたしなら絶対に思うでしょう。

 そして、ハンカチで彼女の涙を拭きながら、「おれって、かっこよくないか」と思うのです。そして、彼女もハンカチを受けとりながら、「まるでドラマみたい」と思っていたにちがいありません。(キッパリ)

 彼は「なんでこんなとこで泣くんだよ」と思いながら、彼女は「ハンカチ貸してくれたからって許さないわよ」と思いながら、二人ともこのシチュエーションにどこかで酔っているはずです。

 

 年寄の妄想ですかね?    

 人間はパターンで行動しがちで、たとえ人前で女の子に泣かれるのが初めてでも、小説や映画で頭にインプットされた登場人物たちの行動をなぞりたくなるんじゃないだろうか、そのあとの和解とハッピーエンドを想像するんじゃないか、と思うわけです。

 翻訳をしていると、原文を読んで一生懸命に、そう、日本語の小説を読むより何倍も一生懸命に情景を思い浮かべ、日本語をひねくりまわして再現しようとするわけですから、さまざまな場面が頭の中にたくさん蓄積されていきます。山岳小説を訳したところなので、今なら酸素ボンベ使えそうだし、懸垂下降できそうだし、エベレストだって登れそうです(笑)。

 

 だからどうした、ってわけじゃないんですが、なんだかこのことを書きとめておきたくて……。

 

 ところで、上に挙げた英英辞典『コリンズ・コウビルド』のハンカチの語義は「はなをかむために使う小さな正方形の布きれ」となってます。イギリス人はハンカチで涙はぬぐわないんでしょうか?

(M.H.)