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翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

翻訳勉強会にて(7)

 昨日は勉強会の通算11回目。初回から扱ってきたロバート・ウェストールの短編、"Blind Bill" が終わりました。

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 メンバーの訳のくせなどもわかってきたので、僭越ながら、各人へのアドバイスもしました。その下準備をしている時に、おもしろいことがわかりました。

 

「自分の訳のくせを知る」

 ふと思いついて、通し訳を出してくれたメンバー5人+原田、計6人の訳文の文字数を、ワードの機能を使ってカウントしてみたのです。すると、一番文字数の多い人と、一番少ない人とでは、なんと10パーセント以上の文字数のちがいがあるではありませんか! 具体的には、もっとも文字数の多かった人は16,324文字、もっとも少なかった人は14,447文字だったのです。同じ原文に対してこれだけの差が出るのですね。

 ちなみに原田は15,878字で、多いほうから2番目でした。自分としては、最初に訳した文章から、見直すたびに余分なところを刈りとっていくので、かなり文字数は少ないのではないかと思っていたのですが、意外でした。

 文字数の多寡には、もちろん、いろいろな要因があります。

 文字数が減る要因は、主語を省略している、敬体ではなく常体を、そして体言止めなどを使っている、漢字が多い、直訳調である、などでしょうか。

 文字数が増える要因とは、重複表現が多い、敬体を用いている、ひらがなが多い、意訳や補足を加えている、などでしょう。原田の場合は、これまでの勉強会でわかったこととして、直訳してもよくわからない場合に補足を加えているからかもしれません。どちらがいいというわけではありませんが、自分のくせの把握にはなると思います。

 


「この表現、かっこいいのはわかりますけど、必要ですか?」

 以前、コラムにも書いたことがありますが、作家の北村薫さんの著書に、「読書は表現活動である」というフレーズがありました。つまり、読者が活字を追って、それぞれの頭の中に、それぞれの情景を立ち上げ、その人なりに共感するのが読書という営みなのです。ですから、翻訳者は自分の訳文の文字面をゴールとせず、それを読んだ読者が気持ち良く「表現活動」できるような訳文を作らなければなりません。

 だから、あまり格好のいい決め台詞のような訳語を連発したり、言葉の組み合わせを独創的なものにすることは避けたほうがいいということです。読者の頭の中での表現活動を阻害するからですね。情景描写、心理描写、プロットなどは、読者が頭の中にそれを再構築できて初めて生きるのですから、むしろくせのない文を重ねていく中から、言葉のチームプレーで目的を達する。もしくは、パスをつないで、最後の最後だけ、ストライカーがテクニカルなシュートを決める、といったイメージでしょうか。え? わかりにくい?   スポンジがあって、その上にクリームやイチゴが乗る、イチゴばっかりじゃ、ショートケーキにならないということです。

 わたしもよく編集者に言われるのですが、「この表現、かっこいいのはわかりますけど、必要あります?」 これ、言われるとけっこうグサッと胸に刺さるんですが、まあ、十中八九、あたってますね。

 

 というわけで、次回からは新しい課題に入ることになりました。参加者の皆さん、また、心機一転でがんばりましょう。

(M.H.)