翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

ウェットな文章

 自分の訳文は、どちらかというとウェットだと思います。ドライじゃない。そんなことを考えていた矢先に、また、NHKで「浦沢直樹の慢勉」を見ました。

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(NHK「浦沢直樹の慢勉」シーズン2、古屋兎丸さんの回の放映画面より)

 シーズン2の最後は古屋兎丸さん。前回の五十嵐大介さんの回も見ましたよ。

 五十嵐さんは、三辺律子さんの新訳で出たキプリングの『ジャングルブック』の表紙絵で知っていました。最初、漫画家さんとは知らず、いわゆるイラストレーターなんだろうと思っていました。慢勉を見ましたが、やはり漫画というより風景画みたいな作風。でも、この表紙、背景や動物たちの描写もいいけど、やっぱりモーグリの裸のお尻と、がっとひらいた裸足の指がいい。

ジャングル・ブック (岩波少年文庫)

 

 

 古屋兎丸さんも、作品は読んでいませんが、番組で見るかぎり、誤解を恐れずに言うと、画材や手法へのこだわりは漫画家というより画家のようでした。(表現方法のちがいだけで、区別する意味はないのかもしれませんが。絵本と漫画の区別というのも興味深い点なんですが、これはまた、いずれ……)

 

 この回の冒頭、浦沢さんが、女性のバストのあたりの服の線を描く話で、こんなことを言ってます。

「絵って、フェティシズムの表明じゃないかと思うんですよ。自分はここにグッときてるんだ、とバーンって……。とても恥ずかしい作業。でも、それが強烈に表現されているものは、やっぱ人の心を打つんですよね」

 然り。自分も絵を描くわけじゃないけれど、原書を読んでグッと来たところは訳すのに力が入ります。どうしてもウェットになる。リズムや言葉の選び方、間合いやセリフ回しで、どうにかして読者を泣かせようとします。空回りして編集者さんの鉛筆が入ることも多いのですが……。

 だから、ハードボイルドなんかたぶん訳せない。昔、一時期よく読んでいた吉村昭さんの小説は、ドライな文章を延々積み重ねてじわじわ感情をかきたて、そのうち、たまったものがあふれてくる、そういう訳文はできないような気がします。ん? でも吉村昭の文体も、ウェットな文体の一種なのかもしれません。

 

 

 もう一箇所、今度は古屋兎丸さんの言葉が胸に残りました。

「やっぱりその、発見の集積なんで……。ぼくが漫画を描くのを休めないのはそこが一番大きい。たぶん半年休んだら、その集積の何割かは忘れちゃうだろうな、と」

 発見の集積、ね。「ピアニストは一日練習を休むと自分にわかる。三日休めば聴衆にわかる」という言葉を聞いたことがありますが、練習しないと腕が鈍るってだけじゃなくて、発見がなくなって前に進めなくなる、ってことなんでしょう。「発見の集積」というのはいい言葉です。

 どんな仕事にも、もちろん翻訳にもこれは当てはまると思います。うん、毎日「発見の集積」をしたい。いや、毎日、でなくてもいいかな……。

 

「浦沢直樹の慢勉」は9月からシーズン3が始まるそうです。先の楽しみが増えました。漫画、読まなきゃ。

(M.H.)