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翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

『縞模様のパジャマの少年』

 読みました。ずっと気になっていたのですが、ようやく。

縞模様のパジャマの少年

 

 ホロコーストもので、話題になったものは、きっといい本なんだろうな、と思うのですが、なにせ、つらい話なのはまちがいないので、とりあえずは読まずにそっとしておくことが多い。

 衝撃のラストです。ほんとうに衝撃です。ラストがどうなるのか予想がついたとたんに息が苦しくなりました。その先の数ページは、文字面をさあーっとなぞることしかできませんでした。一字一句なんて、つらくて読んでいられません。うーん、作品としては、このラストを思いついた段階で成功ですね。ネタバレになってしまうので書けませんが、衝撃であると同時に、差別する側とされる側、こちら側とあちら側をじつに巧みに象徴するラストです。

 

 拙訳『フェリックスとゼルダ』もホロコーストと子どもを描いたものですが、こうして21世紀になっても、そして、若い作家も(ジョン・ボインが『縞模様のパジャマの少年』を書いたのは30代)このテーマをとりあげます。

 こういう作品を、今の日本の子どもたちに読んでもらうことの意義はどこにあるのか、考えずにはいられません。正直、もういいじゃないか、とも思います。でも、わずか70年前に、数百万人の人々が殺された事実は何度語っても語り尽くせない、とも思います。なぜメルケル首相がシリア難民を受け入れるのか、ホロコーストを知らずには語れません。テロの脅威や難民問題にさらされるヨーロッパの人たちにとっては忘れてはいけない歴史です。そのことを、どうやって日本の子どもたちに知ってもらうか? 

 

 ただ、子どもむけのホロコーストもので、いつも気になることが二つあります。

 ひとつは、ホロコーストというテーマを作品を書くネタにしていないか、ということ。欧米では、ある意味、鉄板のテーマですし、そもそも戦争というのは文学を成立させるためのネタがごろごろしている出来事です。

『フェリックスとゼルダ』の作者、モーリス・グライツマンはオーストラリア人ですが、おじいさんがポーランドの人で、第二次大戦を彼の地で経験しているというルーツがありました。しかし、『縞模様のパジャマの少年』の作者、ジョン・ボインはアイルランドの人です。なぜ、アイルランド人がドイツやユダヤのことを書くのか? 作品のネタにしてないか? 気になりました。

 調べてみると、やはりボインは「なぜ、アイルランドのことを書かないのか?」と、作家になって15年あまり、何度も尋ねられていたようです。最近、本人がその疑問に答えている記事を見つけました。とてもつらい話で、アイルランドのカトリック教会やコミュニティでの幼いころの不幸な記憶があって、なかなか自国のことを書くふんぎりがつかず、よそにテーマを求めていたのだとわかりました。彼の最新作は一般向けの小説ですが、ようやくアイルランドが舞台の物語を書くことができたのだそうです。自分の経験から目をそむけたままでは、自国を舞台にした物語が書けないというのは、たぶん小説家として誠実な人なのでしょう。

 

 もうひとつは、児童文学としてホロコーストを描く時に、「ユダヤ人差別や虐殺は、無垢な子どもの目で見ると、どう考えても理不尽だ」という視点を利用することです。これはとても強力な視点なのですが、見て見ぬふりをしてきた大人たちの追求が作品の中では充分にできないことが多い。まあ、児童書の場合、それは仕方がないことだし、そういう大人むけの作品は別にたくさんあるのでしょうから、目くじら立てることではないのかもしれませんが、なんだか、子どもと子どもむけの小説の中で完結する妙なまとまりに、違和感を感じることがあります。

 さらに言えば、日本でも戦時中にいろいろな差別や迫害があり、今もヘイトスピーチなどで厳然と存在している差別のことを脇において、70年前のヨーロッパのユダヤ人の話を翻訳することへの軽い罪悪感があるのは否めません。

    まあ、それぞれが持ち場、持ち場で、できることをすればいいのですが……。


    あ、話が少しそれました。『縞模様のパジャマの少年』、すぐれた作品です。翻訳は千葉茂樹さん。

    映画は見る気がしないなあ。これが映像になったら、つらすぎる。

(M.H.)