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翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

論理的に読む

翻訳の周辺

「論理的に」と「読む」をつなげていいのかどうかわかりませんが、校了間近の子どもむけ図解本の翻訳を通じて考えたことを少し。

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 地球と宇宙についての本なので、いわゆる理系の知識が出てきます。といっても、子どもむけなので、中学校の教科書くらいのレベルでしょうか。

  いかにも論理的に読み、論理的な訳文を書く必要があるように思われるかもしれませんが、文章の構造そのものはやさしいので、そのあたりの苦労はあまりありません。なにが難しいかといえば、原文に書かれている用語や内容を理解すること。知らないことならば、調べて理解すること。どういう形をしていて、どういう動きをするのか、物体なのか、力なのか、気体なのか、個体なのか。日本語ではどういうのか、訳語が二つ以上ある場合は、どれが一般的なのか、学校の教科書に出てくるのはどちらなのか。出てきた数字は正しいのか、その後、新しい知見は出ていないのか。

 そう、ひたすら事実関係の確認と理解を続けていくのです。といったって、専門書じゃないんで、たいした分量ではないのですが、それでも、うそやまちがいを書いてはいけませんから、一人じゃなくて、何人かの目を通して確認してもらっています。

 

 そんな作業を続けてきて思ったのですが、小説を翻訳する時のほうが、よっぽど「論理的に読む」意識が必要なんじゃないか、ということ。科学的な話は、筋の通らない文章はすぐにわかってしまいます。あ、もちろん、用語の最低限の理解は前提ですが……。でも、人の考えや感情を、情景や動きや時間と組み合わせながら進んで行く小説という形態の文章こそ、作者の意図を論理的に読む必要があるんじゃないかと思うのです。

 たとえば、恒星と惑星、火成岩と堆積岩、公転と自転、熱帯雨林と環境問題、といった言葉の組み合わせは、用語そのものの輪郭がはっきりしているので、用語さえ理解すれば誤解の余地は少なくなります。ところが、嬉しくて涙が出たり、あきれて苦笑いをしたりするのが人間だし、幸福と幸運、事実と真実、ねたむとうらやむ、微笑むとほくそ笑むは重なってるけれど違っているし、しかも、それが外国語で書かれているわけで、理系の読み物よりも、よっぽど論理的に、というか、流れを整理しながら読んでいかないと、日本語に直すことはむずかしいんじゃないか、ということ。

 

 もちろん、小説においても事実の確認はとても大事。階段の途中なのか登りきったところなのか、窓枠なのか窓ガラスなのか、廊下なのかホールなのか、ピメントサンドイッチってどんな食べ物なのか……。

 原文に書かれている言葉や事実を確認し、その前後の組み合わせが論理的につながっていることを確かめながら理解する。次に、適正な日本語の用語や訳語を選択し、やはり、前後が論理的につながっている訳文にしていく。その繰り返しが翻訳なのだな、と改めて思いました。

 

 あ、でも、やっぱり、人の気持ちが関わって、ふらふら揺れている、そして時おり、意図的に論理性を裏切る、小説の翻訳がおもしろいかな……。

(M.H.)