翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

翻訳勉強会(2−8)

 訳文を見直す時、人に言われたことを素直にきいてはいけません。

 でも、素直に考え、その必要があれば、自分の力になると念じて直しましょう。

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    勉強会は8月はお休み。休み前、最後の25日の会で思ったことを少し。

 

 ● 訳した原稿を編集さんにわたすと、「提案」という趣旨で、鉛筆による書きこみが入ってもどってきます。なるほどね、と、素直に訳文を見直せばいいか、というと、そういうわけでもありません。

 勉強会では、当番の人の訳文に、わたしがコメントしたり、ほかのメンバーからの提案が出たりします。でも、やはり、素直に人の言うことをきいてはいけません。

 

 たとえば、ある単語の訳語について意見が出た場合、果たして提案された言葉が前後の流れの中に違和感なくおさまるかどうかを確かめなければなりません。コメントした人の訳文の前後と、自分の訳文の前後が同じとは限りませんからね。考えた結果、直す必要がないと思えば、直さないのもひとつの判断です。

 また、たしかに言われたことはうなずけることだったとしても、なぜ自分はそう訳さなかったのかを少し考えてみる必要があります。自分の知らない言葉だったのか、知ってはいるが、あまり使わない単語だったのか、候補として考えたけれど、なんらかの理由で使わなかったのか、その理由とはなんなのか、登場人物のキャラクターに合わないと思ったからか、直前に同じ訳語があって、ダブルのを避けたからか……。

 そして次に、言われたことの趣旨はわかったけれど、その趣旨に沿ったもっといい言い回しはないだろうか、と考えてみます。だって、悔しいじゃないですか、人に言われてそのまま直すのは、ねえ。そして、ベターなものを見つけたら、よっしゃあ、とそっちを使いましょう。見つからなかったら、しぶしぶ(笑)言われたように直しましょう。このあきらめの悪さが、自分の、そう「自分自身の」翻訳力の微修正につながります。授業や勉強会やセミナーなどの場では、漫然と話を聞いていると、自分のものになったような気がするだけで、その場で流れて消えていってしまいます。

 さらに、次が肝心。これで、今のところ(あくまで、今のところ)ベストな訳語が見つかったけれど、次に同じような状況に遭遇した時、いや、極端な話、まったく同じ原文に出会った時、この最善の言い回しが自分の頭の中から(ここがものすごく大事。他人の口じゃなくて、自分の頭のどこかから)出てくるかどうか、考えてみましょう。そして、出てくるはずだ、出てくる、と念じましょう、願をかけましょう(笑)。

 このひと手間(?)の積み重ねで、自分の翻訳力が伸びていくのです。そうじゃないと、「うーん、たしかに。そっちのほうがいいから直そう!」で、はい、おしまい、になってしまいます。

(M.H.)