翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

世界の翻訳者仲間(その2)── アルメニアの翻訳者

 一昨日紹介した続きです。

 アルメニアの翻訳者、Alvard Jivanyan (以下、ジヴァニアン)さん。

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  対象作品は "Little Princess" 、そう『小公女』です。ジヴァニアンさんは女性の翻訳者で、モスクワの大学で学んだ後、アルメニアの首都エレバンの大学で文献学の博士号をとっています。英語の古典児童書の翻訳が多く、2013年以降だけで、『ピーターパン』、『くまのプーさん』、『ハイジ』、『若草物語』、『オズの魔法使い』を翻訳しているそうです。

 『小公女』("Little princess" アルメニア語では、上の写真にあるように、"Poqrik arqayadustry" だそうです。)は、わたしが子どものころ大好きだった作品。そして、アルメニアは気になる国なので、とりあげてみました。

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 1980年代、わたしがイラクに1年滞在していた時、一緒に仕事をしていた人たちには、アルメニア系のイラク人が多くいました。彼らはアラブ圏のイラクの中で、民族的なアイデンティティを保って暮らしていました。家ではアルメニア語、街ではアラビア語を自在に操り、アルメニア人学校で英語をしっかり学ぶので、仕事に支障ないくらいに喋る人がたくさんいました。ですから、外国企業に多く雇われ、経済的にもそこそこ恵まれている人が多かったと思います。会計士や弁護士などもいました。宗教的にも、イスラム教徒が大半を占めるイラクで、アルメニア正教を守っていました。フセイン政権下でしたが、じつは、こうした民族的・宗教的な自由は保障されていたのです。

 わたしがいた企業の現地事務所も、イラク人従業員のリーダー役はアスランというアルメニア人でしたし、女性タイピストのアナヒードも、やはりアルメニア人でした。アスランの家に行ったこともあります。25歳前後だったわたしは、歯に衣着せずものを言うアナヒードによく怒られましたっけ(笑)。任期が半年過ぎた時、イギリスに遊びに行くついでに、ロンドンに住むアナヒードの妹さんに、イラクのデーツ(なつめやし)の砂糖漬け(?)をもっていったこともあります。アナヒードのご主人はアラブ系のイラク人で、周囲の猛反対を押し切っての結婚だったと聞いたことがあります。アスランは、チャンスがあればギリシアに亡命したい、と言っていました。

 駐在していたバスラには、当時JALの現地事務所があり、よく電話をかけたり、直接行ったりしていました。窓口の女性職員は、みなアルメニア系の若い女性たちで、イギリスへ行った時は、頼まれた化粧品を買ってきてあげたのを覚えています。前もこのブログに書きましたが、契約していた会計士もやはりアルメニア人でした。

    彼らは自由に国境を越えることができなかったのです。

 

 アルメニア人は、ユダヤ人同様、こうして世界中に散らばっていても、アルメニア人であることを守っている人たちがたくさんいます。アルメニア解放戦線というテロ組織もありましたね。その後、フセイン政権は崩壊し、ソ連の一共和国だったアルメニアも独立国になりました。アスランやアナヒードは今なにをしているのだろうか、と時おり思います。

    アルメニアは、ある意味、わたしに国家と民族の関係を実地に教えてくれた国であり、民族なのです。


 おそらく、このジヴァニアンさんも、ソ連政権下で大学に行き、さまざまな混乱を経験しながら、今、子どもの本をアルメニア語に翻訳しているのではないかと想像します。ソビエト政権下では、英語圏の児童文学のアルメニア語翻訳はできなかったのかもしれませんね。

 

 そんなこんなで、リストにアルメニア人の翻訳者が載っているのを見つけて、感慨深いものがありました。

 

 ところで、このカタログ、巻末に、オナーに選ばれた人たちの住所とメールアドレスが掲載されています。わたしのものも……。えー、知らなかったよー。いいのかなあ。と思いながら、一方で、突然、海の向こうからメールや手紙が来るんじゃないかと期待しています。

(M.H.)