翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

無言館 ── 戦没画学生慰霊美術館

「無言館(むごんかん)」へ行ってきました。タイトルにあげた通り、戦争で命を落とした画学生たちの作品を集めた美術館です。作家、水上勉の息子さんで、著作家、美術評論家の窪島誠一郎さんが絵を集め、長野県上田市に1997年にひらいた美術館です。

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  こんなふうに丘の上に木に囲まれてあるのですが、下の鑑賞券の写真からわかるように、できた時は空が見えていたのですね。

 

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 鑑賞券にある「傷ついた画布のドーム」というのは、無言館の別館なのですが、こちらを先に見ました。圧倒されました。鑑賞券の写真からわかるように、ドーム状の天井に絵が貼ってあります。これはすべて、戦没した美大生たちが描いたもの。石膏塑像のデッサンが多かったように思います。壁には、20名くらいの美大生たちの作品と略歴がかけてありました。

 多くが、昭和19年から20年、日本の敗色が濃くなったころ、南方戦線で命を落としています。20年の8月、いや、終戦後の9月、10月に、外地で戦病死している者も多い。さぞ無念だったことでしょう。

 入ったとたん、高い天井から見下ろす絵また絵に、胸の奥がざわめきました。戦没者の遺品は時おり目にしますが、若い彼らが描いた絵には不思議な力がありました。戦地に赴く前、日本で画家や彫刻家をめざしていた彼らの芸術への真摯な取り組みが、こうしてキャンバスや紙の上に定着されているわけですが、描いた本人たちは道半ば、いや、20歳そこそこですから、芸術家としてのスタート地点に立つか立たないかうちに、若い命を戦争によって落としているのです。彼らの絵は、生きた証というより、断ち切られた夢や人生そのもののような気がしました。

 「画布のドーム」には、袖廊のように左右に細い通路のような展示スペースがあります。そこに、数多くの自画像がありました。ここに入ったとたん、細長い展示室の左右から、間近に彼らの顔や目が迫ってきます。画家の若い頃の自画像というのは、鬱屈や、欲望や、内省や、若さゆえの青臭くも暗い情念のようなものがにじみ出ているものが多いと思うのですが、彼らの自画像からは、やはり恨みのようなものを感じてしまうのです。自然と謝りたくなりました。

 無言館も同様の展示でした。手紙なども多く展示されていました。婚約者にあてたもの、母にあてたもの、くずし字は読めないものもありましたが、戦地や駐屯地で手紙を書くという行為は、おおいに慰めになった反面、同時に、死を予感した自らの内面をのぞく行為であったはずで、無理に作った明るい言葉の裏に、文字にできなかった混沌とした思いが見えるようでした。

 

 窪島さんは、無言館を建てる前に、「信濃デッサン館」という、夭折の画家たちの作品を集めた美術館を、1977年に近くの寺の境内に建てていました。展示された画家のうち、村山槐多の名だけは知っていました。22歳で結核で亡くなった画家です。

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 写真右の鑑賞券の絵が、村山槐多の「裸婦」です。左は、展示されている絵の中でわたしが一番いいなあと思った、松本竣介の「少女」。絵葉書になっていたので何枚か買い求めました。

 

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 これが「信濃デッサン館」の入り口です。前山寺というお寺の入り口近くにあります。山門の横にはものすごく太い木がそびえています。猫と遊んでいたおばさんに聞いたら、樹齢400年のケヤキだそうです。

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 並木に植えられているケヤキと同じ木とは思えない樹形です。「ケヤキじゃ、葉が落ちますよね?」と尋ねると、件のおばさん、「そうだよ。掃除が大変でいい迷惑だよ。こうなっちゃ、もう切れないしね」と、口ではバッサリ。でも、どこか愛情を感じました。

 

 話がそれましたが、美術館の一連の建物には共通点があります。まず、コンクリートの壁。そして、木の重い扉です。どの建物へも、木の扉を開けて入っていきます。外に受付はありません。「画布のドーム」や「無言館」に至っては、受付はなく、いきなり展示室で、出口にカウンターがあって係り員が座っているのです。平日の朝ですいていたこともあり、澄み切った秋の空気から、扉を開けて中に入ったとたん、大げさに言えば、なにか荘厳なものを感じました。来場者に先入観なく、なにかを感じてもらう工夫なのでしょうか。

 そして、みな、教会に似ています。「デッサン館」はコンクリート壁の上に切妻の屋根がのっていて、そのあいだがぐるりと明かり取りのガラスになっています。奥の縦スリットのガラス窓は、外にからんだツタの葉影が透けて見え、ステンドグラスのようでした。「画布のドーム」は教会の身廊のような高いドーム天井の空間と、袖廊のように細長い展示スペースが左右にあります。「無言館」は、建物を上から見ると十字形になっていました。

 いずれも、美術館であると同時に、祈りの場でもある、というメッセージが込められているのかもしれません。

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 これは「傷ついた画布のドーム」の入り口。

 

 平和への願いは無論強く感じるのですが、それ以上にいろいろなことを感じさせてくれる美術館です。

 

 信濃デッサン館、無言館は、関東から行くには、上信越自動車道の東部湯の丸インターより、バイクで、いや、車でも(笑)30分ちょっとです。ここからはビーナスラインも近いですよ。ということで、昨日は愛車のW400、水没後の初めての遠出でした。その話はまた。

(M.H.)