翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

イラク戦に想う。

 昨日、イランのテヘランであった、サッカーW杯アジア最終予選で、日本はイラクに1−1で引き分け、とりあえずグループ首位に立った。中継の中で、アナウンサーが「イラクはバスラで親善試合を行ない……」と言った。思わず、おっ、と体が反応した。そうか、バスラで試合ができるくらいに治安が回復したのか……。

 下の写真は、たぶん1982年ころのバスラ。同じ事務所で働いていたイラク人スタッフの写真だ。むかって左はサミ、右はサルゴン。この時二人はたぶん30歳前、自分も25、6歳だった。 ということは、この二人も、無事であればもう60代半ばになっているはずだ。無事であってほしい。

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 当時はイラン・イラク戦争の最中。その後、湾岸戦争、フセイン政権の崩壊、ISによる内戦と、ずっと苦しい環境が続いている。サミはこの後軍隊に入り、負傷した、という話までは聞いたが、その後は知らない。

 サッカー日本代表は、ドーハの悲劇をもちだすまでもなく、イラクにはいつも苦労する。国の中がめちゃくちゃで、練習なんてろくにできず、代表チームだってほとんど合同の練習ができないはずなのに、いつもしぶとい戦いをする。たぶん、日本があんな国情だったら、サッカーどころじゃなくなるはずだ。それがイラクでは、代表チームは国の誇りであり、シンボルであり、国際社会にイラクの名前を示すための、ある意味、政府よりも真の意味で国民代表として戦っている。

 

 イラクでの通算2年近くの滞在のあいだに、自分は計り知れないものをもらったと、今から考えると思う。いろいろなものの見方を自分はあの国で身につけた。

 ほとんど初めての海外だったので、言葉のことはとても刺激になった。英語、アラビア語。写真のサルゴンはじつはアルメニア人なので、アルメニア語もしゃべる。アルメニア人はどういう民族なのか、教えてももらった。仕事の現場では、インド人やタイ人も働いていたので、彼らの話も聞いた。そもそも、国って何なのかとか、国境って何だろうとか、そういうことも考えざるを得なかった。

 もちろん、戦争のことはずいぶん考えた。働くということ、教育のこと。イスラム教の国なので、宗教のこと、女性の権利のこと。飲酒、喫煙のこと。現場にも3ヶ月ほどいたので、社内のいろんな人と酒も飲んだし、麻雀もやった。真夏は50度近くになるので、単純に、ああ、人間の適応力はすごいな、とも思った。バグダッドやハトラ、モスルにも行った。

 当時勤めていた会社を、その後辞めて翻訳をやり始めた時、湾岸戦争を題材にした『弟の戦争』を訳させてもらえたのも、この時の体験があったからだと思う。もちろん、翻訳には力が入るすぎるくらい入っていた。ある意味、突っ張った、ガチガチの文章だったろう。でも、あの作品が、ある意味、自分の翻訳する作品のラインや、もしかしたら訳文のトーンまで決めたと思う。

 

 

 ともかく、バスラでサッカーの試合ができるようになったのだから、だいぶイラクも元気になってきたんだろう。どうか、平和が続いて、いつか日本代表が、バグダッドやバスラでW杯予選を戦える日が来ますように。

 

f:id:haradamasaru:20170614011647j:plain 弟の戦争

 

(M.H.)