翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム「再」再録「原田勝の部屋」 第51回 原音主義

★欧米の人は、名前や地名の読み方にさほどこだわりがないようで、作者から「好きに読んでくれ」なんていう返事が帰ってくることもしばしば。日本人がこれほど名前の発音にこだわるのも、日本語のカタカナが表音文字だから。文字にしてしまうと読み方が一通りに定まってしまいます。アルファベットは、ある程度音は表わすものの、読み方が一つではないので、便利といえば便利、不便といえば不便です。(2017年09月09日「再」再録)★

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 固有名詞の表記はほんとうに悩ましい問題です。

 今、翻訳中の小説は、山の話だということは、以前も触れましたが、まずは「エヴェレスト」か「エベレスト」か、で悩みます。「エベレスト」のほうが日本人にはなじみがありますよね。さて、どうしたものか。いやいや、チベット語なら「チョモランマ」、ネパール語なら「サガルマータ」でしょ。

 

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  先日、刊行された拙訳『飛行士と星の王子さま』では、サン=テグジュペリが郵便飛行機の路線を開拓していく時に、北アフリカや南米の地名が出てきました。これもややこしくて、原作は英語表記ですが、そもそもサン=テグジュペリはフランス人で、また、それぞれの地域がフランス領だったり、スペイン領だったり、ポルトガル領だったりするわけで、しかも、同じスペイン語でも、スペイン本国とアルゼンチンとでは読み方がちがったり、と、もう大変です。一応、スペイン語の堪能な友人に確認して、できるだけ現地語主義でやりました。できるだけ……。

 

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第51回 原音主義

(2013年8月26日掲載、2015年08月25日再録)

 

 日本では外国の地名や人名を、いわゆる原音主義に従い、できるだけその国の言語の発音に近い表記で表わすことになっています。「ことになっています」と言っても、だれが決めたのかよく知りません。まあ、その国の人たちがどんな風に言ってるかを尊重するのですから、理屈に合っていると思います。たぶん、文部科学省あたりはその方針をなんらかの形で通達しているはずで、学校の教科書や地図帳は、できるだけ原音に近い表記をとっています。

 

シーザー、おまえもか!

 わたしは英→日の翻訳をしているので、英語で書かれた固有名詞を日本語に直すことになるわけですが、英語の発音がわかっても、それが英語圏以外の場所や人物の名前だったら、現地ではどう発音されているかを調べなければなりません。さらに、その語が通例、日本ではどう表記されているかということも考慮に入れて表記を決定することになります。

 しかし、原音がわかっても、それをカタカナで表わすことには限界があって、たとえば、Parisは「パリ」と表記していますが、これは最後の子音を発音しないフランス語の発音に従っているようでいて、日本語にはない、あのうがいをするような “ r ” の音や、「リ」のほうにアクセントのある発音はまったく再現されていません。そして、英語では「パリス」です。「モスクワ」はどうでしょう。ロシヤ語ではМоскваと綴り、「マスクヴァ」、と読みますから、原音主義と言いながら耳に聞こえる印象はだいぶ異なり、ロシヤ人と話しても通じないことが多いでしょう。英語では「スコウ」ですから、英米人と話しても通じないという事態になりかねません。でも今さら、モスクワをマスクヴァとはできません。

 パリやモスクワなら表記に迷うことはありませんが、なじみのないフランスやドイツの田舎町とか、そもそも文字が異なるロシヤや東欧、ギリシアの地名などが出てくると、その都度、原音を調べた上で、息子が使っていた地図帳や受験参考書を調べて表記を確認し、ネット上の旅行サイトなどで、どういう表記が一般的なのか、あるいは一般的な表記などないのかを調べます。

 人名でも似たような作業をします。気をつけていないと、John Paulを「ジョン・ポール」と訳したら、「ヨハネ・パウロ」だったとかいうこともあるわけで、ローマ法王がミュージシャンになりかねません。さらに、「ジュリアス・シーザー」か「ユリウス・カエサル」か、「金大中」か「キム(・)デジュン」か、といった問題もあります。

 余談ですが、理由はよく知りませんが、マスコミが韓国人の名前の漢字併記をやめたせいで、サッカー選手の名前が憶えにくくなってしまいました。ついこのあいだまでは、「朴智星(パク・チソン)」とか、「洪明甫(ホン・ミョンボ)」とか書いていたのに、最近は、「チョ・ヨンチョル」とか「キム・ミヌ」とか、カタカナだけなので、どうにも印象に残らなくて困ります。しかも、漢字にすると同じ「李」なのに、韓国選手は「イ」、北朝鮮選手は「リ」と表記するのもややこしい……。いや、まったくの余談でしたね、スミマセン。

 

スイスでは……

 拙訳『フランケンシュタイン家の双子』(東京創元社、2013年4月刊)と、もうすぐ出版される続編の『フランケンシュタイン家の亡霊』(同、2013年9月刊予定)は、スイスが舞台で、作者のケネス・オッペルはカナダ人、本家『フランケンシュタイン』の作者メアリ・シェリーはイギリス人です。スイスは独仏伊+ロマンシュ語の四カ国語が公用語、カナダは英仏二カ国語が公用語、書かれた言語は英語、というややこしい状況です。

 こうなると、どういう固有名詞表記が正しいかという決め手がなくなってしまいます。舞台となるフランケンシュタイン城はレマン湖のほとりにあり、ジュネーヴなどとともに、スイスの中でもフランス語圏にありますから、地名はフランス語風が基本となりますが、幸い、十カ所も出てこず、だいたいが観光案内にも登場する地名だったので、助かりました。

 しかし、人名では、くりかえし登場する人物の中にも迷うものがいくつかありました。Henryは「ヘンリー」じゃなくて、ほんとうはHenriで「アンリ」じゃないのか、とか、Gerardは「ジェラード」か「ジェラール」か、Carolineは「キャロライン」か「カロリーヌ」か、とか……。作者に尋ねるという手があるのですが、過去の経験から、「わたしはこう読むが、好きにしてくれ」という返事が来ることが予想されました。

 作家のホームページのFAQを見ると、登場人物の名前の読み方を尋ねられて、好きなように読んでくれ、と答えていることがあって驚きます。あるいは、作家自身がちゃんと読み方を決めていないことさえあります。自分が造形した人物なのに、ちょっとそれはないんじゃない、と思いますが、アルファベットが他の多くの国の言語と共通している英語圏の作家は、固有名詞の読みにそれほどこだわらない人が多いようです。

 でも、今回はいい手がありました。じつは主要登場人物が、メアリ・シェリーの本家『フランケンシュタイン』と共通しているので、本家の翻訳に合わせたのです。『フランケンシュタイン』には複数の翻訳がありますが、版元が同じ東京創元社で、比較的新しく翻訳された森下弓子さん訳のものに合わせることにしました。人物の生い立ちなども考えて決めたふしがうかがわれ、わたしとしても違和感のない読み方だったからです。本家に出てこない脇役については、それぞれの人物像や綴りから判断して、独仏伊のどれかに寄せる読み方にしました。

 

ポーランドでは……

 一方、拙訳『フェリックスとゼルダ』(あすなろ書房、2012年7月刊)と、続編の『フェリックスとゼルダ その後』(同、2013年8月刊予定)では、ポーランドが舞台となり、ポーランド人、ユダヤ人の名前が多く出てきます。ユダヤ人はアメリカにも多くいるため、インターネット上の名前辞典などの英語のサイトで、発音や由来まで調べることができます。

 ポーランド人の名前は、ポーランド在住の日本人の友人に問い合せ、英語表記の名前を連絡して、ポーランドの人にも見てもらい、日本語にするならこう書くといいんじゃないか、というのを教えてもらいました。いやあ、こういう時は、外国語大学を出ていて良かったと思います。友人知人をたどると、けっこうな数の言語を教えてもらえますからね。

 今回、続編のほうで、 “Dov” というユダヤ人の男の子が出てくるのですが、ネットで調べると、たしかにヘブライ語由来の名前で、「ダーヴ」と読み、熊という意味があることがわかりました。しかし、英語のDovという表記とだいぶズレがあると思い、ユダヤ人の名前ではありますが、ポーランドの友人にも尋ねてみました。すると、「ユダヤ系はよくわからないが、ドフ、の可能性がある」という答えが返ってきました。すっきりしないし、かなり重要な役割の登場人物なので、原作者のモーリス・グライツマンさんに問い合わせてみました。

 すると、返事が返ってきて、「それはなかなか難しい問題だ。ポーランド語では『ドフ』になるんだろうが、英語ではたいてい『ダヴ』と読む」とありました。そして、そのあとに、「平和の象徴である鳩(dove)を連想させるので、わたしは『ダヴ』のほうが好きだ」と書いてあったのです。「ダヴ」を採用したのは言うまでもありません。こうなると、原音主義は二の次ですよね。

 モーリス・グライツマンさんは、おじいさんがポーランドに住んでいたユダヤ人で、自身はイギリス生まれ、今はオーストラリア在住です。こうした彼のバックグラウンドや、前出のケネス・オッペルの作品背景などを考えると、名前の読み方が読者によって多少ちがってもさして気にならないという、欧米の作家たちのメンタリティがわかるような気がします。

 ただし、このダヴ少年が、物語の中で平和の象徴かというと、そう単純な話ではありません。気になる方は、ぜひ、『フェリックスとゼルダ その後』をお読みください!

(M.H.)