翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム「再」再録「原田勝の部屋」 第57回 文体研究(3) ── 『ザ・ブック・オブ・ザ・ダンカウ』

★英語の narrative は、「物語」でもあり、「語り口」「語りの」といった意味をもちます。narrate、narration と同根ですね。そう「書く、訳す」ではなく、「語る」のです。(2017年09月17日「再」再録)★

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 Book of the Dun Cow, The ブック・オブ・ザ・ダンカウ

  原書と訳書の表紙。原書はいかにも寓話的ですが、訳書はファンタジー的と言えるかもしれません。

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第57回 文体研究(3) ── 『ザ・ブック・オブ・ザ・ダンカウ』

(2014年6月23日掲載、2015年09月14日再録)

 

 文体研究の三回目は、『ザ・ブック・オブ・ザ・ダンカウ』(ウォルター・ワンゲリン・ジュニア作、2002年、いのちのことば社フォレストブック)です。原作は “The Book of the Dun Cow” (by Walter Wangerin Jr., 1978)。

 著者のワンゲリン氏は、ベストセラー『小説 聖書』の原作者として有名ですね。『ザ・ブック・オブ・ザ・ダンカウ』は、動物たちを主人公とした、善と悪の対決をダイナミックに描くクリスチャン・ファンタジーとでも呼ぶべき寓話的要素の強い作品で、全米図書賞を受賞しています。本コラムの第20回でも触れましたが、じつはこの本は再訳で、いのちのことば社の編集者さんの狙いは、若い読者にも楽しめるように読みやすい翻訳にしてほしい、とのことでした。

 原文を読んだ時は、三人称による文体は、語り手が物語全体を語っている、いわば「講談調」とでも言うべきトーンだと感じました。ですから、時には少し大げさな言葉づかいで迫力のある動きや情景の描写をし、また、時には芝居がかったコミカルなせりふのやりとりで緩急をつける、そんな印象で翻訳したいと思ったことを憶えています。そして、大切なのはリズム感。リズム感のない講談なんて(講談、ちゃんと聞いたことありませんが……)講談じゃないですよね。

 

「時は元禄15年……」

 若い読者むけということもあり、赤穂浪士討ち入りの場面のようにはできませんが、まあ、できるだけそんな感じでいければ講談調に近づくのではないでしょうか。一例として、少し大げさな言葉づかいの部分をとりあげてみましょう。

     Crows for laughter and crows for grief; whooping crow for joy, which made joy come alive and dance right there in the Coop; a soft, insinuating crow for shame, at which the Hens would hide their heads under their wings. He could crow a certain spilling crow when he admired something very much. He could warn the stars themselves with a crow like a bloody alarum, and then the stars themselves would stand on guard. And at the death of someone beloved, Chauntecleer the Rooster mourned the passing by strutting to the roof of his Coop and there sounding a throaty crow which rolled across the countryside like the tolling of a heavy iron bell; and then God’s creatures would surely pause, bend their heads, and weep.

     “The Book of the Dun Cow” (by Walter Wangerin, JR., 1978, Harper & Row paperback edition, 1989, p.11)

 

 笑いを表す鳴き声もあれば、深い悲しみを表す鳴き声もある。喜びにあふれた声を上げれば、その喜びは弾け、鶏小屋の中ではすぐに踊りが始まる。恥を知れ、とそれとなく促すように静かに鳴けば、メンドリたちはみな、頭を翼の下に隠したものだ。感心した時には思わず賛嘆の声を漏らす。夜空にむかって警報ベルさながらのけたたましい声を出せば、星たち自らが見張り役をかってでる。愛する者が死ぬと、ションティクリアは死者を悼んで屋根の上を歩き回り、しゃがれた鳴き声を上げる。どっしりとした鋳物の鐘が鳴るように、その声があたり一帯に響き渡ると、神によって造られた者たちはみな、必ず手を止めて頭を垂れ、涙するのだった。

  『ザ・ブック・オブ・ザ・ダンカウ』
  (ウォルター・ワンゲリン・ジュニア作、2002年、いのちのことば社フォレストブック、p.23-24)

 

 ションティクリアというのは主人公のオンドリの名ですが、登場人物(動物?)が動物だからといって、幼い子どもむけの物語ではありません。宗教的、哲学的な意味が読みとれる部分もありますから、とくに地の文においては、一定の格調を保つ必要があります。たとえば、「賛嘆の声を漏らす」とか、「死者を悼んで」、「頭(こうべ)を垂れ、涙する」といったような日本語の言い回しは、そういう目的に沿ったものとして選んでいます。

 また、原文は過去形の文ですが、訳文は「ある」「始まる」「漏らす」など、終止形を多用して習慣であることを表わすと同時に、言い切りによるリズム感や力強さを出しています。まあ、どこまで意図的だったかはもう憶えていませんが、作品全体のトーンとしては、語り部が物語を語っているような調子というのを意識していたことはまちがいありません。

 

日本語の基本リズムは七五調

 お次は、ションティクリアの幼い子どもたちが、黒アリのティック・トックのかけ声に合わせて木切れの舟を曳く場面です。

     As the Ants always worked to a shouted rhythm, so they also played to rhythm. Tick-tock selected the right song for the game: and, with enormous bass voiced, the boatmen chanted the chorus:

“On chips of wood the Three Pins sail,
     With a puff and a blow and away they go!
The breeze, it rocks them like a gale,
     With a wash and a woe ─ as the rivers flow,
     They’ll never be home for tea.”

     “The Book of the Dun Cow” (by Walter Wangerin, JR., 1978, Harper & Row paperback edition, 1989, p.108)

 

 黒アリたちはいつもかけ声に合わせて働いているので、遊ぶ時にもリズムに乗って動く。ティック・トックがこの遊びにぴったりの歌を選ぶと、舟曳きたちは野太い声で高らかに歌った。

「木っぱの舟で、三羽のピン
   フッとひと吹き、さあ船出!
 ちょいと風吹きゃ、大揺れだ
   波は逆巻き、あれ悲し、
   お茶の時間にゃ、帰れません」

  『ザ・ブック・オブ・ザ・ダンカウ』
  (ウォルター・ワンゲリン・ジュニア作、2002年、いのちのことば社フォレストブック、p.169-170)

 

 三羽のピンというのはションティクリアの息子たちのことです。歌や詩の翻訳は気をつかうところですが、意味はすべて日本語に移せなくても、とにかくリズムのよい文、できれば七五調の文にするよう心がけています。英語の詩は脚韻を踏んでいることが多いのですが、日本語にした時に韻を踏むのは至難の業、というか、ほとんど不可能です。ですから、それは最初からあきらめ、とにかくリズムのよい文になるよう、それだけ気をつけています。

 詩や歌が挿入されているということは、それまでの文と調子を変え、メロディやリズムを読者に感じさせることを目的にしているはずです。時々、意味だけを移したリズム感のない無味乾燥な訳文になってしまった「詩のようなもの」を目にしますが、いくら正確に意味がとれていても、それでは、そこに詩を挿入する意義がないのではないか、と思います。この作品のように、「講談調」で行くと決めた作品なら、なおさらです。まあ、この歌は調子がいいだけでなく、じつは、「お茶の時間にゃ、帰れません」というところが、子どもたちの運命を暗示している伏線で、不吉な詩だということがあとでわかるのですが……。

 

「てやんでえ、こちとら江戸っ子でぃ!」

 この作品には、ジョン・ウェスリーというイタチが出てきます。こいつが、いかにも小悪党というキャラクターで、しゃべり方もちょっとおもしろい。で、訳文はべらんめえ調にしてみました。

“Double-u’s is not Double-u’s on account of their ears. Is a Mouse John mourns, you cut-cackle! John can go to the Netherworld as any Rooster can ─ and he a sinner. Ha! And ha, ha! to you!”

     “The Book of the Dun Cow” (by Walter Wangerin, JR., 1978, Harper & Row paperback edition, 1989, p.240)

 

「イタチのジョン様は、耳があるからジョン様ってわけじゃねえ。ジョン・ウェスリーが嘆き悲しんでいるのはネズミのためだってことがわからねえのか、このニワトリ野郎め! ジョン様にだって地獄へ行くことくらいできらあ。なにしろオンドリにできるってんだろう──、しかも、そいつは罪人だってえじゃねえか。フン! ちゃんちゃらおかしいぜ!」

  『ザ・ブック・オブ・ザ・ダンカウ』
  (ウォルター・ワンゲリン・ジュニア作、2002年、いのちのことば社フォレストブック、p.365)

 

 動物が主人公の寓話ということで言うと、イソップ童話が思いおこされます。つまり、それぞれの動物が想起させるキャラクターがあるはずで、この物語でも、同じ手法が用いられています。オンドリやイタチのほかにも、メンドリ、犬、牛、ヒキガエル、ヘビ、キツネ、野ネズミなどが登場し、それぞれがふさわしい役を割りあてられています。

 イタチのジョン・ウェスリーは、ただの悪党ではなく、男気のあるところを見せたり、優しい面をもっていたりもするのですが、口は悪いという設定で、まさしく江戸っ子なのです。こういうせりふの処理を考えるのが、じつはわたしは大好きで、まずまずうまくいっていると思うのですが、どうでしょう。ちなみに、Double-u’sというのは、Ws、すなわち、イタチ(weasel)のウェスリー(Wesley)を意味しているようです。また、ジョン・ウェスリーは、イギリスの神学者で、メソジスト派の創始者の名前でもあります。このあたり、聖職者でもある原作者のワンゲリンさんの意図が感じられます。

 

たとえて言えば……

 今回とりあげたのは目立つ部分なので、作品全体を読んでもらえば、もう少し落ちついた感じの訳文になっていると思います。ただ、訳している時には、頭のどこかで、講談師が張扇で釈台を叩いているイメージがありました。こうしたイメージをもつことによって、翻訳作業をしている数カ月にわたり、作品全体の調子を保つことができるのではないかと思います。この作品は「講談調」でしたが、たとえば、これは、映画『カサブランカ』の雰囲気だよなあ、とか、なんだか読んでると、いつもユーミンの歌が聞こえてくる気がするなあ、とか、そういう作品全体を包む空気のようなものを感じとって翻訳にあたると、訳文の調子が一定になると思うのですが、いかがでしょうか? 

 え? 今、翻訳中のものはどんな雰囲気か、って? ジャズですよ、ジャズ。いや、ラップかな……。

(M.H.)

 

 ああ、このジャズ調というのは、黒人の書店主の生涯を描いた『ハーレムの闘う本屋──ルイス・ミショーの生涯』のことです。この本を読んで、実際に、バックにジャズが流れているようという感想を言ってくださった方がいて、してやったり、と思いましたね。

 

 「ダンカウ」の方ですが、キリスト教にもとづく小説なので、アメリカでは読者も多く、今も版を重ねているようです。続編も3巻まで出ています。わたしには、どうも、オンドリのイメージが、いまいちピンとこないままなんですけどね。

The Book of the Dun Cow (English Edition) The Second Book of the Dun Cow: Lamentations (English Edition) The Third Book of the Dun Cow: Peace at the Last (English Edition)