翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

古典児童文学を読む会 ──『魔女とふたりのケイト』

 月曜日は川越の絵本カフェ「イングリッシュブルーベル」さん【 Ehon Cafe - English Bluebell -  】で、古典児童文学を読む会がありました。

 課題本は『魔女とふたりのケイト』(K・M・ブリッグズ作、石井美樹子訳、岩波書店)。原作は1979年で、古典とは言えないかもしれません。訳書は1987年に出ています。

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 おやつはカボチャのムース。おいしゅうございました。(ムースじゃなくて、プリンでした。ムースは加熱しない、プリンは加熱する、ですよね?)

 

 これまた初めて読みました。というか、正確には、東松山図書館が書架整理で二週間の休みに入るのを知らず、借りられたのが三日前で、三分の一しか読めませんでした。言いわけですが……。

『くるみ割りのケイト』("Kate Crackernuts" この作品の原題も同じ。)という昔話をベースに、17世紀のスコットランドやイングランドの史実をからめた作品で、そういう時代背景や戦の勢力図がけっこうちゃんと書いてあり、そこを読むのがつらかったという事情もあります。(「くるみ割り人形」は "Nutcracker" ですが、このちがいはなぜなんでしょうかね。)

『くるみ割りのケイト』は、イギリス人ならみんな知っているお話らしく、それをふくらませてあるので、むこうの読者はおもしろく読めるのでしょう。ですが、正直、予備知識のない日本の子どもがこれを読めるかというと、ちょっと大変なんじゃないでしょうか。戦争に向かう父親と、魔女の血を引く後妻、それぞれの娘であるキャサリンとケイト。そもそも、ケイトはキャサリンの愛称なわけで、ふたりともキャサリンなのです。いや、邦題に則して言えば、ふたりともケイト、なのです。

 

 マザーグースや神話などにも感じるのですが、なかなか中に入れない、というのが、わたしの子どもの頃からの感想です。昔の子どもむけの翻訳書の全集には、必ずといっていいほど、ギリシヤ神話や北欧神話が収録されていたものですが、わたしはそういう巻はたぶん、最初の数ページで挫折して読んでいません。でも、同年代の人たちの中には、子どものころに西洋の神話や伝説にはまる人もいるわけで、趣味の問題なのかもしれません。

 というわけで、今回はなかなか物語に入りこめなかった原田でした。

 

 以下は、少しこの作品とは離れますが、こうした神話やマザーグースのような民話や伝承がおもしろいとは思えず、なのであまり読んでこなかった翻訳者にとっては、英語圏の文学を翻訳する時は、よほど慎重に、そうした下敷きとなっている物語の存在を勘ぐりながら原書を読んでいく必要があります。聖書もそうですが、本来ならば、ちゃんと勉強しておくべき(望むらくは生活の中で身につける)知識なのですが、横から斜めに翻訳の仕事に入ってきてしまったわたしのような翻訳者は、勘を働かせ、怪しいと思うものは検索をかけ、人に尋ね……、その繰り返ししかありません。

 もうひとつ感じたことは、そういう文化・宗教的なバックグラウンドをもつ作品を、日本の子どもたちのために翻訳する意義はなんなのか、という点。作品自体に普遍的な力があればもちろんその価値も意義もあると思いますが、そこまでではない場合は、わたしなら翻訳をためらうでしょう。ただ、その判断にはまた個人差があるのですが……。

 

 以上、まとまりませんが、『魔女とふたりのケイト』読書会の感想でした。

 

(M.H.)