翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

月刊「みすず」2018年12月号

「みすず」の12月号で、繁内理恵さんが『弟の戦争』(ロバート・ウェストール作、拙訳、1995年、徳間書店)について、「戦争と児童文学5 空爆と暴力と少年たち3」というタイトルの記事で書いていらっしゃいます。とても詳しい分析で、物語の根底にあっただろうウェストールの意図がくっきりと浮かび上がってきます。

 機会がありましたら、「みすず」の記事、ぜひ読んでいただきたい。

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  訳してからすでに25年が経っているというのに、幸いにも読み継がれていく本というものは、こうして、読んだ人たちの様々な感想や分析を身に蓄えて、消えていくどころか、太く大きくなっていくのだなあ、と身に染みて感じています。

 この本を翻訳したころの自分は、原作に激しく心を揺さぶられましたし、イラクにいた経験があったのも事実ですが、それほど深くウェストールの意思を分析的に読んでいたわけではありませんでした。ただ、原作から感じた熱のようなものは、なんとか訳文にこめたいと感じ、編集者さんの鉛筆に必死に応えながら訳文を作っていた、というのが正直なところです。めぐりあわせ、としか言えません。

『弟の戦争』については、つい先日、東広島のムーミンの会から照会があり、小学校でのブックトークに、わたしからのメッセージを寄せたところでした。その中に、こんな一文を書きました。

「ウェストールさんは、1993年に63歳で亡くなられました。わたしがこの本を翻訳したのはその二年後、1995年のことです。みなさんはまだ生まれていませんね。本というのはふしぎなもので、作家が死んだあとも、そして、もとは外国語で書かれたいたものでも、こうして時代や国境を越えて読みつがれていきます。」

 

 

 みすずの隣の記事は、酒井啓子さんの「Si le grain ne meurt」(一粒の麦、もし死なずば)という題の、イラクの若い研究者たちの現状や、「友達」が「難民」になった時にどうするか、という話。

 酒井さんは、最後にこう書いています。

「だが、そんなふうに自分の「人道性」に蓋をしたところで、「難民」の友達は、私たちの蓋をコンコンと叩く……そんな「友達」のラブコールに、誰が抗えるだろう。」(月刊「みすず」2018年12月号、p.17)

 

 今は自分にそういう友達がいませんが、この「友達」は、果たしてそういう個人的な友人関係だけを指しているのだろうか、と思います。

 

 

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(M.H.)