翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム「再」再録「原田勝の部屋」 第2回 「もちこみ」のこと

★最近のもちこみ成功例は、『ペーパーボーイ』(ヴィンス・ヴォーター作、岩波書店、2016年)、『ハーレムの闘う本屋』(ヴォーンダ・ミショー・ネルソン作、あすなろ書房、2015年)、『フランケンシュタイン家の双子』(ケネス・オッペル作、東京創元社2013年)などです。あ、来年もひとつ出る予定。もちこみ企画は、一から十まで自分が関わった実感があって、とてもやりがいがあります。じつは、昨日ももちこんできました。うまく行くといいのですが……。(2017年7月27日、「再」再録)★

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「もちこみ」は、「持ち込み」です。

 子どもの本の翻訳をしていると、漢字を使わずひらがなで書く(俗に「ひらく」と言いますが)ことが多く、もともと「持」と「込」という字がきらいだということもあり、わたしはたいてい「もちこみ」とひらがなで表記します。おかげで、何人かの読者から、「もこみち」と読んでしまった、と言われました。スミマセン。

Tomorrow〈stage1〉―明日、戦争が始まったら

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第2回 「もちこみ」のこと 

(2007年7月30日掲載 2015年2月25日再録) 

 

 面白いと思う原書を見つけ、翻訳出版企画を出版社にもちこむ、いわゆる「もちこみ」は、うまくいけば翻訳者冥利に尽きる仕事です。日本でだれも知らない(と、自分だけが思っている場合も多いけれど)外国の本を、日本で初めて読み、それを日本の読者に紹介することができるのですから。しかし現実には、売れ筋の本については、版権エージェントから出版社に対して積極的な売りこみがかかりますし、人気作家の場合、ゲラにもならないうちから翻訳権が売買されているわけで、駆け出し翻訳者がアマゾンで取り寄せて読む頃には、とっくに翻訳権が売れ、訳者も決まっているどころか、ゲラの時点で翻訳作業がスタートし、日米同時発売なんてこともあります。

 版権エージェントから出版社に紹介された本は、編集者自身が読んだり、リーディングスタッフに読んでもらったりして、出版の可否を検討します。出版社によっては、常時、ネイティブを含む数多くのリーダーに依頼できる体制を整え、同じ本を複数の人に読んでもらって、脈がありそうなものは編集者自身も読み、さらに企画会議に諮って出版を決定する、という念入りな過程を踏んでいる場合もあります。

 そんなところへもちこみをして、相手にしてもらえるんだろうか、と思う翻訳者志望の方も多いと思います。以下に、わたしの経験をいくつか書いてみますので、参考になれば幸いです。

 

書店でのショック

 まず、わたしが自分で原書を取り寄せて読み、レジュメを書いてもちこんだのに、すでに翻訳権が売れていて翻訳作業が進んでいた、という例を挙げてみましょう。有名どころでは、フィリップ・プルマンのライラの冒険シリーズ第一作『黄金の羅針盤』(新潮社)、映画公開中、新鋭クリストファー・パオリーニの『エラゴン』(ヴィレッジ・ブックス)、イギリスで注目のヤングアダルト作家、フィリップ・リーヴの『移動都市』(東京創元社)、不思議な雰囲気をたたえる、サッカー好きにはたまらない、イギリスの作家マル・ピートの『キーパー』(評論社)、ひとまねこざるの原作者夫妻の半生を描いた絵本『戦争をくぐりぬけたおさるのジョージ』(岩波書店)あたりでしょうか。

 今挙げた作品は、児童書やヤングアダルトものに詳しい方ならご存知の本ばかりで、そんな大物は無理だよ、と言われるかもしれません。まあ、わたしの情報収集力がないだけ、と言われてもしかたありませんが、しかし海外で賞をとったり売れているからといって、日本で出版されるとは限らないし、逆に、読み始めた時には業界で注目の本だとは知らない、という場合もあります。

 最近いちばん悔しかったのが、オーストラリアのヤングアダルト作家ジョン・マーズデンの『Tomorrowシリーズ』(ポプラ社)です。これはもう、十年近く前から知っていて、三、四社にもちこみ、ある編集者とは、シリーズものなので、時間の余裕ができてから老後の楽しみに(?)ぜひやりましょう、と個人的な約束をしていたものです。原作が出てからずいぶん時間が経っているし、きっと翻訳権は売れてませんよ、などと言って、確認してなかったのが悪かったのですが、ある日、書店の店頭で訳本が平積みされていたのを見て大ショック。おまけに、ポプラ社の装幀がかっこいいんで、よけいに悔しくて……。(でも、面白いですよ、これ。一人でも多くの、とくに若い読者に読んでもらいたい傑作シリーズです!)

 と、まあ、ほかにも、レジュメまでは書いていなくても、原書を読んで、これ面白い、やりたいなあ、と思ってる最中に、訳書が出版されたことは何度もあります。まあ、考えてみたら当然で、情報収集能力において、版権エージェントや出版社にかなうはずがありません。個人で作者本人に交渉して翻訳権をとったハリポタの例は、例外中の例外と言っていいでしょう。

 でも、わたしにも、もちこみで成功した例があります。ロバート・コーミアの『ぼくの心の闇の声』(徳間書店)は、自分で読んで、これ面白いですよ、と編集者に言ったら、ちょうど検討中の本だったらしく、とんとん拍子に話が決まりました。昨年、2006年に東京創元社から出してもらったニコラ・モーガンの『月曜日は赤』は、イギリスのアマゾンのサイトで見つけたものですし、『サブリエル』(主婦の友社)を初めとする古王国記三部作は、編集者からの「なにか面白いファンタジーはありませんか?」の一言で、その数年前に読んでいた原書を推薦したものです。

 

感性とタイミング

 訳書にはどれも愛着がありますが、自分で探してきた本が日本で出版されることほど嬉しいことはありません。そして、今までの経験から強く感じるのは、本の評価というのは極めて個人的なもので、まずその本がもちこみ先出版社の路線にあっていることは当然としても、原作者、自分、編集者の感性がマッチしないと企画は通らないということです。また、タイミングの良し悪しも大きく結果を左右し、たまたま編集者が企画に困っていればチャンスですが、逆に、二、三年先まで出版予定が決まっていて、編集者が気に入ってくれても、どうにもならない場合もあるでしょう。

 ですから、あまり一冊の本にこだわらず、どんどん次の本を探すべきだと思います。そうすれば読書量も増え、ジャンルや作家に関する知識も深くなり、面白い本に対する嗅覚も磨かれていきます。そして、矛盾するようですが、自分なりのこだわりを捨ててはならないとも思います。どんな本でも、原作者と海外版元の編集者、最低でも二人の情熱を受けてこの世に出ているわけで、自分が同じようにその作品に情熱を注ぐ世界で三人目になったとしても、だれに非難されることでもないからです。もちこみ先の編集者が四人目になってくれる可能性もありますしね。

 ただし、編集者は、それぞれ信頼できる訳者を抱えていて、その人たちに順に声をかけている場合が多いでしょう。そりゃそうです。気心の知れた、きちんと仕事をしてくれる翻訳者がいるのに、知らない翻訳者に声をかける必要がどこにありますか? でも、企画を探してる編集者だっているはずです。もちこんだ本が没になっても、リーディングの仕事がもらえて、やがて、その縁で翻訳を頼まれれば、間接的にもちこみは成功したと言えるのではないでしょうか。

 

企画のもちこみは自分のもちこみ

 しかし、もちこみにはいくつかハードルがあります。まずは、翻訳権が空いているかどうか、個人ではわからないということ。ISBNナンバーを入力すれば、空き情報がたちどころにわかるシステムでもあればいいのですが、今はまだありません。版元や作者から、どこのエージェントが扱っているかわかればいいのですが、それも一般には公開されていませんし、実際には、いろいろな権利がからみ、すっきり分類されているわけではないそうです。まして、いきなりエージェントに電話をしても、対応してくれるとは限りません。考えてみれば、版権エージェントは出版社に翻訳権を売るのが仕事なのですから、それぞれの翻訳者の問い合わせに対応する義理もないし、情報を開示する義務もないからです。

 となると、やはり翻訳権の買い手である出版社を通じて問い合わせをすることになります。が、そのためには編集者に動いてもらわなければならず、人間関係ができていないと、これも難しい。

 そういう意味で、日本出版クラブ内にある『洋書の森』は素晴らしいシステムです。けれど、東京にすぐ行ける人はいいですが、地方在住の方は利用が困難ですし、選べる本もまだわずかです。

 じゃあ、どうすればいいか? やはり地道に人間関係を作っていくしかないのではないかと思います。朝から晩まで原書と辞書を傍らにおき、パソコンの画面に向かっているのが翻訳者の仕事、と思われるかもしれませんが、じつは人間関係がとても大切な仕事です。書籍というモノを生みだすという意味では製造業の側面がありますが、あくまで売るのはソフトであり、作家、編集者、装幀家、デザイナー、校閲者、翻訳者、さまざまな職種の人同士が出会うことで企画が生まれ、テキストが磨かれていくのです。

 ですから、「もちこみ」というと、一見、営業活動という側面でしかとらえないかもしれませんが、じつはそうではなくて、そこから人間関係が始まり、創造的な仕事が生まれる入口なのです。わたしも今まで、つてをたどって、あるいは、いきなり電話をかけて、さまざまな出版社に出かけていきました。知らない人に電話をかけるのは緊張しますよね。頭の中は、自分の惚れこんだ原書への思いでいっぱいです。そんな時、にべもなく、もちこみはお断りしてます、と言われると、人格を否定された気分になるのはよくわかります。でも、編集者の立場に立てば、いきなり知らない人からかかってきた電話に丁寧に対応するなんて、そうそうできることじゃありません。忙しい時だってあるし、虫の居所が悪いことだってあります。知り合いの編集者に聞くと、あまりに非常識な電話が多い、と嘆いていました。

 だから、もちこむ方は、精一杯のリサーチをして、手順を踏んでアプローチすべきですし、なにより、まずは編集者の立場に立ってものを考え、企画の売りこみという意識と同時に、自分はこれから一つ人間関係を作るんだ、という意識をもつべきでしょう。つまり、もちこみ、とは、企画のもちこみであり、同時に、自分という人間のもちこみでもあるのです。編集者は、もちこまれた企画だけでなく、もちこんできた翻訳者の作品への思い入れ、ジャンルへのこだわり、書評能力、翻訳の経験や技量、社会人としての常識など、人間そのものを見ています。

 わたしもうまく人間関係が作れた場合だけではありません。後から考えると、なんて一方的な話し方をしてしまったんだろう、とか、なんて失礼なことをしてしまったんだろう、と顔が赤くなることも一度や二度ではありません。でも、話を聞いてくださった編集者の方もたくさんいらっしゃいますし、何年もかけて翻訳の仕事につながったケースもあります。

 一つ、確かなことがあります。出版の仕事に携わっている人たちは、やはり本が好きだ、ということ。ほかの業界では、仕方なく日々の仕事をこなしている人もいるかもしれませんが、編集者で本が嫌いな人なんていません。当たり前かもしれませんが、そこが、ただの訪問販売とは決定的にちがうところです。編集の人と本の話をするのは、とても楽しいひとときです。思いきり本や作家や翻訳の話ができる相手って、そう多くないですよね。

 

 今、わたしが翻訳中のヤングアダルト小説、じつはこれも、もちこみです。ホラー小説なんですが、ちょっと変わった味わい。読者を怖がらせ、編集者を喜ばせるべく、さあ仕事、仕事。

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 現在では、エージェントさんの中でも、「日本ユニ・エージェンシー」は、ホームページに問い合わせ用のフォームがあり、メールでの問い合わせに応じてくださっているようです。(M.H.)