翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 第10回 夢の印税生活

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 これは変動所得の平均課税の申告書類の一部です。いつ見てもおかしくてしかたありません。水産物の豊漁・不漁は自然条件に左右されますから、豊漁で、申告年の所得が過去2年の所得の平均よりも多い場合、その多い部分に対しての税率を抑えることができるようになっているのです。印税の場合は、その年だけ本が売れてたくさんもらえた場合、税率を低くすることができるというわけですね。

 

 それにしても、「かき、うなぎ、ほたて貝、……」と来て、最後に「印税」とあるのが、いかにも不安定な翻訳者の収入を表わしていて、妙に納得してしまいます。

 しかし、これは、あくまで雑所得としての申告で、しかも、控除があるわけではありませんから、市民税、県民税や健康保険料の算定基準となる所得額そのものが減るわけではありません。帳簿をつけるのが面倒なので、今までやってませんでしたが、今年から青色申告にします。

 久しぶりに貸方・借方を考えていますが、サラリーマン時代の経験が役に立つのはこういう時ですね。わたしは、昔、なんとイラクで決算書類を作っていたことがあります。よく、会計士のおじさんのところへ行って、油売ってたなあ……。ああ、この話はいずれ、また。

 では、再録記事をどうぞ。

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第10回 夢の印税生活
(2008年5月19日掲載記事 再録)

 

「翻訳をやってます」と言うと、この業界のことをよく知らない人は、「一冊翻訳すると、いくらもらえるの?」と訊いてきます。

 ちゃんと説明するのは面倒だなあ、と思いながら、まあこの際、相手を教育してやろうと思い、「あの、いろんな場合があるんだけど、たいていは『印税』と言って、本の定価に印税率をかけて……」などと説明し始めようものなら、「へーえ、そうなんだ、原田さん、印税生活なんだ!」「いや、印税はたしかに生活費になってるから、ものすごくひろーい意味では印税生活かもしれないけど、とてもそれだけじゃ食って……」「うわあ、で、別荘なんか建てちゃったりして?」「とんでもない! 家のローンもまだ……」「で、いくらもらえるの、一冊訳すと?」「だから、いろんな場合があって……」「黙ってても、銀行口座にお金が振りこまれたりするんでしょ?」「しませんっ!!」

 と、まあ、たいていこういうやりとりになります。人はお金のこと、とくに他人の稼ぎのことには興味津々になるわけで、しかも、「印税」という、もらってるんだか、払ってるんだかよくわからない摩訶不思議な用語が、さらに好奇心をかきたてるらしいのです。そりゃあ、わたしだって「印税生活」したいですよ。でも、この言葉の一般的な意味はおそらく、それこそ黙っていても振りこまれる印税で悠々と暮らし、好きな本だけ翻訳して、それがまた売れて、っていう意味ですよね? 無理無理、そんな暮らしは夢のまた夢、サッカーくじ買った方が早いくらいで、でも、くじを買うことさえためらわれる懐事情なんですから。

 

 印税については、他の翻訳者の方の著書や、インターネット上にいろいろな話が載っていますし、わたしも以前はそういうものを読んで、少しでも理論武装しようと思ったものです。この手の本ではすでに古典と言っていいでしょうが、小鷹信光さんの『翻訳という仕事』(手もとにあるのはジャパンタイムズ刊、今はちくま文庫から出ているようです)は、翻訳家の収入の話が具体的に書いてあり、それ以外にも、翻訳や翻訳家の生活にまつわる、なるほどと思うことがたくさん出てくる好著です。最近の出版点数の急増と、それに伴う本の平均寿命の短さを考えると、小鷹さんがこの本を書いた時より、翻訳者の収入という面では厳しくなっていることはまちがいありません。それでも、「印税は翻訳家の正当な報酬であり、安易な引き下げ要求には応じるべきではない」、という言葉の重みは、今もなんら変わることはないでしょう。

 一方で、「翻訳者は、腕のいいアマチュアが一番だ」、という言葉も聞いたことがあります。これはどういうことかと言うと、そもそも翻訳は、採算など度外視して、訳出にたっぷり時間をかけ、念入りに訳語を選び、訳し終わったら何度も手を入れ、もう完璧だと思っても読み返した方が、いい作品になるに決まっているからです。つまりこの場合の「アマチュア」というのは、あくまでも、かけた時間に相応の対価をもらうつもりがないという意味で、腕前が劣るという意味ではありません。

 しかし、出版社が本にして売るものを、対価を要求せずに水準以上の作品に仕上げる翻訳者などいないでしょう。が、逆に、かけた手間や労力や専門知識に見合った対価を必ず受けとっている翻訳者も非常に少ないのが現実だと思います。

 さらにややこしいのは、翻訳の出来というのは数字で計れませんから、初めて訳書を出す人も、これが十冊目だという人も、たいていの場合、それが理由で印税率に差がつきません。少なくとも、わたしにはそういう経験がありません。ですから、右も左もわからなかった頃には、こんなに編集者や校正者の方に赤を入れてもらい、一緒に訳語を考えてもらったりして、きっとベテラン翻訳者の何倍も労力をかけさせているだろうに、印税をもらったりしていいんだろうか、と思ったことが一度ならずあります。もちろん、印税は何パーセントですか、なんて、とても訊けませんでした。教えてもらったところで、それが適切かどうかを計る物差しをもち合わせていませんでしたし、じつは今でもそんなものはもっていません。

 たぶん、いくら論理的に考えようとしても、適正な印税率や報酬額は決まらないのではないかと思います。

 

 で、現実です。

 印税は「本の定価×印税率×刷り部数」で決まります。ありがたいことに、現在の日本の出版界では、本が売れようが売れまいが、刷った分だけ印税が支払われる場合がほとんどです。わたしの経験では、印税率は5パーセントから8パーセント(絵本の場合は別)、初版刷り部数はハードカバーで3,000部から5,000部、文庫で10,000部くらいのことが多く、印税は刊行翌月に振りこまれる場合もあれば、三カ月後という場合もあります。どうしてこういう差があるかと言えば、推測ですが、出版各社の原価構成や体力、収益率、営業力といった経営面からの制約で印税率が決まり、しかも一度決まるとそれが社内基準になり、状況が変わっても、その印税率をもとに原価をはじく慣行ができてしまい、なかなか変えられなくなる、といったところでしょうか。

 ちょっと計算してみればわかりますが、たとえば、定価1,400円の本を5パーセントの印税で3,000部刷ったとすると、21万円の収入になります。定価2,000円の本が8パーセントで5,000部なら、80万円ですね。三倍以上の開きがありますが、翻訳にかける時間はそこまでちがわないはずで、おまけに、なぜ3,000部なのか、どうして定価は1,400円なのか、といったことは説明してもらえません。担当編集者は、翻訳者から見れば出版社の顔ですが、じつは刷り部数や定価を決定する権限は編集者にない場合もあり、また、本の中身を良くしようと考えてくれる編集者とは、お金の話はしづらいものです。翻訳を依頼される時には印税率しか決まっていない場合も多く、刷り部数などは刊行ぎりぎりに教えてもらうことも少なくありません。年に何冊翻訳できるか、と考えると、一つの作品が増刷で何万部か売れてくれないと、翻訳者は生活していけないのが現実なのです。

 じゃあ、印税率や刷り部数について、おまえはどう納得して仕事を受けているのか、と思われるでしょう。

 わたしの考えはこうです。まず、仕事を「受けている」という感覚はあまりありません。生意気なようですが、出版社とは、原書をもちこんだり、もちこまれたりして、両者とも、この本ならいける、と思った仕事をやるという感覚で、幸いにも、それは今まで一緒に仕事をしてくださった編集者の方々のスタンスでもありました。仕事を始める前に確認するのは印税率だけです。というより、定価や部数は予定でしかなく、翻訳者にはまったく口が出せません。印税率は、おつき合いのある出版社なら、何パーセントなのかわかっていますから、特段、確認しないこともあります。

 翻訳で稼ぐつもりはないのか、と言われれば、それは自分が訳した本がベストセラーになってほしいし(ベストセラーの定義も怪しくて、最近は基準ラインも下がり気味ですが)、夢の「印税生活」もしてみたいですよ。でも、本が売れるかどうかは、なかなか予想がつきませんし、しかも、こと販売に関しては翻訳者は無力なのです。

 訳書が出るたび、家内には、「今度こそベストセラーだから。まちがいないから」と(かなり本気で)宣言するのですが、それが現実となった試しがなく、最初のうちは、「そうなるといいわねえ」と言う家内の瞳には期待の色がうっすら浮かんでいたと思うのですが、最近では、口の端に冷たい笑みを浮かべて「期待しないで待ってるわよ」と、さらりと言われるだけです。

 まあ、それは冗談としても、仕事を決める時は腹をくくっています。売れる売れないに関わらず、これはいい本だ、と本気で思っています。売れないのは、世の凡人どもにはこの本の素晴らしさがわからないからだ、くらいの勢いです。幸い、今まで出した訳書の半数以上が多少なりとも増刷されていますから、まあまあの戦績でしょう。もっとも、戦ってくださっているのは、編集者や、ほとんど面識もない営業部の方々、そして全国の書店員の皆さんですが。

 

 別の言い方をすれば、印税率や刷り部数が翻訳者にとって適正かどうか、出版翻訳で食べていくにはどうすればいいか、という話になると、わたしにはよくわからない、としか答えようがないということです。

 翻訳者はみな、さまざまな形で生計を立てているのでしょうし、これが翻訳者の労働形態や収入のモデルケースだ、などと論じてみても、なんの意味もないと思うからです。考えてみれば、会社勤めをしている人だって、確かに給料は月決めで一つの会社からもらっているのでしょうが、じつは仕事の中身は転勤や転属で去年と今年はちがったり、一日のうちでも種類のちがう仕事をいくつもこなしているでしょう。

 そう考えると、好きな翻訳だけで食べていければそれに越したことはないけれど、好きな翻訳をするためにも、働く時間の何割かを、同じくらいやりがいのある別の仕事に割いて生活できているわたしの今の暮らしは、まずまず満足のいく暮らしなのでしょう。ただし、わたしのわがままが元で、家内にいろいろ迷惑をかけていることは事実で、その点については本当に感謝しています。ですから、この場を借りて一言。

「いつもありがとう。そうそう、今度こそ、ベストセラーまちがいなしだから!!」 (M.H.)