木曜日、6月11日の親善試合、対イラク戦で、元気が代表初ゴールを決めた。4-0の試合で、2点目は槙野、4点目が交代で入った元気。体が一回り大きくなった元気は、もちまえの前への推進力を発揮。シュートもうまかった。ブンデスでやっている成果が出ているのを見てうれしい。
で、イラク代表のこと。ISに国を蹂躙され、国内ではまともな練習もできないだろうに、よくやっている。メンバーのプロフィールを見ると、中東やヨーロッパ、あるいは、アメリカなどでプロ選手としてやっているメンバーが、試合のたびに集まって練習しているのだろう。それでも、アジアカップはベスト4に入ったのだから、たいしたものだ。
サッカーはイラクに限らず、中近東ではどの国でも国技みたいなものだ。自分がイラクに滞在していた1982年は、イラクの国営放送でも、連日、スペインW杯の試合を中継していた。フセイン政権下、もともと娯楽番組のほとんどないテレビで(どうせ見てもアラビア語がわからない)、見てわかる番組がW杯中継だった。
ところが、この当時はサッカーにまったく興味がなく、ルールがわかる程度だったから、今、考えるとじつに惜しいことをした。仕事は暇だったのだから、いくらでも楽しめたのに……。調べてみると、このスペイン大会、優勝はイタリア、準優勝は西ドイツだ。そう、まだ東西冷戦下なので、西ドイツ、東ドイツの時代。ソ連やポーランド、チェコ、ユーゴスラビアが出場していて、共産圏のサッカーが強い、スーテトアマの時代。
アナウンサーが、アラビア語でしきりに「アルマーニア」と連呼していて、アルメニアかと思ったら、ドイツだった気がする。これも、調べてみると、リトバルスキーやルンメニゲなど、Jリーグにも縁のある選手たちが活躍していたらしい。
1982年当時、イラクは隣国イランとの戦争中だった。ある日、街中で、自動小銃を乱射する音がした。あとで、あれはなんだったのか、と確かめると、イラク代表がイラン代表に勝ったから、そのお祝いだ、と言われた。アジアカップなのか、W杯の予選だったのかわからないが、戦争中の国同士がサッカーとはいえ、試合をするものだろうか?
一緒に仕事をしていた商社の現地人スタッフは、イラク代表を狙っていて、いい線まで行っている、という話を聞いたことがある。代表になれば、兵役を免れることができるから、と聞いたが、ほんとうだったのだろうか? 最終的には選考にもれたそうだが、当時は、フセインの息子がスポーツ大臣で、負けると鞭で打たれるという噂もあり、代表になればなったで大変だっただろう。
イラクはその後、湾岸戦争、イラク戦争を経験し、さらに、今はISに国の一部を占領されている。つまり、ずーっと戦争をしている。イ・イ戦争が始まったのが1980年なので、35歳より若い国民は、戦争をしていない自分の国をほとんど知らない。なのに、サッカーのイラク代表は着々と力をつけている。いや、なのに、ではなくて、だからこそ、なのかもしれない。
テレビ中継は、日本のゴールラッシュ、新戦力、ハリルホジッチの采配ばかり触れているが(サッカー中継としては当然だ)、国際試合の時は、せめて相手国の事情を少しでいいから取材・解説してほしい。イラク代表は、ドーハの悲劇の相手ということもあり、因縁の相手であるが、それだけでなく、イラク代表のおかれた現状を、もっと日本の視聴者に伝えないのか、と思う。
己のサッカーへの情熱を頼りに、危険な祖国を離れ、海外でプロとなった選手たちは、国に残してきた家族や友人たちに複雑な思いを抱きながらサッカーをしているはずだ。両親が戦火を逃れて渡ったアメリカで生まれたジャスティンという選手は、イラク国籍を選び、代表入りしたという。国家を口ずさむ時、キックオフ前の円陣を組む時、彼らの表情に浮かぶ並々ならぬ決意は、テレビを通じて伝わってきた。
イラク滞在時、毎日のように聞いてメロディを覚えてしまったイラク国歌も、フセイン政権崩壊後、新しい国歌に変わった。木曜の試合のイラク代表も、平均年齢23歳代と、若いチームだった。これからの活躍を期待したい。
(M.H.)