翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 第32回 ニヤリとしたこと

 この回でとりあげた、『王国の鍵3 海に沈んだ水曜日』の原書表紙がこれです。シリーズの中でも、好きな巻、好きな表紙です。

Drowned Wednesday (The Keys to the Kingdom)

 

 

 日本語版はこちら。水色がアクセントとして効いています。

王国の鍵3 海に沈んだ水曜日

王国の鍵3 海に沈んだ水曜日

 

 

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第32回 ニヤリとしたこと

(2011年8月29日掲載記事 再録)

 

 最近、じかに、あるいは間接的に、自分の訳書の感想を耳にして、思わずニヤリとしたことが何度かありました。今回は、そのことについて書いてみましょう。

 

「衣装ダンス」と言えば

 インターネット上にある、好きな本の中から気になったフレーズを引用するコーナーに、読者の方が、わたしの訳したファンタジー小説の中から、こんな文をぬきだしてくれていました。

「衣装ダンスの奥とか?」アーサーは言ってみた。「ごめんなさい。ちょっと思いだしたことがあって……」

 正確にはこうです。

 

「衣装ダンスの奥とか?」アーサーは言ってみた。
 イカボッドは眉がくっつきそうなくらい顔をしかめ、アーサーをにらみつけた。
「それはどうでしょう。タンスは船長の服をしまっておく場所です。通りぬけができるようなものではありません」
「ごめんなさい。ちょっと思いだしたことがあって……」

   『王国の鍵3 海に沈んだ水曜日』(ガース・ニクス作、主婦の友社)(p.73-74)

 

   “Through the wardrobe maybe,” said Arthur.
   Ichabod looked at him sternly, his eyebrows contracting to almost meet above his nose.
   “I doubt that, young mortal. That is where I keep the Captain’s clothes. It is not a thoroughfare of any kind.”
   “Sorry,” said Arthur. “I was only . . .”

     “The Keys to the Kingdom, Book3, Drowned Wednesday”(by Garth Nix)

 

 もちろん、このwardrobeは、かの有名な『ナルニア国物語』に出てくる屋根裏部屋の衣装ダンスからの連想です。『王国の鍵』の主人公アーサーは、船の中に、別の場所につながっている不思議な出入り口があることを知り、こんなことを言ってみるわけですが、問題は、翻訳にあたって注をつけるかどうかです。このシリーズは基本的に注をつけない方針で訳していますから、これもつけていません。でも、いったい読者はどれくらい気づいてくれるんだろうかと心配でした。

 ですから、ちゃんと反応してくれた読者がいるとわかり、訳者としてはうれしかったのです。こうした原書にある隠し味のようなものが日本の読者に伝わると、「ニヤリ」ですね。一応、訳文としてのささやかなサポートは、 “I was only . . .” の「……」部分を、「思いだしたことがあって」としたことです。この「……」は曲者で、日本語と英語の語順の違いから、その先、なにを言おうとしていたのかピンとこないことがあり、また、前後が逆になって、原書で文字になっている部分だけ訳すのが難しいこともあります。ここでは、 “I was only reminded that . . .” ではないかと思い、こんな風に訳してみました。

 ただし、ネット上に引用してくれた読者は大人の方かもしれず、この本がターゲットにしている中高生の読者がどこまで気づいてくれているかは、依然、疑問です。けれど、乱暴な言い方を許してもらえれば、こういうところは十人に九人が気づかなくても、ファンタジー好きの一人が気づいてくれたらそれで充分なのです。「注はついてないけど、わたし、これ知ってるもんね」と思えるのは、読書の楽しみのひとつなのですから。

 ああ、細かいことのついでに、原文の “young mortal” は訳してないけど、どうしたんだ、と思った方もいらっしゃるでしょう。アーサー少年は人間なので、mortal、すなわち「いずれ死ぬ存在」なのですが、イカボッドや、イカボッドのいる世界の住人たちはimmortal、すなわち「不死」なのです。ですから、イカボッドにしてみれば、“young boy”くらいのノリで言っているのですが、訳すと会話の流れをさまたげ、しかも、すでに物語も三巻目に入っているこの時点では、読者はmortal、immortalの設定を承知しているので、かえってうるさい、という判断で省いてあります。

 また、日本語では、役職名や名前での呼びかけはいいのですが、その他のboy、girl、man、womanなどを使った呼びかけは、「小僧!」「じじい!」などの罵り言葉以外では、無理に訳すと不自然なことがあります。

 あ、above his noseも訳してませんねえ。これはたしか、最初は訳していたのですが、左右の眉がくっつくとしたら、鼻の上(above)でのことに決まっているのと、「鼻の上」と訳すと、aboveじゃなくてonにもとれ、鼻筋や鼻先に眉毛がある……とは思わないでしょうが、余計なことをあれこれ考えてしまうので、省いてあります。こういう部分は、ふさわしい映像が浮かべばOKなのです。でも、今思えば、「左右の眉が」としたほうがよかったかもしれません。

 

「ぼく」が「おれ」に変わる時

 もうひとつのケースですが、拙訳の『スピリットベアにふれた島』(ベン・マイケルセン作、すずき出版)を読んでくれた友人が、こんな質問をしてきました。

「主人公が、ぼくは、って言いかけて、おれは、って言い直す場面があるけど、あれ、英語ではどうなってるの?」

 おお、よくぞ訊いてくれました! 訳書と原書を比べてみましょう。

 

 コールは言葉をさがした。

「ぼくは……おれは、今は自分がまちがっていたとわかってるし、あんなことをしたあとで、もう、島にもどれないこともわかってます。しかたありません」

   『スピリットベアにふれた島』(p.181)

 

Cole struggled with his words. “I . . . I know now I was wrong, and I know I can’t go back to the island after what I did. That’s okay.”

 

    “Touching Spirit Bear” (by Ben Mikaelsen)

 

 

 

  “I” の訳し分けはいつも気を使う面倒なところですが、腕の見せどころでもあります。ここでもやはり、「ぼく」も「おれ」も、原文は同じ “I” です。

 主人公のコールは傷害事件を起こした十五歳の不良少年という設定なので、ふだん、素でしゃべっている時は「おれ」です。でも、サークル・ジャスティスと呼ばれる、事件の関係者が集まって加害者の処遇を話しあう場では、コールはできるだけいい印象を与えようとして、「ぼくは……です」というように、上辺をとりつくろった話し方をします。いや、します、というか、わたしがコールにそう話させました。もちろん、原文でも言葉づかいが少し丁寧になるのですが、日本語ではそれだけでなく、「おれ」を「ぼく」に変えたわけです。

 しかし、この場面は、無人島での経験を通じて改心した主人公が、集まった関係者たちにむかって本音で話しはじめるところなのです。英語では、“I . . . I know” と言いよどむわけですが、日本語にする際にこれを利用し、最初の “I” を「ぼく」、二つ目の “I” を「おれ」にして、上辺だけの発言から、本音モードに切りかわったことを読者に伝えようとしてみました。ただし文末は「です・ます」調で丁寧にしゃべらせ、コールの誠実さを表現しています。

 まずまずうまくいったと自分では思っていたのですが、ここに気づいて、原作ではどうなっているんだろうと疑問をもった読者がいたわけで、ちょっぴりうれしくなり、やはり、ニヤリとしました。でも、表現された内容ではなく、表現そのものに引っかかってしまったともとれるわけで、うれしがってばかりもいられませんが……。

 

読者はちゃんと読んでいる

 インターネットのおかげで、最近は自分の訳した本の感想を、読者の皆さんのブログや、書評サイト、ネット書店の感想欄などで読むことができるようになりました。作品全体の評価はもちろん気になりますが、今回書いたようなディテールについて触れてくれていると、とてもうれしいものです。手をぬかず、頭をひねって考えたかいがあった、と思います。数百ページの小説を、最初から最後まで細部にこだわって訳すことはなかなか難しく、こだわったが故の失敗もあると思います。でも、こういう読者のためにも、最善の訳文に仕上げるべく、しっかりした仕事をしたいものです。

(M.H.)