翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 第49回 フランケンシュタインは怪物か?

  素敵な表紙絵を描いてくださったのは浅野隆広さん、デザインは藤田知子さん。大好きな表紙です。 浅野さんは、時代小説の表紙をたくさん描いています。『獣の奏者』の表紙も浅野さんです。

フランケンシュタイン家の双子 (創元推理文庫)

 

フランケンシュタイン家の亡霊 (創元推理文庫)

 

 

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第49回 フランケンシュタインは怪物か?

(2013年5月27日掲載記事 再録)

 

 フランケンシュタイン、と聞くと、皆さんはなにを思い浮かべるでしょうか? 有名な映画『フランケンシュタイン』に登場する、継ぎはぎだらけのメイクをほどこしたボリス・カーロフでしょうか? それとも、マンガ『怪物くん』のフランケン?

 ご存知の方も多いと思いますが、じつは、フランケンシュタインというのは、かの有名な怪物を作った科学者の名であり、怪物そのものに名前はありません。原作はメアリ・シェリーが1818年に発表した『フランケンシュタイン──あるいは現代のプロメテウス』(“Frankenstein; or, the Modern Prometheus.”)です。この作品は、その後何度も舞台化、映画化されてきた傑作で、世界初のSF作品とも言われています。

 先月(2013年4月)刊行の運びとなった、拙訳『フランケンシュタイン家の双子』(ケネス・オッペル作、創元推理文庫)は、このメアリ・シェリーの原作の前日譚という体裁をとったヤングアダルト作品です。今回は、この作品について思ったことを書いてみます。

 

前日譚

 ある物語のその後を書いた作品を続編、あるいは後日譚(後日談とも)というのに対して、物語が始まる以前を想像して書いた作品が前日譚(前日談とも)で、どちらも、もとの作者が書く場合もあれば、別の作家が時代を超えて書く場合もあります。

 最近話題になった映画で言えば、『ホビットの冒険』は『指輪物語』の前日譚であり、『オズ はじまりの戦い』は『オズの魔法使い』の前日譚です。「ホビット」と「指輪」は、いずれも原作はトールキン、発表順からして、「指輪」が「ホビット」の続編と言えなくもありません。「オズ」のほうは、ボームの原作の前日譚を新たに映画として作ったのが『オズ はじまりの戦い』ということになります。

 ほかにも映画で言えば、有名な『スター・ウォーズ』シリーズは、エピソード4から始まり、5、6、と続いて、1、2、3、と製作・公開されましたから、エピソード1から3は前日譚とも言えます。少なくとも、4から順に見ていたわたしたちの世代はそういう感覚でした。すべてジョージ・ルーカスの構想から生まれた作品であることは言うまでもありません。

 後日譚と前日譚、書くのはどちらがむずかしいのでしょう? よくわかりませんが、案外、前日譚のほうが自由度が高く、書きやすいのかもしれません。なぜそう思うかというと、たいていは後日譚も前日譚も、名作と呼ばれる作品をもとに書くわけで、前日譚なら、その名作にうまくつなぎさえすれば、結末が保証されているからです。後日譚はすぐれた原作のあとに、もうひと山こしらえ、しかもうまくまとめなければならないのですから、これはかなりむずかしい仕事なのではないでしょうか。また、なんとなく、後日譚は、二番煎じ、二匹目のドジョウ、という印象がぬぐえないのに対して、前日譚は、あくまで序章、という印象があり、多少の冒険は許される気がするから不思議です。

 

YAフランケンシュタイン

 さて、今回わたしが翻訳した『フランケンシュタイン家の双子』(“This Dark Endeavor ── The Apprenticeship of Victor Frankenstein, Book1”)は、シェリーの『フランケンシュタイン』の中で人造人間を作った科学者、ヴィクター・フランケンシュタインが16歳のころの物語です。原作者のケネス・オッペルはカナダ人で、児童文学・YA文学を中心に活動している作家なので、ヴィクターの若いころを描こうと思ったのも不思議ではありませんが、それにしても『フランケンシュタイン』の前日譚というのは、これまでだれも思いつきそうで思いつかなかったすぐれた着想です。

 当然、翻訳に先立って本家の『フランケンシュタイン』を読んでみました。森下弓子さん訳の創元推理文庫版で読んだのですが、翻訳のトーンもゴシックロマンの雰囲気があり、解説も充実しています。じつは、『フランケンシュタイン』を読むのは、今回が初めてでした。白状すれば、ボリス・カーロフの恐ろしいメイクを写真で見たことはあっても、映画そのものはまだ観ていません。

 読む前は、怪奇小説、恐怖小説だと思っていたのですが、読んでみると、そういう側面はいくらかあるにせよ、主人公フランケンシュタインの、そして彼が生みだした人造人間の苦悩を描いた、純文学と言ってもいい作品だと知りました。しかも、驚くべきことに、メアリ・シェリーがこの作品を発表した1818年は、ダーウィンが『種の起原』で進化論を唱える前であり、その上、女流作家がまだめずらしい時代に、この時、メアリ・シェリーはまだ21歳なのです。

 シェリーの原作にまつわる興味深い話はいくらでもあり、きりがないのですが、それほど、この元祖『フランケンシュタイン』はエポックメイキングな作品だったのです。そして今回、ケネス・オッペルは、主人公のヴィクター・フランケンシュタインに一卵性双生児の兄コンラッドがいた、という原作にはない設定を考え、そこから物語を展開していきます。

 オッペルは若い読者むけに書いているので、冒険やロマンスを巧みにとりいれた、原作からは少し離れたエンタテインメント性の高いYA作品に仕上げています。訳していておもしろいと思ったのは、双子の兄コンラッド以外は、登場人物がシェリーの原作とほぼ同じで、舞台もジュネーヴですし、原作で印象的だったスイスの岩山やレマン湖、雷雨や稲妻といった視覚的な印象もうまく生かして、単体作品では出せない幅や広がりをもたせていることでした。

 

古典を生かす

 欧米では、古くはギリシア・ローマ神話、あるいは北欧神話から始まり、古代ローマやギリシアの古典、民話やシェイクスピア作品などが、ひとつの文化圏の遺産として新しい作品にいろいろな形で生かされています。こうした古典をきちんと勉強したバックグラウンドのないわたしのような翻訳者は、引用とおぼしきフレーズが出てくるたびにおそるおそる訳しているのが実情です。そのつどインターネットで検索し、翻訳版を買い求めていくので、仕事部屋の本棚には、シェイクスピアをはじめ、ダーウィンやガリレオ、ポーやラヴクラフト、ヴァージニア・ウルフなどの著作がぽつりぽつりと増えていきます。

 もっとも、引用箇所や関係のありそうな部分の前後を見るくらいで、体系的に理解しているわけではないのですが、それでも、一人の作家が独力で生みだしたように見える作品に、先輩たちの有形無形の影響があることを実感するのは、ある種の感慨を覚える瞬間です。前日譚・後日譚の話に引きよせて考えれば、あからさまな本歌どりではなくとも、世界の文学は時代や場所を超えてゆるやかにつながっていて、わたしたち翻訳者もその一部に参加している気がすると言えば、少し大げさでしょうか。

 そして、今回『フランケンシュタイン家の双子』は、明白な前日譚なのですから、そうした時を超える物語の力のようなものをいっそう強く感じました。いつもは原作者と一対一でむきあっている感覚なのに、今回は、ケネス・オッペルのむこうにメアリ・シェリーが垣間見えるような気がしたものです。

 

もちこみの成果

 じつはこの作品は、東京創元社へのもちこみで実現した仕事です。皆さんの参考になるかもしれませんので、企画が通った理由と思われるものをいくつか挙げておきましょう。

 まずは、原作のアイデアが秀逸だということ。アメリカでは『クローバーフィールド』の監督、マット・リーヴスの手による映画化の話が出ているほどです。まあ、映画化の話というのは割とよくマスコミに流れ、立ち消えすることも多いのが現実ですが。

 また、ケネス・オッペルは日本ではそれほど知られていませんが、カナダでは人気・実力ともに認められている作家で、この作品では2013年度カーネギー賞のロングリストにノミネートされているのですから、作品の出来も一定のお墨付きがあったと言っていいでしょう。(残念ながら、ショートリストには残りませんでした。)

 さらに、わたしはオッペルの作品を翻訳したことがあるので、継続的に新作をチェックしていたことが、この作品を早めにとりよせて読むことにつながりました。自分が注目した作家の作品を追っていくのはおもしろいことです。

 最後に、東京創元社という出版社が、ミステリや怪奇小説、ファンタジー、さらにはYA小説に理解があり、この作品を翻訳出版するのにぴったりであるだけでなく、シェリーの『フランケンシュタイン』を翻訳出版していることもわかっていました。YA・ファンタジー担当の編集者さんを知っていたこともあり、好条件が重なって、企画をもちこんでから四カ月ほどで版権がとれ、おまけにそのころには続編のゲラが出来ていて、二冊続けて出すという話になったのでした。

 じつは、最初に版権の確認をした時、もしかしたらすでにどこかの出版社が版権をとっているのではないかと心配でした。わたしは原書が出版されてから手に入れて読んでいるわけですが、ゲラの段階でだれかが読んでいたら、翻訳権をとろうと思う人がいても不思議はないくらい魅力のある作品だったからです。

 その心配は杞憂に終わったわけですが、おそらく、オッペルが日本ではマイナーな作家であり、しかも、英米ではなくカナダの児童文学・YA作家であったことが注目されていなかった理由ではないかと思います。カナダやオーストラリア、ニュージーランドや南アフリカ、あるいはインドなど、英米以外の英語圏の作家に着目したり、好きなジャンルの作家を継続的にウォッチするのは、エージェントや出版社の目が届かない作品を発掘するきっかけになるのではないでしょうか。

 そして、今回、企画が通った最大の理由は、やはり、かの『フランケンシュタイン』の前日譚だったからでしょう。それほどシェリーの『フランケンシュタイン』は絶大な影響力をもつ傑作なのです。やっぱり、『フランケンシュタイン』は怪物なのかもしれません。

(M.H.)

 

 

 原書のカバーもいいです。いくつかバージョンがあるようですが、二つずつAmazonから。

 まずは『フランケンシュタイン家の双子』の原書、"This Dark Endeavour"。訳し始めた時は、原題の直訳で『この暗き企み』としていました。けっこう気に入っていたタイトルなのですが、やはり「フランケンシュタイン」という名前に負けました。

This Dark Endeavor: The Apprenticeship of Victor Frankenstein

This Dark Endeavor: The Apprenticeship of Victor Frankenstein (Apprenticeship of Victor Frnkenstein)

 

 

 こちらは続編『フランケンシュタイン家の亡霊』の原書、"Such Wicked Intent"。『かくも邪なる意図』ですね。

Such Wicked Intent

 

Such Wicked Intent (Victor Frankenstein)