翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

スポーツライターに学ぶこと

 自分の文体の土台がなにかということは、なかなかひと言では言えませんが、わたしの場合、スポーツ雑誌の記事やコラム、スポーツドキュメンタリーなどからかなりの影響を受けていることはまちがいありません。

f:id:haradamasaru:20151125192802j:plain

  中でも、衝撃的だったのは1980年の雑誌『Number』の創刊です。最初のころは、ほとんど毎号買って読んでいました。特集されたスポーツに関わりなく、あの小さな活字を隅から隅まで読んでいました。

 創刊号に載った故山際淳司さんの「江夏の21球」や、のちに『28年目のハーフタイム』に結実した、アトランタ五輪のサッカー代表チームの内情を描いた金子達仁さんの初期の作品からは大きな影響を受けているように思います。浦和レッズのマッチデープログラムの清尾淳さんのコラムや、大住良之さん、小松成美さん、増島みどりさんらの文章も好きですね。『浦和レッズマガジン』の島崎英純さんの文章もいい。そのほか、木崎伸也さん、戸塚啓さん……名前を挙げていけばきりがありません。

 

 こういったいわゆるスポーツライターの方々の文章に共通する特徴を挙げてみると、まずは視覚的な情報を文章化する力です。これは絶対に必要。試合のレポートはもちろん、選手が肉体を使って観客の前でするプロスポーツなのですから、試合や選手に関わる文章には必須の技術でしょう。

 そして、無駄のない、それでいて飽きさせない文章。単行本になっているものも、最初は雑誌に掲載された文章であることが多いので、限られたスペースで、しかも読者を最初の数行で引き込み、最後まで読ませる文章を書かなければなりません。また、時間的にもかなり短時間でそうした記事を書かなければならないことが多いでしょう。雑誌やネット媒体で鍛えられたスポーツライターの文章は、贅肉のそぎ落とされた、それでいて起承転結を守り、時には意外な構成で読者をうならせる文章となります。

 さらに欠かせないのが感情を揺さぶる文章を書く力。これがわたしがスポーツコラムやスポーツノンフィクションが好きな一番の理由です。選手の内心やチームの内情など、我々には知り得ない、取材によって得た情報による感動もありますが、自分もその場にいて見ていた試合の記事なのに、鋭い視点による分析で、なるほどとうなることもあります。

 また、文章の特長とは言えないかもしれませんが、多くのスポーツライターは、署名記事によってその能力を認められて次の仕事を得ていかなければならない時期を過ごしているはずで、要はコラムひとつ、記事ひとつに生活がかかっていることによる緊張感が文章を研ぎ澄ませていると思うのです。雑誌の記事に署名がなかった頃から、『Number』の創刊によって書き手の存在が意識される時期を経て、今に至っていると言えます。今は媒体が多すぎて、ライターのレベルも玉石混交になっているように思います。いずれ、淘汰の時期が来るのかもしれません。

 

 というわけで、わたしも翻訳に際しては、視覚的に明快な、無駄のない、読者の感情を動かす訳文を心がけたいものです。訳者の名前が出てしまうのはわかっていますから、この緊張感は否応なくあります。淘汰されないようにがんばらなくては。

 

f:id:haradamasaru:20151125195252j:plain

 Jリーグも今週末からチャンピオンシップに突入します。わがレッズは、まず明日、ホーム埼スタでガンバを叩かなければなりません。多くのスポーツライターに格好の素材を提供できる好試合を、そしてレッズの勝利を願っています。

(M.H.)