翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

『浦沢直樹の漫勉』─ 浅尾いにお・藤田和日郎

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 漫勉、また見てしまいました。再放送、まずは、浅野いにおさんの巻。さいとう・たかをさんに続いて、こちらも超絶おもしろかった。

 浅野さんの漫画はまったく読んでないけど……。

 読んだことのない本を書いてる作家の裏話とか、食べたことのない店のシェフの裏話とか、なんでって思うけど、裏話はだいたいおもしろい。

 

 浅野さんは、一部コンピュータを使って作画しているのですが、それが半端ない細かさ。コンピュータを使っても、まったく楽をしていない。むしろ苦労している。しかもそれを嬉々としてやっている。原稿一枚5時間かけて描いている。コマひとつに2時間かけたりしている。しかもそれをたぶん毎日のようにやっているらしい。

 あれを見ると、わからない単語の意味を調べたり、引用らしきもののネタをネットで探したり、そんなの屁でもないと思えてきます。

 

 

浦沢「コンピュータというおもちゃを手にして、これで何ができるのかっていうことを実験しているっていうふうに考えると、それだったら楽しそうだなって」

浅尾「だから、なるべく人に教えられたくない、というか、教えられてしまうとつまらなくなるじゃないですか。この道具をこういうふうに使ってね、と言われると。それを言ったら台無しなんだよって。発見みたいなものがあるから」

 

 

 この「人から教えられたくない」という感じはわかる気がします。翻訳していても、結局、自分で試行錯誤して身についたスキルや考え方しか残っていかない感じがあります。改めて見てみると、先輩方が言ってることと同じだったりするのですが、最初からそう言われてもできなかっただろうし、納得してもいなかっただろう、と思うのです。

 スキルを身につけるプロセスが大事な気がします。そこがおもしろいんですよ。

ソラニン 1 (ヤングサンデーコミックス)

 

 

 続いて、藤田和日郎さんの巻の再放送も見てしまいました。藤田さんの絵は、わたしのあまり好きなタイプの絵ではなくて、余白のないびっしりと描き込まれた動きを示す線や、闘いのシーンの腕が動く残像など、画面が真っ黒になるタイプの絵です。やはり、おそろしい手間をかけて描いています。

 でも、番組はおもしろかった。

 浦沢さんは、あたりをつけたら下書きせずに、いきなりペン入れをする藤田さんの画法を見て、「下書きは下書きでしかない。本気で描いてない。ペンを入れる時が勝負だ。読者の目に触れるのはペンで描いた線だけだ」というようなことを言ってました。また、番組の冒頭で、浦沢さんは、「しょせん、漫画は消費されるもの。でも、それにどれだけ手間をかけてるかを少しでも感じてくれるとうれしい」と。

 この辺は、文学や翻訳にも通じますね。校正していって本になった文章だけしか読者は読まないんです。でも、手間をかける価値はある。二度、三度、読みかえしてほしいけれど、たいていの小説は、一度読んだらおしまい。だからといって、手をぬいていいわけじゃないし、丁寧に作る価値はある。今回、この漫勉のシリーズを見て、そこはすごく感じました。もっとも、漫画の世界は売れるととてつもない部数が世界中で売れる可能性もあって、それはちょっと翻訳の世界とはちがうのですが……。

 

 

 最後に、藤田和日郎さんが、「少年漫画はそれまで漫画というものを知らなかった子どもたちにとって最初にふれる玄関のようなもの。難しくないもの、おもしろくてやさしいものを描きたい」という趣旨のことを言ってました。

 わたしも時々思います。子どものための本は、世代を超えて読み継がれるいい本を作るべきだ、とよく言われますが、同時に、藤田さんのおっしゃるように、子どもの本は、その人が一生かけて読んでいく文学作品の隊列の先頭にあるものなのだから、とにかくおもしろくて読みやすいものもなきゃいけない、内容もそうだけど、活字を追うおもしろさがなきゃいけない、と。

うしおととら 完全版 1 (少年サンデーコミックススペシャル)

 

 

 3月3日には、いよいよ、シーズン2の萩尾望都さんの回が放映されます。楽しみ……。

(M.H.)