翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

チームワーク

 昨日、家に届いたアメリカの児童書・YA文学の紹介雑誌、『ホーンブックマガジン』に、拙訳『ハーレムの闘う本屋 ルイス・ミショーの生涯』の作者ヴォーンダ・ミショー・ネルソンさんが、挿絵とデザインを担当したR・グレゴリー・クリスティさんとの共同作業について書いた記事がありましたので、少し紹介させてください。

f:id:haradamasaru:20160522213050j:plain

("The Horn Book Magazine", May/June 2016, p.32より、写真左がクリスティさん、右がネルソンさん)

 

  お二人は、『ハーレムの闘う本屋』では、すばらしいチームワークを見せ、テキストと挿絵・ブックデザインが絶妙のハーモニーを奏でています。クリスティさんのイラストがなかったら、この本はこれほど高く評価されていないだろうと思います。もちろん、それはネルソンさんのテキストありき、なのですが。

f:id:haradamasaru:20160522214223j:plain f:id:haradamasaru:20160522214311j:plain

(『ハーレムの闘う本屋』原書、"No Crystal Stair" より)

 

 この作品のあとも、お二人は2冊の絵本を出版しています。

f:id:haradamasaru:20160522214602j:plain

 左は、実在した黒人保安官補のことを描いた "Bad News for Outlaws" 、右は、『ハーレムの闘う本屋』の主人公ミショーさんの息子の視点で描いた "The Book Itch" です。(いずれも未訳)

 

 二人のあいだには、さぞかし綿密な打ち合わせや、作者から画家への指示があるのではないかと思いきや、『ホーンブックマガジン』の記事で、ネルソンさんはこう言っています。

 わたしは、本を作る過程で、グレッグ(クリスティさんのこと)とも、ほかのどの画家とも、直接仕事をしたことはありません。原稿が出版されると決まったら、もうそれはわたしだけの物語ではないし、わたしの頭の中にある映像だけが正しいわけでもありません。そうであってはならないのです。編集者のアン・ホップが、『ホーンブック』2004年1/2月号の記事、「物語の半身:絵本における文章と絵」の中で描いているように、「すぐれた本は、作家と画家、双方の創造的自由の中から生まれる」のです。

("The Horn Book Magazine", May/June 2016, p.34より、原田訳)

  そして、このあと、クリスティさんとは、編集者を介した作業によって本を作っていることを明かしています。

 

 そういえば、以前、イギリスの作家、デイヴィッド・アーモンドさんも、日本での講演の中で、以下のようにおっしゃっていました。わたしのコラムの中から引用します。

芸術と勇気

 もうひとつ、印象に残った言葉がありました。たしか、絵本における画家との共同作業について質問された時のことだったと思います。むろん、だれに挿し絵を描いてもらうかは、アーモンドさんの希望や了解のもとに決定されるのですが、できあがった挿し絵が気に入らないものである可能性はないのか、と問われた時のことです。

 彼はこう答えました。「芸術的な仕事というものは、常に賭けの要素を伴い、勇気をもつ必要がある」と。直接的には、挿し絵に失望することはないのか、という問いへの答えでしたが、わたしには、作家という仕事における普遍的な姿勢を示しているように聞こえました。先の「飛躍」(leap)もそうですが、「勇気」(courage)という言葉も、理詰めだけでは成立しえない物語というものの本質や、飛躍した結果が吉と出た時の喜びを、端的に表現しているように思います。

haradamasaru.hatenablog.com 

  これも、やはり、それぞれの創造的自由の中で仕事をする、という意味にとれるのではないでしょうか。

 

 翻って、翻訳者に、この「創造的自由」はあるのでしょうか? わたしは、挿絵画家ほどではないとしても、ある程度ある、と思うのですが、どうでしょう? もちろん、作者との有形無形のチームワークが大前提ですが。

(M.H.)