翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

upset, expect, anxious

 塾のテストの採点をしていたら、模範解答が disappointed のところに、upset と書いてある答案がありました。バツをつけようと思って、だれの答案か確認したら、小さいころからネイティヴの先生に英語を習っていたというEさんのもの。彼女の発想は、日本の学校だけで英語を習ってきたわたしや多くの生徒たちとちがっているのですが、それを壊さないように気をつけて教えているつもりです。これがなかなか難しい。そもそも彼女のほうが感覚的に正しいことも多いのです。

 で、コリンズのコウビルドを引いてみると、"If you are upset, you are unhappy or disappointed because . . . " と書いてありました。うーん。

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 問題文で使われている日本語は「がっかりした」。ふつうに単語帳を暗記していれば、disappointed が出てくるところです。で、どうしたかというと、マルをつけてから、「たしかに、upset は不満を感じている心の状態も表わすけれど、その原因が、期待を裏切られたからだということをはっきり表わすには、やはり disappointed を使うほうがベター」と但し書きしました。

 upset 、翻訳していても困るんですよね。上の辞書の語義をみると、unhappy, disappointed, worried などがならんでいますし、angry, disturbed, confused に近い場合もあるでしょう。「不愉快、落胆、不安、怒り、狼狽、困惑」など、日本語にすると相当幅があるように思います。もともと、upset の動詞は「ひっくりかえす」ですから、平常心を失っている感じから、こういう幅の広い意味をカバーするのでしょう。「ムカつく」もよく使いたくなります。ただ、日本語ではこんな便利な、というか曖昧な言葉がなくて、状況に応じて日本語を使い分けなければなりません。使い分けるというか、「因果関係などから、細分化された意味に(勝手に)決定する」と言っていいかもしれません。もちろん、upset も、シチュエーションやコロケーションで、意味がある程度限定されてくるのでしょうが、悲しいかな、わたしの頭の中にはそのあたりのストックが乏しく、いつも手探りになります。

 

 そんなことを思いながら、同じ日、塾を出て、ある編集者さんとの打ち合わせに行ったら、「ここ、原文が expect なんですけど、『期待』じゃなくて『予想』じゃないですか?」と言われました。

 うひゃー、ここでもか! たしかに、そこだけ読むと「期待」するようなところじゃない。そもそも、expect は「いいこと、悪いこと」関係なく「当然起こることを予想する」という意味の言葉です。生徒にもしょっちゅう「悪いことも expect するんだぞ、気をつけろ!」と言ってます。でも、前からのつながりで、そう思った主人公の気持ちの中には、「そうなるといいなあ」という思いが混じっていると判断したので、「期待」のままにしました。日本の多くの辞書に expect の語義として「期待する」が載っているのは、expect が使われる状況の半分を情緒的に表現してしまっていて、そのほうが日本人としては安心するからなのかもしれません。

 

 ああ、でも、「期待」でよかったんだろうか? だんだん「不安」になってきたぞ。不安といえば、anxious 。この単語、たぶん、じりじりしている焦燥感を表わしているんだと思いますが、その焦燥が「不安」と「切望」の双方を包含するという、ややこしい言葉。これも upset に似て、人の気持ちを現象的に描写した言葉で、因果関係とか、対象とか、この先の予想がないと、この一語だけでは日本語に訳しにくい言葉です。

 はあ、語源は「窒息させる」か。なるほど、というか、なんというか。「うー、くるしい〜、切ない〜」って感じなのかな。

 

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 しかし、この『ウィズダム英和 第3版』 anxious の例文はなんとかならないんですかね。上から読んでいくと、

 「おまえの将来が不安なんだ!」
 「不安にならないで! わたしはどうしてもその仕事につきたいの!」
 「いや、結婚を切に願う!」

 父と娘の会話になってるやん。(スミマセン。妄想です。)

(M.H.)