翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

翻訳勉強会(2−7)

 昨日は翻訳勉強会の日でした。教材は下にリンクを貼った『ペーパーボーイ』です。出版されてしまったので、参加者のみなさんはカンニングをしないように(笑)。

ペーパーボーイ (STAMP BOOKS)

 

  この表紙の絵、日本人にはなじみのない玄関前のポーチやブランコ、階段などを、装画担当の丹地陽子さんがよくわかるように描いてくださったので、読者には大きなアシストになっています。主人公が新聞配達先の家の人たちと、どういう場所で会話を交わすのかがよくわかります。装画や挿絵の力は大きい。

 

さて、この日話題になったことのひとつに「超〜」や「やばい」はどの程度使えるか、という問題がありました。主人公は11歳の少年、舞台は1959年のアメリカ。主人公の一人称で物語は書かれているのですが、彼のセリフや述懐で、こういう言葉が使えるだろうか、という疑問です。

 わたしは、「超〜」は、この作品では使えませんでした。でも、使える、と考える参加者もいました。たしかに、子ども同士の会話で使う場合には、それらしい雰囲気が出る言葉ではあります。ただ、どうも、時代にそぐわないというか、主人公の少年の性格に合わないというか、うまく説明できないのですが、この作品でこの子は使わないだろう、と思ったのです。

 でも「やばい」は "wicked" の訳語として使いました。今の若い人は、「やばい」をいい意味でも使うわけですが、そういう意味にとられても問題がない文脈です。wicked にも同様な意味の転換が起きますし。また、やばい、という言葉そのものは昔から使われている言葉なので、時代背景的にも問題がないように感じたからです。

 まあ、どちらも、文脈なしに論じても仕方がないのですが、年齢や経験によってかなり感覚がちがうことがよくわかりました。この日は、みなさんでああでもない、こうでもないと言い合ったのですが、一人で翻訳している時は、迷ったら次の日に、あるいは一週間後にもう一度見てみるとか、友達の意見、編集者の意見、いろいろ聞いてみるべきでしょうね。

 

もうひとつは、初めて出てくる人物に、黒人・白人の別を明記しなくていいのか、という問題です。この日はちょうど、黒人の登場人物の一人が初めて出てくる場面がありました。英語では "a junkman who pushed his cart up and down the alleys and did odd jobs for white people" となっています。「白人のための雑用をする」という記述で、じゃあ黒人なんだろう、とわかる人もいるでしょうが、わからない人もいるでしょう。こういう時は、やはり「黒人」であることを初出の時点で明記しておかないと、読者が白人男性が思い浮かべたまま読み進めてしまうことも考えられます。

 ただ、『ハーレムの闘う本屋』を訳した時に、少し悲しくなったのですが、黒人差別と闘う主人公の話なのに、巻末の人物注を作る時、黒人の登場人物に、いちいち、「ハリエット・タブマン:アメリカの黒人女性で……」「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア:アメリカの黒人牧師で……」「デューク・エリントン:アメリカの黒人ジャズピアニストで……」などと「黒人」をつける一方、「ハリー・S・トルーマン:アメリカ合衆国第33代大統領……」「J・エドガー・フーバー:アメリカ合衆国のFBI長官……」などと、白人には白人であることを付け加えませんでした。よっぼど、「白人大統領」とか、「白人長官」としてやろうかと思ったのですが、どう考えても悪目立ちするのでやめました。

 人種問題の根深さを否応なく知らされました。

ハーレムの闘う本屋

ハーレムの闘う本屋

  • 作者: ヴォーンダ・ミショー・ネルソン,R・グレゴリー・クリスティ,原田勝
  • 出版社/メーカー: あすなろ書房
  • 発売日: 2015/02/25
  • メディア: 単行本
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 ああ、そうだ、この黒人の職業は "junkman"、つまり、「廃品回収業者」なのですが、当番だった方は、「くず屋」と訳していました。わたしは「廃品回収業」としていたので、ああ、「くず屋」、いいじゃないか、そうすればよかった、と思いました。でも、これ、放送禁止用語、というか、放送自粛用語のようですね。でも、小説は放送じゃないんだから、「くず屋」でもいいんじゃないか、と思います。どこまで自主規制するか、悩ましいところです。

(M.H.)