翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

『アラブ、祈りとしての文学』

 少しずつ読んでいます。感じたところをいくつか。

アラブ、祈りとしての文学 【新装版】

アラブ、祈りとしての文学 【新装版】

 

 「……ヨーロッパでヨーロッパ人が体験する出来事であれば世界で共有されるべき、人間にとって普遍的な出来事であると見なすのに対し、中東世界でアラブ人の身に起きることはそうではない特殊な出来事だと見なしているということだ。」(本書、p.48)

 これはほんとうにそう思う。続けて、こうある。

「……だから、2001年9月11日、ニューヨークとワシントンで起きた出来事は「人類の歴史に刻まれた悲劇」(中略)として世界的に記憶される一方で、1982年9月、サブラーとシャティーラで二千数百名のパレスチナ人が虐殺された出来事は「パレスチナ人の悲劇」とされて、私たちの記憶の対象とならない。」(同、p.48)

 サブラーとシャティーラ、というのは、イスラエル建国に際して国を追われたパレスチナ難民の暮らす難民キャンプの名称です。この年、わたしはアラビア半島の反対側、アラビア湾の一番奥にあるイラクのバスラに駐在していたのですが、こんなことが起きたことは知りませんでした。イラク自身がイランとの戦争中であり、パレスチナ報道はそう多くなかったのかもしれません。いや、わたしの関心が薄かっただけなのでしょう。

 日本は第二次世界大戦に敗れ、戦勝国であるアメリカに占領されていた流れで、欧米諸国ではないが、その一員のようにふるまっています。アラブ諸国でないことは確かなのですが、それにしても、もう少し独自の視点での情報提供がマスコミにあってもよいのではないでしょうか。しかも、戦争をしない国としてアラブ諸国からは好感をもって迎えられていた、そのブランドが、安倍政権の政策でどんどん崩れているのが残念でなりません。

 

 もう一箇所、こんな一節がありました。

 ホロコースト生還者を両親にもつユダヤ人サラ・ロイが、母親の言葉としてその著作の中に引用した言葉だそうです。

「母は言います。『ユダヤ人しかいない世界でユダヤ人として生きることなど、私にはできませんでした。私は、多元的な社会でユダヤ人として生きたかった。ユダヤ人も自分にとって大切だけれども、ほかの人たちも自分にとって大切である、そのような社会で生きたかったのです』」(同、p.36)

 続けて、著者の岡さんの言葉。

「ホロコーストを経験したこの世界にあってなお、他者を大切な存在として守り続けること。それこそがホロコーストに対する抵抗であり、このとき、ホロコーストを経験したユダヤ人と占領下のパレスチナ人は同じ闘いを闘う同志なのである。」(同、p.36)

 

 まさに「闘い」以外のなにものでもないとしても、「闘い」という言葉を使うことによって、また新たな軋轢が起きる気もしますが、とにかく、岡さんの思いはよく伝わってきます。

 

 8月9日の朝日新聞には、完全封鎖されたガザでのIT起業の記事が載っていました。しかし、この記事では、封鎖されていてもがんばれる、ととられかねません。封鎖そのものへのもっと強い批判が同時にあってしかるべきなのではないか、とも思いました。

    とりあえず、アンテナは立てておこうと思います。

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(M.H.)