翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

読書会『ジム・ボタンの機関車大旅行』

 さて、一昨日の記事で読書会の話を書こうと思ったら、結局、子どもの本を大人が書いたり、訳したり、選んだりすることの難しさ、という話になってしまいました。今日は、もう少しこの本のことを。

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 これはドイツ語版の表紙です。メンバーのKさんが川越市立図書館から借りてきてくれました。ドイツ語版が蔵書にあるなんて、びっくりです。どこかで見た感じがする方も多いと思うのですが、『大どろぼうホッツェンプロッツ』で有名な、フランツ・ヨーゼフ・トリップの絵です。

 

 下は岩波少年文庫の表紙。これも、元はドイツ語版の別のバージョンのものだと思うのですが、ドイツの画家(ラインハルト・ミヒル)が描いたものです。上の絵と比べると、相当印象が異なります。

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 ジム・ボタンが小包で届けられた直後の絵はこんな感じ。

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 どちらの絵も、それぞれの魅力がありますが、トリップの挿絵はデフォルメされた漫画に近い絵で、作品のとんでもない展開によく合っていると思いました。ただ、表紙の絵などを見ても、黒人のジム・ボタンが本当に真っ黒で、ちびくろサンボに似ています。岩波ではそのあたりのことを慮ったのかもしれませんが、単行本で出た時も同じ挿絵のようですから、年代的にどうなんでしょうか。

 読書会のメンバーは、ほぼ、トリップの絵の方がストーリーに合っていて、奇想天外な展開を許せる気がする、というような反応が多かったです。雰囲気が相当ちがうことは確かですね。挿絵、大事です。

 

 一昨日の記事に、岩波少年文庫の担当編集者Sさんがツイートしてくれていましたが、Sさんは子どもの頃に何度もこの本を読み返していたそうです。主人公が黒人であることや、中国風の国や人々が出てくることから、潜在的に影響を受けていたのかもしれないとおっしゃっています。また、エンデがこの作品を書いた当時の思潮なども反映されているようです。

 そのようにして、本は、読んでいる子どもたちには、その時はわからなくても、なにがしかの影響を与えることは確かにあるでしょう。それを作者がどこまで意図しているのか、あるいはただの趣味なのかわかりませんが、でも、文学というものは、たとえ対象が子どもであっても、そういうものだという気がします。子どもに手渡す立場のわれわれは、完全に作家の意図や趣味を理解することはできませんし、短絡的な判断で拒絶することは慎まなければならないと、Sさんのツイートを読んで思いました。

 

 でも、やっぱり、最後は好き嫌いなのかな。大人になった自分の心の中の子どもを信じて。そして、その大人の中の子どもはいろいろで、それでいいのかもしれません。

 

 ああ、そうだ。翻訳の感想を書くのを忘れていました。さすが、上田真而子さんの訳文は、滑らかでとても読みやすく、場面の想像もしやすい名訳だと思いました。固有名詞にはずいぶんご苦労されたことと思います。

(M.H.)