昨日は昼過ぎ、ゲートシティ大崎でひらかれたJBBY主催の子どもの本の日フェスティバルで、翻訳者リレートークでしゃべってきました。
みなさん、熱心に聴いてくださってうれしかったです。ありがとうございました。
上の写真にあるように、IBBYのオナーリストに選ばれた本がずらりとならんでいました。自分は英語のものしか翻訳できないので、英米、せいぜいオーストラリア、ニュージーランド、南アのものくらいしか日本に紹介できません。
登壇された翻訳者の中には、英語以外に、スペイン語の宇野さん、オランダ語の野坂さん、韓国語の神谷さん、ペルシア語の愛甲さんもいらっしゃって、刺激を受けました。自分は外大でロシヤ語をかじっておきながら、今ではすっかり錆びついて、というか、錆びるほども身についていなかったので、ちょっと後悔しています。今からやり直す気力もないし……。
これはロシヤ語の本たち。
せめて英語圏の本でも、多角的な視点から書かれた本を紹介したいと改めて思いました。
会のあとで、拙訳『夢見る人』にサインをしてさしあげたお母さんから、この本を、まだ小さなお子さんに読んでいるのだが、ネフタリ(ネルーダ)のお父さんがあんまり怖い人なので、このまま読んでやってもいいんだろうか、と問われました。
うーん、それは考えていなかった……。たしかに、ネフタリのお父さんは強権的な怖い人だったわけですが、この本にも描かれているように、それは自身の若いころの苦い経験から息子にはしっかりした教育を受けさせたいと願う心から出ていて、外はカブトムシのように硬い殻でおおっていても、中は弱い人だったのです。でも、小さなお子さんには、そこまでちゃんと読みとれるかというと疑問も残ります。
家を離れてサンティアゴの大学へ旅立つネフタリとの別れのシーンに、お父さんの息子への気持ちが現われているので、そこまで読めばわかってくれるかな、とお話ししたのですが、今になってみると、途中で読むのをやめて、また、何年かたってから読んでもいいのかな、と思いました。
お母さん、もし、このブログを読んでくださっていたら、ちょっと考えてみてください。
大崎の桜は一分咲でした。
(M.H.)