翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

『ブライアーヒルの秘密の馬』── 本作りの共同作業

 この本は澤田亜沙美さんとの共訳です。訳書が出るたびに、本作りはいろいろな人との共同作業であることを痛感するのですが、今回は文字通りの共同作業でした。

 二人の人間が、ひとつの作品の翻訳に携わるにあたって、実際にはどうしたのか、そしてどういうことを感じたのか、少し書いてみたいと思います。

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 もともと文学の翻訳、いや創作であっても、訳者や作家が書いた文章をそのままポンと活字に組んで本ができるわけではありません。一人で翻訳した本であっても、編集者や校正者の朱が入り、場合によっては相当量の訳し直し(書き直し)が必要になることもあります。

 この仕事を始めた頃は(いや、今もなお)、編集者さんの鉛筆にどれだけ助けられたかわかりません。助けられた、というより、育てられたといったほうがいい。そりゃあそうです。それまで翻訳書どころか、そもそも本を出したことのない人間が訳した文章が、そのまま書店にならんでしまっていいわけがありません。わたしは最初の何冊かは徳間書店でお世話になっているのですが、担当の編集者さんたちは、子どもの本の翻訳者を育てようという気持ちが強くあって、原文との突き合わせを含め、ほんとうに丁寧に鉛筆を入れてくれました。自分はどれだけ幸運であったかと思います。

 下手くそな翻訳のまま本になってしまったら、訳者は名前が出てしまうので、大きなダメージを受けます。もしかしたら、そのまま二度と仕事が来ない可能性だってある。どんな翻訳者であっても、最初に訳した本と、十年たって訳した本とを比べれば、十年後の翻訳のほうが上手なのは当たり前ですが、でも、初めての訳書だからといって、水準以下の翻訳のまま本にしてしまったら、訳者がダメージを受けるだけでなく、原作は傷つき、読者に対して不誠実な本作りとなってしまいます。

 ですから、経験の浅い翻訳者に対しては、なんらかの支援が欠かせないと思います。編集者の鉛筆であれ、先輩や先生のアドバイスであれ、同業者の助けであれ、人の力を借りなければならない割合が、ベテランより大きくなります。最近は出版社にも余裕がなくて、時間をかけて訳文をチェックしたり、長い目で翻訳者を育てることがむずかしくなっているように感じます。となると、訳文の検討やチェックについて、別の形で他者の目を導入することを考えたほうがいいのではないか、と思います。

 もちろん、一人でもしっかりとした翻訳ができるようになってから仕事に携わる、という手順を踏んでもいいわけですし、また実際、そういう翻訳者もいらっしゃると思います。でも、一冊の本を丸ごと、いずれ書店にならぶのだという緊張感を感じながら訳す経験は、翻訳力を伸ばす願ってもない機会であることも事実なのです。

 

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 共訳することにした時、澤田さんとのあいだで、いくつか手順について事前に確認しました。まず、原文から日本語を起こす作業は澤田さんがする。その後わたしが手を入れ、原文の解釈や訳文のトーンなど、相談はするけれど、最終的な訳文の決定はわたしがやる、ということにしたのです。

 また、わたしが手を入れる部分については、たぶん三種類ある、ということを確認しておきました。つまり、(1)意味のとりちがいを直す。(2)訳語選択、リズム、言い回しなどを調整する。(3)わたしの趣味。この三種類です。

 (1)については、じつは一人でやると、どうしても勘違いが避けられません。これはわたし一人で訳したとしても同じ。二人で見るだけで、ミスは相当減るものです。(2)は(3)と半分かぶるので判断がむずかしいのですが、最初に訳文を起こす人のほうが、原文に引っ張られて日本語がギクシャクする傾向にあります。なので、単純に、あとから見る人のほうが手を入れやすいものです。この(1)(2)の手順は、ふだんも一人で同じことをやっているわけで、ただ、少し時間をおくことによって自分の目を客観化させて訳文を直していくのです。共訳だと、別の人間がやることによって、気がつくところが増えるのはまちがいありません。

 そして、(3)については、申し訳ないが、作品全体の統一感のためには、どちらか一人の趣味に合わせる必要があるから、ということを伝えておきました。おそらく澤田さんとしては、「うーん、ちょっとちがうんじゃない?」と思った箇所も多く残っていると思います。

 

 今回、実際に共訳してみて改めて感じたのは、やはり、英語から日本語を起こす過程には、相当なエネルギーが必要なんだなあということ(下訳、という言葉をこの作業にあてる人もいますが、かけるエネルギーや工夫や時間を考えると、この言葉はふさわしくないと、前から思っていました)。澤田さんから送られてくる訳文を、原文と照らしながら見ていくのはとても楽しい作業でした。いつもは、ここで四苦八苦するし、ある意味、この部分こそが一義的には翻訳作業そのものなのです。そういう意味では楽をさせてもらったとも言えるし、一番やりがいのあるところを取られてしまったとも言えます。最終段階で訳文の調整を二人でしている時に、澤田さんが、いろいろなことを考慮して訳語を選んでいることがわかって、むむ、安易に変えてはいけなかったかな、と思う箇所もありました。

 

『ブライアーヒルの秘密の馬』は、翼のある馬が登場する、ちょっとミステリアスな物語です。澤田さんが馬好きであること、主人公が女の子であること、ファンタジックな部分があることが、ふだん勉強会で見ている彼女の訳文によくあっていると思いました。そういう、好きな本を訳すということにおいても、まずまず、今回の共同作業はうまくいったと思っています。とくに主人公の少女エマのせりふや心情の描写などに、澤田さんの色が出ています。というか、わたしの中からはなかなか出てこないタッチが出て、そこはとてもよかったと思います。

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『ブライアーヒルの秘密の馬』は、もともと、原作者のメガン・シェパードさんと、イギリス版の挿絵を描いたリーヴァイ・ピンフォールドさんの共同作業がとてもうまくいっている作品で、また、そこにはおそらく、レイアウトをはじめとして、編集者の熱意や尽力があったのだと思います。

 日本語版では、澤田さんとの共訳だけでなく、装幀家の城所さん、小峰書店の編集の山岸さんなど、多くの人の力が合わさってこの本ができた、という実感の強い作品となりました。もともと、挿絵入りの本が好きなわたしです。子どものころ、挿絵入りの海外の物語にどれほど魅了されたことか。作者自身の挿絵が入った『ツバメ号とアマゾン号』はバイブル的な存在だったし、そのほか、親が買ってくれた少年少女世界文学全集には、すばらしい挿絵がたくさん入っていました。

 手間とお金がかかってしまうので、本が少し高くなってしまうのが難点ですが、こういう本はまたやりたいなあ、と思います。テキストと挿絵の共同作業が生み出す世界は独特で、ある意味、子どもの本ならではの魅力でもあります。

 

 多くの読者に、とくに、子どもたちに読んでもらいたい!

 

【4月5日、若干、加筆しました。】

 

(M.H.)