スーパーの酒類の売り場にいくと、なんとなく売れ残っているような気がするので、コロナビールをこないだから買ってきて飲んでいます。さわやかでおいしい。サッカー3位決定戦、メキシコに勝てるかと思って飲んだけど、だめでした……。
本題です。
先日、ある作品を訳していて、原稿を読みなおしていると、やたらに「巨大な……」が出てきました。で、確かめてみると……
原文 (「巨大な」/全数 )
huge 9/15
vast 7/13
great 3/49
big 2/18
colossal 2/4
monstrous 1/2
monster 1/5
合計 25/106
という具合で、7つの単語、計106個のうち25個を「巨大な」と訳していることがわかりました。とくに、hugeとvastは半分以上そう訳しています。中編なので「巨大な」が25回出てくるのは、ちょっと多いだろうと思って調整したのですが、けっこう苦労しました。
これらの語が修飾している主な被修飾語 は、building, structure, ruin, architechure, figure, palace, cavern, skeltonなど、「巨大な」「建物」や「廃墟」や「宮殿」や「洞窟」や「銅像」など、立体的な構造物の大きさを示している場合が多い作品です。「広大な」「莫大な」「壮大な」「すばらしい」「偉大な」など、広さや量、出来栄えや程度を示す訳語が使えないのです。
さらに、児童書扱いの作品なので、訳語の選択肢があまりありません。しかたなく、「巨大な」よりは目立たない「(とても)大きな」「堂々とした」「ばかでかい」など、あの手この手を使って、25の「巨大な」を14までへらしました。これくらいならいけるかな。
もともと、子どもむけの本を訳していると、使える日本語の数が限られるので、どうしてもこういう問題に行き当たります。それでも、気づいただけよかった。また、別の角度から見ると、同じ単語に同じ訳語をあてなくてよいのか、という問題もあります。これは結論からいうと、あてるべき場合と、そうでない場合がある、ということ。原作者も、あまり考えずに目先の変化をねらって言葉を変えていることもあれば、こだわって同じ語を使っている場合もあるからで、その見極めが必要です。
また、原因が異なりますが、自分のよく使う日本語があって、あとで検索かけると、「えー、こんなに『するとその時』使ってるの〜?」「『したとたん』多すぎやろ」とかなります。こういうの、みなさんどうしてるんですかね?
(M.H.)