『ぼくは川のように話す』が、産経児童出版文化賞をいただいたお祝いに、版元の偕成社さんから、予算内で好きなものをあげる、と言われて、いただいたのが、中学校の時の恩師、西村丈彦先生に描いてもらった、生まれた町、平塚の風景画です。
南から北をのぞんでいて、正面に見える薄緑色の山が高麗山(こまやま or こうらいさん)。この画面の右手に花水川が流れていて、この近くに、箱根駅伝の平塚中継所になる場所があります。背後が相模湾ですね。
原田は、このすぐそばで大学一年生まで暮らしていました。懐かしい風景です。新幹線は、この山よりも少し北側を通っているので、乗るたびに、北からいつも確認しています。東側がストンと急角度で落ちているのが特徴。いや、南北もけっこう急角度ですけど。ここから西に湘南平に続く道があります。
このあたりは関東平野の西南の端にあたり、ここから西へ、箱根にむかって、大磯、二宮、小田原と、丘陵地が相模湾に迫る地形が続きます。「高麗」という山の名は、おそらく昔、朝鮮半島から来た人たちがいたのでしょう。子どものころはよくこの山に登り、中高生のころは、下から一気に走ってのぼったりもしていました。この絵に描かれている土手のあたりには、昔、祖父が畑を借りて耕したりもしていましたっけ。駅伝もよく見に行っていたなあ。
今、うちのリビングに飾ってあるこの絵を見ると、心が落ち着きます。
なかなかブログにアップできなかったのですが、改めて西村先生、そして偕成社さん、ありがとうございました。
(M.H.)