今日、8月21日の朝日新聞に、小説家の柚木麻子さんの寄稿が載っていた。共感するところの多い記事だった。
自分たちが、といっても柚木さんは1981年生まれなのだが、小学生のころに『はだしのゲン』を読み、中学生の遠足で「丸木美術館」へ行ったことを例に挙げて、2024年の今にくらべて、少し前までは「反戦」のコンテンツが子どもに提供され、戦争の恐怖が感じられたのに、今はそういう機会が減っていることに触れている。(ちなみに、丸木美術館はわが家から車で10分ほどのところにあり、柚木さんも書いているが、一度見たら泣き出してしまうほど、原爆の恐怖が迫ってくるところだ。大人になってから見に行ったわたしでも、もう一度行く気がなかなか起きないくらいの衝撃だった。)
そして、柚木さんは、自分たちは「ぼんやりと生きているだけで、歴史をたたき込んでもらえた最後の世代だったのかもしれない」と、ユニークな表現で現状を憂えている。たしかに、そういう面はあるだろうし、1957年生まれの自分にはもっとそういう機会があったと思う。
そして、こう続ける。
……普通に暮らしているだけなのに、人権や戦争について当たり前に正しい知識が入ってくるようになれば、別の景色が見えてくる……
そうなれば、政治の話題を避けず、それぞれのスタンスに関係なく、緊張せずに、この国について語り合うことができる気がする。生活を楽しみ、ぼんやり生きながらも、戦争を回避できる。
そんな環境を作れるかどうかは、メディアの頑張り次第ではないか。少なくとも、私のような作り手は……、何よりも語られなかった歴史を学び、物語という形で届けたい。
大いに共感する。
わたしは『弟の戦争』から始まって、去年は『チャンス──はてしない戦争をのがれて』でユリ・シュルヴィッツの子ども時代の自伝を訳したし、今は、ウクライナ戦争のルポを訳しているところだ。おかげで、第一次大戦、第二次大戦とホロコースト、スペイン内戦、湾岸戦争、ウクライナ戦争と、いつもあれこれ調べながらの翻訳をしてきた。
じつは、戦争にまつわる児童書の翻訳は、正直、心のどこかで「また戦争物か」と思わなくもなかった。それでいて、自分で企画をもちこんだりしているわけで、こうなるともう業のようなものかも、と思っていた。
でも、この柚木さんの記事を読んで、少しもやもやが整理された気がしている。記事の最後の一文はこうだ。
「記憶の中の先生たちのように、愚直に戦争反対と叫びたい。」
ちょうど月曜日に、やはり戦争をテーマにした絵本の翻訳の打診があった。また、別の戦争について調べなきゃならないが、すでに、関連書籍が Amazon から届いている。
やるっきゃない。
(M.H.)