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翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

ぜんぶ一人でやりたい

翻訳の周辺

 翻訳は、まず、原文を読み、理解して、それに相当する日本語の表現を考えるわけですが、最終的に、読者の皆さんは原文を見ないのがふつうなので、日本語の世界だけで情景や人物や心情が立ち上がってくるようにしなければなりません。

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(サザンカ(山茶花)。もうこんなにたくさんの花が……。)

 

 問題は、翻訳作業の途中で、どこまで原文を見ながら訳文の手直しをするか、です。最初に訳文を作る時に完全に原文を理解し、しかも、ぴったりの訳文が一度で出てくれば、そして、それを全編にわたって継続できるのであれば、原文を二度、三度と見る必要はないでしょう。でも、そんなことは不可能です。

 まず、原文を完全に理解できないことがあるので、とりあえず、印をつけて、おそらくこうだろうという訳文にしておくことがあります。これは、調べ直したり、場合によっては原作者に問い合わせたりします。

 ぴったりの訳文は一度で出てくることの方が少ないくらい。読み直してはじめて浮かぶ表現もあります。というか、そういうことが多い。

 なので、やはり、二度、三度と原文と訳文の比較をしながら最善の表現を探っていくのですが、いつまでもこれをやっていると、日本語だけで読む読者にとって、原文直訳のしっくりこない表現が残ったり、スピード感がなくなったりします。なので、読み直しの回を重ねるごとに、だんだん原文を見ないようにして、気になったところだけ確認するようになります。

 まあ、こういう手順はそんなに間違っていないと思うのですが、去年から翻訳の勉強会をひらいて、自分の訳した作品をメンバーと一緒に検討していると、作品全体としての日本語はまずまず整えることができていると思うのですが、細かいところで原文のニュアンスが生かしきれていないところがあって、気になっています。

 で、今、訳しているものは、少し原文との突き合わせを丁寧にやっています。どれくらいやればいいのか答えはなくて、見直せば見直すほどよくなるのはわかっていますが、一方で時間の制約もある。やれと言われれば、延々と何年も見直していられると思いますが、そういうわけにもいきません。

 自分は怠け者だと思うので、ルールを決めています。ほんとうは臨機応変に鼻をきかせて、「お、なんかやばいぞ」と思ったところだけ見直せばいいのですが、不器用なたちなので、そうもいかない。そんなことをしたら、ずるずると見直さなくなる恐れがあります。

 とりあえず、(1)最初に訳文を作る時、(2)翌日に前日の分を見直す時、(3)章ごとに見直す時、この三回は原文チェックをやっています。が、(3)になると、そこそこのスピード感で訳文を読まないと問題点が浮かんでこないので、この兼ね合いがむずかしい。

 

 原文とのチェックを人に頼むのが、ミスを減らす一番の方法だと思うのですが、「ぜんぶ一人でやりたい病」が治らず、これができません。そもそも、そこが翻訳の醍醐味ということもありますが、同時に、ぜんぶ一人でやることで、読解力や表現力が向上し、語彙がふえ、いろいろな引き出しがふえるのではないかとも思うのです。


    お仲間の翻訳者のみなさんはどうしているんでしょうか。 

(M.H.)