★日本人は生真面目なので、翻訳においても、原書の構造や語彙をできるだけ生かそうとするのだと思いますが、できた日本語の文章が意味不明では困るわけで……。おそらく、この「(3)訳者は日本語に寄り添え」というのが、一番できそうでできないことのような気がします。★
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
写真は『実例英文法』(第4版[改訂版]、オックスフォード大学出版局)の一部です。この中に、「こと」が4つもあります。動名詞の項なので、「〜すること」と訳すのは定番ですが、よく見ると、三つめ、四つめの「こと」は動名詞の訳ではありません。
え? なんの話かですって? それは、以下のコラム再録をお読みください。
ーーーーーー
第7回 翻訳の際の心がけ ── その2
(2008年1月15日掲載 2017年3月19日再録)
今回は
(3)訳者は日本語に寄り添え
(4)長いフレーズより、短いフレーズ
(5)ことこと、ことこと、煮物じゃない!
の三項目について書いてみます。
(3)訳者は日本語に寄り添え
これは翻訳学校の授業で、担当講師だった金原瑞人氏から何度も聞いた憶えがあります。翻訳の技法について書かれた本にもよく登場する言葉ですね。つまり、読者はまず原書を読まないし(最近、読む方も増えてきて、ぼろが出るんじゃないかと戦々恐々ですが)、作品として楽しもう、味わおうとして翻訳書を手にとるわけですから、そこに書いてある日本語が作品として成立していなければならない、ということです。
これって基本中の基本で、そんなことだれでも知ってるよ、と思うかもしれません。でも、これほど難しいこともないのです。なぜか?
まず、翻訳の作業手順を考えてください。訳者は必ず原書の外国語を読みます。そして意味を考え、情景を思い浮かべ、登場人物の性格を探ります。それから日本語の言葉を選択し、日本語として成立する文章に仕立てます。いったん、あいだにイメージや、色や、形が入るわけで、まぶたの裏に浮かんだものを日本語で表現すれば、自然と「日本語に寄り添った日本語」(?)になるはずです。
でも、でも、ですよ。目の前には厳然として外国語の単語、わたしの場合は英単語が並んでいるわけで、意味があいまいだったり、訳語を捜したかったりすると、その英語から辞書を引くわけです。そして、いつの間にか、中学校時代から叩きこまれた「単語テスト精神」が頭をもたげてくるのです。
book は「本」、prettyは「かわいい」、thatは「あれ」……、こうして一対一で意味を対照させていった中高六年間、大学でも真面目に勉強した人は十年間の経験が、脳みその中に強固な回路を作っていて、「英語の一語は、日本語の一語にしなければならない指令」が自動的に発せられます。まあ、この考え方は、絶対にまちがっているとは言えないし、古くは、原書への忠誠心の顕われとして、一つの英単語には頑として同じ日本語訳をあてた翻訳者がいたそうですが、読者の皆さんにはおわかりのとおり、それは無理というもの。
でも、でも、ですよ。やっちゃうんですよ。いつの間にか、一語イコール一語、で処理しようとしてるんです。だいたい、雨の日も風の日も、机の前でパソコンに向かい、二百ページも三百ページも翻訳してると、そうなる危険性大です。調子のいい時には、語→文→段落→ページ全体→これまでの流れ、と視野が広がり、全体を踏まえてその文を日本語に置き換えられるのに、疲れてくると視野が狭まり、段落→文→語、と一度に考えられる範囲が減っていきます。で、よりどころが欲しくなって、英単語→日本語単語、になっちゃうんです。
じゃ、どうするか? やはり、一通り訳し終わったあとで、自分の訳文を原書を見ずに、作品として何度も読み返すことに尽きます。当然、原文との突き合わせもしなければなりませんが、読者あっての本であり、翻訳者なのですから。
(4)長いフレーズより、短いフレーズ
これも金原先生の授業で聞いたことです。記憶ちがいでなければ、生徒さんたちに教える、というより、ご自分で確認するように、「長いフレーズと短いフレーズ、訳語の候補が二つあったら、短い方を選びますね。なぜかと言われても困りますけど」とおっしゃいました。
これには異論があるかもしれませんし、原文によって一概には言えないのは当然です。しかし、そういういっさいのことを超えて、「長いフレーズより、短いフレーズ」というモットーは、なにか大切なものを含んでいるような気がしてなりません。
そもそも、英語の本を日本語に翻訳すると、一般的にページ数は増えます。これには、それぞれの言語構造や表記方法のちがい、活字の大きさや本そのものの大きさなど、いろいろな要素がからんでいるのですが、でも「ページが増える」というのは、多くの編集者や翻訳者がもっている実感でしょう。
たぶん、英語から日本語へ置き換える際、微妙に守備範囲がずれている言葉に置き換えざるを得ず、そのずれを修正するために別の言葉を補い、文そのものが長くなっていくのではないかと思います。なにが言いたいかと言えば、なにもしなくったって、翻訳された日本語の文章は長くなりがちだ、ということです。どこかでそれを調節しなければならないのではないでしょうか。
また、こういうことも言えます。だいたい翻訳者は丁寧な仕事をする人が多いんです。丁寧でないと仕事になりません。仕事が丁寧なことと、文章が長くなることとは別です。でも、メンタリティとして、放っておいても文が長くなりがちなのではないでしょうか。だから、時には潔く、短く切り詰める思いきりが必要なのです。
(5)ことこと、ことこと、煮物じゃない!
これも受け売りで申し訳ありませんが、かつて『翻訳の世界』という雑誌で、辛口の批評『欠陥翻訳時評』を連載されていた翻訳家、別宮貞徳氏の文章で知った言葉だと思います。間違っていたらすみません。あまりに強烈な印象を受け、しかも、今でも、日々、実感する言葉なので、ここに使わせていただきます。
読者の皆さんも経験があると思うのですが、いわゆる英文和訳的な日本語では、「こと」が次々に現われて、「煮物状態」になってしまいます。英語の文型や語順などを論理的に考え、名詞句や名詞節を理解するには、この「こと」はとても便利な語で、塾で高校生に英語を教えていると、これが使えない生徒は文の構造がわかってない、と思うことがたくさんあります。もちろん、高校生の中にも、しっかり理解した上で「こと」の少ない、煮物ならぬ、サラダのように軽やかで瑞々しい日本語を操る子がいて驚くこともあるのですが……。
それはさておき、具体的に考えると、「こと」という訳語をあてても間違いではないと思われるのは、どんな英語表現でしょう。
thing, something, anything, nothing, everything, affair, business, concern, item, matter といった単語はもちろんのこと、主語や目的語、補語になっている不定詞・動名詞、接続詞のthat、関係代名詞のwhatなども、文法の参考書に載っている訳語は「こと」です。こいつらだけでも文中にわんさか現われるというのに、fun「おもしろいこと」、nonsense「くだらないこと」、trouble「面倒なこと」、wonder「不思議なこと」といった状態や抽象的なことがらを表わす時にも、日本語ではよく「こと」を用います。
おまけに、to my surprise「驚いたことに」、thankfully「ありがたいことに」、what is worse「さらに悪いことに」、などといった副詞句にも「こと」があてられ、加えて、I love you!「あなたのことが好き!」などと、なぜか、こんなところにも「こと」が顔を出します。(「あなたが好き!」と「あなたのことが好き!」は、いったい、なにがちがうんでしょうかね? でも、なにかちがいますよね。あなただったら、告白する時どちらを使いますか?)
というわけで、放っておけば、訳文が「こと」だらけになる可能性があるのはおわかりいただけたでしょうか? ただし、この傾向を知ってさえいれば、「こと」を減らすのはそれほど難しくありません。(1)で述べた、「彼、彼女を使うな」と同じで、あとはその文に応じた対策を、あきらめずに考えればいいのです。
似たような戒めの言葉に「ダッタ、ダッタと、機関銃?」というのもどこかで見た憶えがあります。やはり別宮氏の文章にあったのかもしれません。これは文末処理の問題で、とくに急いでいると「〜だった。〜だった。」あるいは、「〜だ。〜だ。」と同じ文末を重ねてしまいがちですよね。いくら途中の訳語の選択が的確でも、文末が単調だとリズム感が失われ、読みづらくなります。作品全体の印象も、文末の処理でだいぶ異なったものになるのはご存知のとおりです。
今回は、どれも先輩翻訳者の受け売りになってしまいましたが、先達の言葉はやはり大事にしなければ、ということでご容赦ください。
あえて、今回の三項に共通する精神を挙げるとするなら、文章には適度な変化が必要、ということでしょうか。硬直した日本語を書くことが一番の問題なのです。ただし、英語・日本語それぞれに、繰り返し使っても違和感のない語、繰り返すとどうしてもうるさく感じる語があって、それが英日でずれているので厄介なんですが……。
「変化とリズム」、これを忘れず、読んで心地よい日本語を書きたいものですね。
「心がけ」、残りのお題は以下の予定です。
(6)声に出して訳文を読め
(7)見直せば、見直すだけ、訳文は良くなる
(8)自分の日本語になっているか?
(9)言語は論理的なものだ
(10)翻訳に、絶対の規則はない (M.H.)