★さて、今日は第6回を再アップします。こういう面倒くさいことを常時考えているわけではありませんが、一度考えておくと、迷った時、決めておいた方針が無意識のうちに助けてくれるような気がしています。(2017年7月30日、「再」再録)★
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第6回〜第9回は、「翻訳の際の心がけ」と題して、いつも気に留めておくべきことをいくつか、スローガン的にあげてみました。ほんとうは、細かいことの集積が翻訳だと思いますが、こういうふうにまとめておくことで、ずいぶん助かるものです。
この絵は、今回、例としてとりあげた『わたしの知らない母』の章扉のイラストで、近藤達弥さんの作品。この小説の雰囲気をよく表わしています。
では、どうぞ。
ーーーーーー
第6回 翻訳の際の心がけ ── その1
(2007年12月10日掲載、2015年3月16日再録)
さて、新しい年を間近に控えて、わたし自身が初心に帰る意味もこめ、翻訳の際に心がけているポイントを十項目ほど挙げてみようと思います。自分で実感して気をつけるようになったこともありますが、ほとんどが本で読んだか、翻訳学校で教わったかのどちらかです。ですから、二番煎じの感は否めませんが、わたしの頭の中を整理するために、一度まとめてみたいのです。そして、それが読者の皆さんのヒントになれば幸いです。
(1)「彼」「彼女」を使うな
これは二十年近く前、翻訳学校で金原瑞人氏の講座を受講した時、最初の授業で言われたことでした。先生は初めて受講する人のために大切なことや約束事をいくつか言ってくださるので、繰り返し五回も受講したわたしの身には、否応なく染みこみました。
人称代名詞を無闇に使うな、という戒めは、翻訳の技法について書かれた本には必ず載っています。しかし、それまで徹底していたわけではありませんでした。授業で先生から「使うな」とはっきり言われると、根が真面目なわたしは、毎週、課題を翻訳する時に、忠実にこの約束を守ろうとして、いろいろなことを考えさせられました。
「彼・彼女」が使えなければどうするか。基本的には、元の名前や身分・役職などを繰り返すか、あるいは省略するかしかありません。英語の代名詞は、極端な話、一段落の中でいくつ使用しても違和感はありませんが、日本語でそれをやったら、とても読めたものではありません。もちろん、すべてを元の名詞にもどせば済む問題でもない。だから省略します。しかし、省略するためには、主語が同じ文が続いていないとうまくいきません。続いてない時はどうするか。こっそり「彼・彼女」とすることもありますし(そう、この、こっそり感が大事。仕方なく、最低限、目立たぬように使ってるんですよ、という感じですね)、可能ならば、あいだにはさまっている主語の異なる文を受動態にしてしまい、主語を合わせてしまうという手を使うこともあります。
She sat on the corner of my desk, her close proximity already making me nervous, and took the letter. While she read it I tried not to stare up at her face. Sometimes I thought she liked me too, but it was never clear if she liked me enough.
“The Hand of the Devil” by Dean Vincent Carter
ジーナはぼくのデスクの角に腰かけ、手紙を手にとった。こんなに近くにいられると、それだけでそわそわしてくる。手紙を読むジーナの顔を、下からじっと見上げてしまいそうで、ぼくは無理に顔をそむけた。ジーナもぼくのことが好きなんじゃないかと思う時もあるが、男性としてどう思われているかははっきりしない。
『悪魔の手』(仮題)、ディーン・ヴィンセント・カーター作
元の英文では、she、herが計六回、I、my、meがやはり六回使われていますが、日本語では「彼女」の代わりに「ジーナ」二回、「ぼく」三回で済ませています。二つ目の文、 her close proximity already making me nervousは、いわゆる無生物主語の分詞構文ですから、態の転換を行ない、「ぼく」を主語にした受け身と考えてから、「彼女」や「ぼく」を省略した文にしてみました。「近くにいる」のはだれで、「そわそわしてくる」のはだれなのかが、まあ、わかりますが、ちょっと苦しい気もします。ただ、この作品は、ずっと「ぼく」の一人称が基本ですから、視点が常に一定だという条件があります。その条件で読んでいれば違和感はないと判断しました。それを言えば、「ぼくのデスク」の「ぼくの」はとってしまってもいいのかもしれませんが、前文からの関係で入れてあります。
(2)だれの視点か?
どこで知ったか憶えていませんが、これはとても大切なことだと思います。英文の意味をとり損ね、誤訳してしまう場合、視点を読みちがえているケースが非常に多いように思います。これは、一人称で書かれているか、三人称で書かれているか、という問題ではありません。
例えば、複数の登場人物にそれぞれ一人称を割り当てている場合があります。場面ごとに語り手を変えたり、あるいは同じ場面を複数の目で描写している場合ですね。こういう場合は、段落ごとに、あるいは文章ごとに視点を変え、必要に応じて言葉遣いも変えなければなりません。逆に、三人称でも、書き手の視線でニュートラルに書かれている場合もあれば、主人公に感情移入していて、三人称なのに一人称目線という場合もあります。
So. You can’t just sit down and sob. If her mom had done this, when her father died ── if she had just given up ── where would Mir be now? What do her mom’s friends do, each morning, noon, and night, with this sweet shell of a woman, holding onto her history even as she has no idea you might be part of it?
“Someone Not Really Her Mother” by Harriet Scott Chessman
さて。こうして、ただここにじっとして泣いてたってしかたない。わたしの父親が死んだ時、もしママがそんなふうにめそめそして、なにもかも放り投げていたら、今頃わたしはどこにいるだろう? それにママの友だちは、毎日、朝も昼も夜も、抜け殻のようなこの愛すべき女性に、どう接してくれているんだろうか? 相手に関係あろうがなかろうが、昔話を繰り返す女性と、彼女たちはどうつき合ってくれているのか?
『わたしの知らない母』、ハリエット・スコット・チェスマン作
この作品は、章ごとに三世代、四人の女性の視点で描き分けられている小説です。この場面は、認知症を患い、介護老人ホームで暮らす母親を伴って、靴を買いに出かけた際の、すでに中年になっている娘ミランダの想いを描いた部分です。母親はミランダが自分の娘だということを忘れ、歩道で立ち往生しています。
大切なのは文脈です。単語と文法だけ見れば高校一年生レベルですが、いきなりこの英文を読んでも、よくわかりませんよね。それまでのストーリーや場面設定を頭に入れ、なおかつ、視点を確認して読む必要があります。さらに、こうして改めて抜粋してみると、(1)で扱った、「彼・彼女」、つまり代名詞の話と、この視点の話が切り離せないことがよくわかります。
代名詞と人物との相関は、出てくる順番に見ていくと、You=ミランダ、her=ミランダ、her=ミランダ、she=母親、Mir=ミランダ、her=ミランダ、her=母親、she=母親、you=母親の友人たち、となります。一見、めちゃくちゃですが、なぜわかるかと言えば、文脈と、この章はミランダの視点で三人称で書かれているのだという、作者と読者の暗黙の了解があるからなのです。
さらに、ある段落が、「I=わたし」の視点で書かれている場合、「I saw ...」「I heard ...」などを「わたしは見た」「わたしは聞いた」などとする必要はありません。視点が変わっていなければ、見たこと、聞こえたことだけを描写すればいいのです。I saw my father shaving in front of the mirror. となっていれば、「わたしは父が鏡の前でひげを剃っているのを見た」としてもいいのですが(いや、しなければならない場合もありますが)、視点が「わたし」で語られているのなら、「父は鏡の前でひげを剃っていた」で充分なのです。
同様に、視点となっている人物には知り得ない他人の感情などが、英語ではストレートに事実であるかのように書いてある場合があります。そういう時は、「〜らしい」「〜と思われた」などとするか、前後の流れをよく観察して、ふさわしい表現にする必要があります。
(1)と(2)だけで、こんなに長くなるとは思いませんでした。紙面が尽きましたので、続きは次回に。以降、次のような項目について書く予定です。
(3)訳者は日本語に寄り添え
(4)長いフレーズより、短いフレーズ
(5)ことこと、ことこと、煮物じゃない!
(6)声に出して訳文を読め
(7)見直せば、見直すだけ、訳文は良くなる
(8)自分の日本語になっているか?
(9)言語は論理的なものだ
(10)翻訳に、絶対の規則はない
(M.H.)