高三の授業をしていたら、長文の中にロビンソン・クルーソーが出てきました。
「ロビンソン・クルーソー、読んだことある人?」
だれも手をあげません。まあ、これは想定範囲内。それではと思い、簡単に説明しはじめました。
「ロビンソン・クルーソーという男が難破して、無人島に流れ着いたら……」
「ええーっ! ナンパして無人島って、どういうこと?」と、女子生徒の一人が声をあげました。

- 作者: ダニエル・デフォー,ウォルター・パジェット,海保 眞夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2004/03/16
- メディア: 単行本
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「だから、難破して……」
「ナンパでしょ?」
「そのナンパじゃないよ、難破だよ!」
昭和30年代に生まれたわたしの世代は、「ロビンソン・クルーソー」だけでなく、「三銃士」とか、「モンテクリスト伯」とか、「十五少年漂流記」とか、このあたりの翻訳物をふつうに読んで育ったので、ちょっと信じられないのですが、まあ、毎年似たような事態が発生します。
ロビンソン・クルーソーは、今も社会と人間の行動をテーマにした英文の中にしばしば引用されているので、そのたびに説明する羽目になるのですが、難破がナンパと受け取られたのは初めてでした。
同じ英文の中に、sergeant とrecruit の話が出てきました。鬼軍曹は新兵にいやなやつだと思われていることを知っていても態度を変えない、ということが、人間が他者の反応を見て自分の言動を修正するものだ、という考え方の例外として使われていたのですが、日本の高校生は軍曹と新兵の関係を知りませんから、なんのことだかさっぱりわからないまま読むことになります。まあ、中には本や映画が好きな高校生の中にはわかる者もいるかもしれませんが、ごく少数でしょうね。
翻訳していても、似たようなことにはしょっちゅう遭遇します。とくにヤングアダルトや児童書の翻訳だと、ベーブ・ルースに注をつけるべきか、とか、東西冷戦は学校で習ったはずだよな、とか、十字軍は? イギリスは右ハンドル? 公民権運動? ケネディ? マクベス? まあ、きりがありません。
文章というのはこういうもので、書く人、読む人のもっている知識によって、読める読めないや、読みの深さや、批判する点、賛同する点が変わるものです。入試の英語だってそう。読むということはそういうことです。
今度は「難破」じゃなくて、「船が嵐にあって遭難」とか言ったほうはいいかな。いや、笑いをとるために「ナンパ」で行くか? でも狙ったジョークはたいていはずれるからなあ。
(M.H.)