先週土曜日の読売新聞夕刊、「空色ブックガイド」のコーナーで紹介したのはこの2冊。
『夏の庭 ─ The Friends ─』(湯本香樹実作、新潮文庫)
『ペーパーボーイ』(ヴィンス・ヴォーター作、原田勝訳、岩波書店)
テーマは「夏の終わりに」でした。
続きを読む★この回では、日本語の語尾のいわゆる過去形・現在形に、読者や視点人物と、描写対象とのさまざまな距離感を調節する役割があることを説明しています。意識せずにこうした操作をしていることがほとんどですが、言われてみるとおもしろい現象です。(2017年08月29日「再」再録)★
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この回に引用した『王国の鍵7 復活の日曜日』は、シリーズ全7巻の最終巻です。左側に見えるのが、原書 "Lord Sunday"。作者ガース・ニクスの丁寧な作り込みが楽しめるファンタジーシリーズです。
では、「歴史的現在(その2)」をどうぞ。
続きを読む★結局、この回で言いたいことは、文末の処理の話。リズム感やスピード感の操作、あるいは人物の性別、年齢、あるいは性格の表現まで、文末は多岐にわたる役割を負っています。(2017年08月27日「再」再録)★
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加藤周一著、『日本文化における時間と空間』です。
こんなむつかしい本はふだん読まないのですが、なにかのきっかけで、ふだん翻訳の時に感覚でやっている文末の処理が、論理的に解説されている部分を見つけました。ぼんやりとつかんでいたものが、はっきりと言語化されていて感動したのと同時に、感覚で処理していたものに説明がつくという、この母国語という言語の不思議も知りました。
続きを読む★文芸翻訳はやはり「表現」活動だと思います。「作業」だと思ったらおしまい。能動的な芸術活動だと考えた方がいい。(2017年08月27日「再」再録)★
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大それたお題で、よくもこんなに長々と書いたものだと思いますが、この四回に書いたことは、自分で納得するために書いたようなものです。まあ、そういう言い方をすると、このコラムは、結局、自分のために書いていたようにも思いますが。
梅雨の晴れ間、部屋から見た夕空。
続きを読む★翻訳をする時、あるいは翻訳学習において、あるべきひとつの正解にむかって日本語を考えるのではなく、自分なりに表現しようとすることが大事ではないでしょうか。「模範解答」なんてない、と思ったほうがいい。(2017年08月26日「再」再録)★
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この回で引用した、『ブック・オブ・ザ・ダンカウ』の表紙。
装画は、安田みつえさんです。宗教的な寓話とも言える動物ファンタジーである本書の雰囲気をよくとらえてくださっていて、大好きな表紙です。
『ブック・オブ・ザ・ダンカウ』(ウォルター・ワンゲリン作、フォレストブックス、2002年)
続きを読む★文学は、いや文章は、平面上に記された文字という記号の連続で、よほどの速読術の達人でない限り、読者は一文字ずつ、順にたどっていくことしかできません。つまり、絵画や彫刻といった空間を占める芸術とちがって、文学は読者の「読む」という行為によって時間軸上に一本の線となって伸びていく「時間芸術」なのです。もちろん、翻訳された文学もその枠を超えることはできません。(2017年08月25日「再」再録)★
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この回で引用した本です。作家の北村薫さんが、早稲田で教えた時の講義録を中心に構成されたものですが、読みやすくて、とてもためになり、刺激にもなります。北村さんの作品では、『スキップ』がおもしろかったなあ。
北村薫の創作表現講義―あなたを読む、わたしを書く (新潮選書)
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4月から、読売新聞に「空色ブックガイド」と称して、なかがわちひろさんと交代で、毎月第4土曜日の夕刊にYA文学の紹介文を書かせてもらっています。
今週土曜日、26日の夕刊はわたしの番。どの本をとりあげたのかは、新聞が出るまであかせないのですが、今日は、これまでにとりあげた本を紹介しておきます。
続きを読む★大上段にふりかぶったタイトルですが、一度は考えておくべき問題ではないかと思います。「文芸翻訳」は、「文学翻訳」と言ってもいいかもしれません。自意識過剰だと言われるかもしれませんが、フィクションを翻訳する時、当然、自分は文学に携わっているのだ、という意識が不可欠だと思います。(2017年08月23日「再」再録)★
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わたしが翻訳を学びはじめた1990年前後は、まだ、文芸翻訳という言葉が多く使われていて、文学の翻訳が強く意識されていたように思いますし、自分でも、純文学、推理、SF、児童書など、ジャンルはいろいろあっても、文学を翻訳するのが翻訳だと思っていました。ストーリーがあって、登場人物がいろいろいて、事件が起こり、泣いたり、笑ったり、人が死んだりして、わくわく、どきどき、はらはらするものを翻訳したいと思っていました。皆さんはどうでしょうか?
資料をほじくりかえしていたら、1988年10月期のバベル翻訳学院の講座予定が見つかりました。いや、錚々たる講師陣です。今、この方々に教えていただけるのなら、毎日でも通いたい。
わたしは仕事の関係で午前中の講座しかとれず、金原先生と厚木先生に教えていただきました。夜の講座がとれていたら、また、ちがった分野に進んでいたのかもしれないと思う一方、結局、今のジャンルに落ち着いていたような気もします。
続きを読む★表記にこだわるわけは、最初に編集者さんに訳稿を出す時に、できればそのまま本にしてもいい形にしておきたいからです。もちろん、そんなことはできるわけはないのですが、それでも、そういうつもりで原稿を整えたい。そうすると、かな漢字の表記だけでなく、自然と神経のいきとどいた原稿になるのではないでしょうか。(2017年08月22日「再」再録)★
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かな漢字の選択はほんとうにむずかしい。個人によって感じ方がちがいますし、また、全編統一しようとすると、部分では奇妙な印象になったり……。
コラム中にも書いているように、わたしはこんな「かな漢字表」を作りながら翻訳作業をしています。
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★原書に何度も出てくるある単語を、日本語でも一つの訳語に統一して訳すのがむずかしいことは、第23回「"very"はとてもか?」の回でも触れました。この回では、さらにそれがキーワードに近い言葉なのに、訳語を統一できなかったケースを扱っています。簡単に言えば、言葉というものは文脈によって意味のゆらぎがあるだけでなく、言語が異なれば、その揺れ方が異なるわけで、それを踏まえての訳語の選択が必要になります。(2017年08月21日「再」再録)★
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この回でとりあげた作品は『スピリットベアにふれた島』(ベン・マイケルセン作、鈴木出版、2010年)です。日本語版の表紙は以前、載せたことがありますから、今回は、原書の表紙を。
なかなかインパクトのある装画です。この場面、すごいんですよ。校正の時は、編集者さんから、ちょっとカットしたほうがいいんじゃないか、という意見もあったくらい。なにがすごいかは、ぜひ、ご一読を。
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