塾の春期講習も終わり、学校では入学式、始業式があり、塾の授業も各教科週一回の平常講義に入りました。3月は、大学に合格した生徒たちが挨拶に来て、浪人する生徒も挨拶に来て、新しい受け持ちの生徒の顔と名前をおぼえ(最近、うっかり名前をまちがえることが増えましたが……)、若い人たちとの関係が更新されていく時期です。
(カリンの花と桜の花いかだ。昨日、駅までの道筋で撮影。)
塾で中高生を教えはじめたのは、それまで勤めていた会社をやめて、翻訳学校に通いだすのとほぼ同時でした。児童書やヤングアダルト作品を翻訳しているので、読者となる年代の子どもたちと接しているのは、翻訳のジャンルを意識してのことと思われることもありますが、ジャンルを決めたのは、塾の講師を始めた時よりあとのこと。関連性を意識して就いた仕事ではありません。
また、日常、彼らと接していることが、若い人むけの作品を翻訳する際に役立っているかどうかもよくわかりません。影響はないような気もします。わたしが翻訳をしていることを知らない生徒も多いし、彼らが塾に来るのは受験勉強のためであって、あくまで目的ありきですからね。
でも、自分にしてみれば、30年近く中高生と接してきて、ほんとうによかったと思います。大人になる前の十代の彼らと接していると、前向きにしかなりません。それぞれ、いろんな事情を抱えていて、みんながみんな順風満帆の未来を約束されているわけではないだろうけれど、でも、それまで生きてきた時間の何倍もの長い未来が待っている彼らと接していると、それだけで元気をもらいます。
子どもの本の翻訳を自分の専門ジャンルにしたのは、いろいろな偶然が重なってのことですが、でも、偶然じゃなくて、必然だったのかもしれないと、最近は思います。塾で英語を教える仕事も、とりあえず、なんとなくできそうだから、という理由しかなかったのですが、おかげで、英語の勉強を毎日しているようなもので、これがなかったら、文法はずいぶんおろそかなまま、翻訳にとりくんでいたのではないかと思います。
ここ数年、朗読会やセミナーなどで人前に立つ仕事が舞い込んで来るようになりましたが、塾の授業での経験がとても役にたっています。塾には英語、国語、数学、理科、社会、わからないことがあると質問できる先生たちがいて、ずいぶん助けられました。生徒が本好きとわかると、自分の訳書を読んでもらったりすることもあります。
年齢を考えると、塾の仕事はもう十年もは続けられないでしょう。いい職場にめぐりあい、毎年、新しい生徒たちと出会うこの仕事を大切に、と、4月に入って改めて思いました。
(M.H.)