翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

レジュメの書き方、最近思ったこと

 ここのところ、出版社へのもちこみ企画のために、原書の内容や感想をまとめたレジュメを何本か書きました。昨年は、以前講座をとってくれていた方や勉強会のメンバーが書いたレジュメを読んだり、書き方の相談に乗ったりもしました。

 こうした、いわゆる原書リーディングをして、その内容をまとめるレジュメは、何度書いてもどう書けばいいのか手探りで、なかなか厄介なものです。たぶん自分も、同じ本を一年後に読んでレジュメを書いたら、形式的にも内容的にも、かなりちがうものを書く可能性があります。

 自分の書くレジュメが完璧だなどというつもりはないし、そもそも、読む人がちがえば同じ本でもおもしろいと思ったり、つまらないと思ったりするわけで、感動ポイントも、批判するポイントも、あるいは売り込みたいポイントもちがうので、あくまで、自分としてはこういう読みをしました、ここが売りです、だから訳したいです、というレポートにすぎません。

 それは大前提として、みんな、出版翻訳業界でなんとなく共有されている(と思いこんでいる)定型フォームに縛られているのではないかと感じます。出版社から指示される場合はしかたないのですが、そうでなければ、もっと書き方を考えればいい。

 ほとんどのレジュメは、書誌情報、書影から始まって、概要、登場人物一覧、あらすじ、コメント、海外での評価、受賞歴、原作者情報、といった順で書かれていますよね。それはそれで、とくに問題がないことも多いのですが、作品によっては、もう少し工夫したほうがいいんじゃないか、と思うことがあります。とくに「あらすじ」と「コメント」の中身。

 忘れそうなので、備忘録として思いついたことをいくつか書いておきます。

 

●「あらすじ」は、書かれている順番どおりにまとめる必要はない。

 起承転結をしっかり守り、時間が過去から未来へときれいに流れていく作品は、書いてある順番どおりにまとめれば、だいたい形になります。ところが、時間が行ったり来たりするとか、同時にふたつのストーリーが流れているとか、語り手が複数いるとかする場合、書かれている順序に沿ってまとめようとすると、こまぎれになった時間軸や視点がぐちゃぐちゃに連なり、作品を読んでいない人にとっては、まったく頭に入ってきません。ですから、こういう時は、全体を俯瞰したストーリーラインにまとめなおしたり、作者の意図した(と思われる)作品構造を最初に示し、そのあとは、主要人物ごとにまとめたりしてもいいと思います。

 

●「あらすじ」は、視点人物の視点で書く必要はない。

 一人称で書かれていたり、三人称でも主人公視点である場合、レジュメでもそれを踏襲して書こうとすると、だいたい字数が増えるわりには全体像がつかめなくなります。いったん引いて、全体をつかみなおして自分の視点で作品を見て書いたほうがいい場合が多い。もちろん、視点はどの人物にあって、人称はどうなっているのかは書いておきましょう。

 

●「あらすじ」と「エピソード」

 物語の中に太い幹のような流れがある作品は、まさにそれが「あらすじ」なのですが、エピソードを並べていったり、ひとりごとのような述懐をつらねているような作品、あるいは群像劇のような作品は、ある意味、「あらすじ」がない、と言ってもいい。ですから、こういう時は、全体の構造を書いたら、印象的なエピソードに分けて書く方法もあると思います。

 

●「コメント」に小見出しをつける。

 最近はよくこれをやります。コメントをだらだら書くと、結局、なにが言いたいのかわからない文章になったり、読み手がうまくポイントを読み取ってくれなかったりするので、キーワードを小見出しにして、わかりやすくする、という手があります。読んでくれた編集者さんが、企画にして編集会議で提案するときには、おそらく、リーダーのレジュメのコピーを添付したり、回覧したりするはずで、リーダビリティを上げておくことはとても大切だと思います。

 

●説明がむずかしいものは「試訳」をつける。

 最たるものは絵本。絵本にレジュメは必要なくて、試訳をつけてしまえばいい。もちろん、なにが読み取れるか、作者のねらいはここにあるんじゃないか、わたしはここに着目した、というところは、書誌情報や作家紹介とともに一種の「レジュメ」にまとめることはできるでしょう。

 絵本でなくても、いわく言いがたい特徴がある作品は、部分訳をつけるといい。とくに、最近増えた、詩物語形式の作品などは、試訳がないことには判断しづらいし、何より、何が書いてあるかと同じくらい、「どう訳すか」が大事で、訳者としては、「こう訳す」というものを提示すべきだと思います。

 

●どこかに熱をこめたい

 熱く語れば企画が通るかというと、そんなことはないし、むしろ、たくさんのレジュメを読んできた編集者さんほど疑ってかかると思います。でも、どこかに、いい作品なので紹介したい、という思いを感じさせるレジュメにしたい。それは、丁寧な書き方だったり、キーワードの使い方だったり、書影や資料の添付だったり、さまざまな形で表現できる。

 

 レジュメを書こうとすると、その本をいろいろな角度から見なければならず、それまで気づいていなかったことに気づいたり、自分がなぜおもしろいと思ったのか説明する言葉が見つかったりするのがおもしろい。しかも、提出して、編集者さんから返ってくる意見や質問に、また新しい発見があって、その過程が楽しめる。しかも、こういうことを何度もやっていると、翻訳そのものにいい影響があるはずです。だって、「どう読んだか」を受けて「どう訳すか」を考えるのが翻訳なのだから。

 

 ああ、積読のままの原書や、もらったままのPDFを消化しないとね。

 読むのおそいんだよなあ……。

 

(M.H.)